第27話 谷崎の過去。


「すみませーん。これ、おいくらですか?」


「…………………」


「あのぉ。すみませーんっ」


え。


「あ、はいっ」


私はお客さんの声で我に返り、慌てて駆け寄った。




谷崎の彼女のフリをしてご両親に会いに行った日曜日。


谷崎のことでなにかが引っかかって気になってるまま。


胸の中がモヤモヤしたまま、私は毎日を過ごしていた。


仕事をしていてもどうも集中できないんだ。


蘭太郎のことも、このままじゃいけないと思っていた。


だけど、私の頭の中で大半を占めている考え事はそのことではなく。


なんと、谷崎のことだった。



谷崎のお母さんが言った言葉と、谷崎が一瞬見せたあの表情。


なぜか妙に気になって頭から離れないんだ。


いつもと変わらず明るく元気にしている谷崎を見ると、過去になにがあったのか、余計に気になり出して……。


気がつくとそのことばかり考えてる自分がいた。


なんでこんな気になるのか。


自分でもわからなかった。



そして、その日の夜。


私は仕事帰りのユリと待ち合わせをして、2人でよく行く居酒屋にやってきた。


最近ちょっとふさぎ気味の私に、ユリが飲みに行こう!と誘ってくれたんだ。


『なんでも聞くよ』と言ってくれるユリに、私は心がホッとあったかくなった。


そして、私はビール片手にポツリポツリと自分の胸の内を話し出した。


私の話をうなずきながら真剣に聞いてくれていたユリが、持っていたジョッキをテーブルに置いた。



「ーーーそれってさ。谷崎さんのことが好きってことなんじゃない?」



ユリのいきなりの発言に、私は思わずビールを吹き出しそうになってしまった。


「す、好きってっ……!私はそんなっ」


「じゃあ。100歩譲って〝気になる〟にしといてあげる」


「いや、気になるって……。そりゃ、気にはなってるけど。でも、それは谷崎の過去のことであって」


「気になる人だからこそ、その人の過去が気になるんでしょ?」


ドキ。


「どうでもいい人だったら、その人の過去なんて気にもならないハズでしょ?」


う……。


にやにやしてるユリ。


「わ、わかんないけどっ。とにかくなんか知らないけど……すごく気になるんだよ」


「わかった。これ以上は突っ込まないでいてあげる。でもさ、そんなに気になるなら本人に聞いてみたら?ズバッと」


「それがさー。なんか微妙に触れちゃいけな空気……っていうかさぁ。ちょっとそういうの感じたんだよね。だから、なんか軽はずみに聞いちゃいけないような気がして……」


「そっかぁ。あの元気な谷崎さんを見ている限りでは、なにか人にはあまり言いたくないような重大?な過去を抱えているようには見えないけど……。でもわかんないよね、そんなの。心の中までは見えないもんね」


ホントにユリの言うとおりだと思う。


心の中やその人の抱えてるものまでは、誰も見えないもんね。


「……あ、それはそうと。蘭太郎に話してくれた……?蘭太郎……どうしてる?」


「この前電話した。あのマザコン男の妹のこと、ちゃんと話しといたよ」


「ありがとう。で……私のこと、なんか言ってた……?」


私がおそるおそる聞くと。


「言ってたよ。春姫はどうしてるか……って。あん達さ、なんか私のこと伝言板にしてない?」


ユリが笑いながら枝豆を食べる。


「……ごめん。でも、なんか会いづらいし、電話もしづらいし……。今はまだなんて言っていいかわからなくて……」


「まぁね。春姫のその気持ちもわかるよ。でも、いつまでこうしてる気?蘭ちゃん、春姫のちゃんとした返事、待ってると思うよ」


「……うん。そうだよね」


確かにいつまでもこうやって保留にしておくわけにはいかないよね。


ちゃんと蘭太郎と話をしないと……。


「とりあえず、あの女は今のとこ蘭ちゃんの前には現れてないみたいだよ。だけど、その分近いうちになんかとんでもない派手な登場してきそうでおっかないけどね」


「嵐の前の静けさ……ってヤツ?」


私が言うと。


「そうそう、それそれっ」


ユリが笑った。


つられて笑う。


だけど。


こうしてる今も、私の頭の中では谷崎の笑顔がちらついていた。


ユリの言うように、アイツの過去が気になるのは、アイツ自身のことが気になるから……?


私、アイツのこと好きになり始めてるの?


わかんない。


でも、今はそういうことよりもなによりも。


ただアイツの過去が知りたい。


お母さんの言葉と、谷崎の見せたあの表情の意味。


それがどうしても気になるの……。


知りたいの……。


このまま知らないフリして忘れるなんて。


私にはできない。


だって、たぶんそれは……その過去は……。


谷崎にとって、嬉しいなにかではなかったと思うから。


なにか、切なさみたいな。


そういう大きなものを抱えて背負っているような気がしたからーーーー。


それを私が知ったところで、なにも変わらないことも知っている。


だけど。


谷崎の抱えているなにかを……気持ちを……一緒に感じたい、共感したい。



私がわかってあげたいーーーーーーー。



そう、思ってしまったんだ。


……よし。


私は残り少ないジョッキのビールを飲み干して、あることを決意した。






ーーーーーーーーーーーーーーーーー



プシューーーーー。


扉が開くと、私はゆっくりとバスから降りた。


ブロロロォ……。


遠ざかるバス。


まだ記憶に新しいこの辺りの景色。


「……よし」


私は小さくうなずき、静かに歩き出した。


日曜日ーーーーーーー。


私はとある高級住宅街にやってきた。


そう、ここは先週谷崎と一緒に訪れた場所。


もちろん目的地は谷崎の実家。


谷崎の家の住所を元にバスを調べてやってきた。


谷崎のお母さんに思い切って話を聞くために。


自分でもあっぱれな行動力だと思う。


でも、それぐらいしてでも、私は知りたいと思ったんだ。



谷崎の予定はあらかじめさりげなく聞いてあって、今日は実家に行かないあことも把握済み。


今日は谷崎抜きで、お母さんと2人で話がしたいと思って来たの。


先週はオフホワイトのシンプルなワンピース。


今日はオフホワイトの細身のパンツと淡い水色のカットソー、そしてベージュのロングジャケット。


菓子よりをしっかり持つ私の手は、緊張でひどく汗ばんでいる。


だけど、自分でも驚くほどしっかりした足取りで、私は谷崎邸に向かっていた。


目立つ豪邸だから、まだ二度目だけどすぐにたどり着ける。


それに、場所の記憶力は割といい方なんだ。


見えてきた。


ドキン ドキン ドキン。


高鳴る胸を押さえつつ、私は谷崎邸の前で立ち止まった。


「……よしっ」


私はかすかに震える指でインターホンを押す。


ドキン ドキン ドキン。



『はいー』


すぐにお母さんの声が聞こえてきた。


「……あ、あのっ。先週お伺いさせていただいた、と……鳥越春姫ですっ」



き、緊張ーーーーーーーっ。



『あら、春姫さん?……お1人?』


「あ、はいっ。すみません。突然お伺いしてしまって……。ご迷惑でなければ、少しの間だけ会っていただけませんか?えっと……あの……」


私が言葉に詰まっていると。


『迷惑だなんてとんでもない。さぁ、上がってちょうだい、大歓迎よ』


インターホンのスピーカーから聞こえてくるお母さんの優しい声に、私は救われた。



ガチャ。


立派な門の奥の重厚なドアが開き、中からにこやかなお母さんが顔を出した。


「いらっしゃい。よく来てくれたわね。嬉しいわ。さ、上がって』


「はい……。ありがとうございます」


私は一礼して玄関へと向かった。




「ーーーちょうどよかったわ。主人は仕事でいないの。女同士ゆっくりお茶でもしましょ」


リビングのドアを開けながら、お母さんがイタズラっぽく笑いかける。


突然押しかけた私を、なにも聞かずに優しく出迎えてくれた谷崎のお母さん。


ホントにいい人で。


お母さんの笑顔を見ていると、なんだか私までふんわりした気持ちになるんだ。


「あの……これ、ケーキです。どうぞ……」


ケーキの箱をそっと差し出すと、お母さんが嬉しそうに笑顔で言った。


「まぁ、わざわざありがとう。ちょうど甘い物が食べたいなぁって思ってたところなの。見てもいいかしら?」


「あ、はい」


テーブルの上で丁寧にケーキの箱を開くお母さん。


「あら、美味しそう!じゃあ、さっそく紅茶と一緒に春姫さんが買ってきてくれたケーキ、いただきましょうか。ちょっと待っててね。今用意するから」


「はい、ありがとうございます。私もお手伝いします」


「あ、いいのいいの。座ってて」


お母さんは私をソファに座らせると、軽い足取りでキッチンに入っていった。




ゆらゆらと白い湯気ををたてる美味しい紅茶。


それと甘いケーキ。


「うん、美味しい!春姫さん、この抹茶のケーキとっても美味しいわ」


笑顔でそう言ってくれるお母さん。


そんなお母さんを見て、私も自然と笑顔になる。


でも、今日は聞きたいことがあって私はここに来たんだ。


私はそっと紅茶のカップをテーブルに置いて、静かに切り出した。


「実は……今日お伺いしたのは……。谷崎さんのことで、お母様にちょっとお聞きしたいことがありまして……」


「竜のこと?」


お母さんも静かにカップを置く。


「はい。あの……間違ってたり、私のただの勘違いだったら申し訳ないんですが……。先週お邪魔させてもらって、みんなで話をしていた時。お母様が、『もうあれからずいぶん経つ』『そろそろ新しい出会い』『もう心配いらない』……ということをおっしゃっていて……。なんでもない会話だったのかもしれませんが。その言葉が、なんだか私……。妙に気になってしまってーーー……」


私は自分の胸の内を正直に話し出した。


谷崎のお母さんは小さくうなずきながら、静かに黙って私の言葉に耳を傾けている。



「ーーーそれで。帰りの車の中で、そのことを谷崎さんにちょっとだけ訊いてみたら。一瞬かすかに表情が変わって……。谷崎さんは『なんでもないよ』と笑っていたんですが……。私には、なんだか一瞬悲しそうな切なそうな……そんな風に見えたというか、感じたというか。

もしかしたら、過去になにかあったのかな……って。ホントに余計なお世話でズケズケとお宅にまでお邪魔してしまって、ご迷惑なのは承知しているんですが、どうしても気になってしまって。自分でもどうしてかわからないんですが……。

あ、す、すみませんっ。なんかひとりでベラベラしゃべってしまって……」



私は恥ずかしくなってうつむいていると、お母さんの優しい声が聞こえてきた。


「お顔を上げて、春姫さん。迷惑なんかじゃないわ。余計なお世話でもない。竜のことを心配してくれているのね。ありがとう」


にっこりほほ笑むお母さん。


そして穏やかな表情でこう言ったんだ。


「私もついな何気なくそんな言葉を口に出していたのね……。ごめんなさいね、心配させてしまって。ーーー……あなたの言うとおりよ、春姫さん。竜にはちょっと辛い過去があってね……」



辛い過去ーーーーーーーー。



「……お訊きしてもいいですか……?」


「ええ。もうかなり昔のことなんだけど……」



お母さんが、ゆっくりと静かに話し出してくれた。





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