第8話 アイドルに手を出せるのは勇者か? はたまた愚者か?

「ふぅ……」


 足取りが重い。まるで重力が倍にでもなったかのように、スムーズに足が前に出ない。


 気も重い。今回は果たしてどのようにかわせば良いか。いや、かわしきれるのか?


 ともかく、いずれにしても行きたくない。しかし行かねばならない。ゆっくりと歩を進めていると、ネガティブな事ばかり浮かんでくる。



 ◇◇◇



(着いてしまった……)


 見る者を圧倒する巨大さと荘厳そうごんさ、随所に施された豪華絢爛けんらんな装飾は建築当時の最先端のデザインであり、今となってはそれ自体が雄大な時の流れを感じさせる貴重な歴史的資料でもある。アステルの視線の先にあるそれは、今日もいつもと同じ様に帝国臣民を見守りながら鎮座ちんざしていた。


 ベルガンダイン宮殿。


 アウデウス帝国、帝都ベルガンの北地区にそびえるこの宮殿は、四百年前の帝国建国時に建てられた皇帝一族が住まう宮殿であり、同時に政治と軍事を司る中枢、まさに帝国を象徴する建造物である。


 宮殿前広場は多くの人で賑わっている。その素晴らしい歴史的建造物を一目見ようと、帝国内のみならず周辺国からも多くの観光客が訪れているのだ。そんな観光客でごった返す宮殿前広場を突っ切り、宮殿の正門前までやって来ると、アステルはピタリとその足を止めた。


(ふぅぅぅ……)


 深く深呼吸をするアステル。覚悟が必要なのだ。これは戦い、ある意味戦いだ。己の要求を押し通し、尚且なおかつ無事にこの宮殿をあとにする。向こうから求められたらどうするか? どこまで許容するか? いや、そもそも許容など出来るのか?


 意を決し足を踏み出すと、不意に聞き慣れた声が聞こえてきた。


「いよぅ、アステル!」


 重々しい雰囲気のアステルとは対照的に、陽気に声を掛けてきたのは正門警備の任務中だった宮殿警備隊のサミス。アステルと同期の彼は度々南門に顔を出しては、宮殿内の様々な出来事を愚痴と共にアステルに届けてくれる。アステルにとっては良き友人であり貴重な情報源だ。


「今日もまた暗い顔してんなぁ、ここで会う時は大概たいがいその顔だ。南門にいる時とはえらい違いだな」


「そうか、サミス……そう見えるか。ならばそうなんだろうな……まぁ、事実気が重いしな……殿下はられるか?」


「どっちの殿下だ?」


「分かってて言ってるだろ、お前……」


「ハハハ、外出はされていない、中にいらっしゃるぞ。しかし相変わらずだな、お前は。俺にはお前がそんな顔になる理由が全く分からん。俺がお前の立場だったら、毎日でも宮殿に足を運ぶがなぁ。そのまま宮殿に住んじゃったりして……」


「他人事だと思って簡単に言わないでくれ……」


「帝都中の野郎共の羨望せんぼう眼差まなざしを一身に浴び、そして同時に死ねばいいのに、と思われている男……ハハハ、大変だなぁお前は」


「だから簡単に言うな。こっちは今日をどう乗り切ろうかと必死なんだ」


「何のかんの言いながら、こうやってお前はそのお力にすがろうと宮殿に足を運ぶ訳だ。どうだ、図星だろ? これ以上ないくらいの後ろ楯、全くうらやましい話だよ。いい加減腹をくくったらどうだ、大体何が不満なんだ? お美しく、聡明そうめいでいて快活かいかつ、身分を鼻に掛ける事もなく、誰に対しても等しく接して下さるお優しさ、更にスタイルも抜群ってお前……何だそれお前……何か腹立ってきたな……」


「バカを言うな、あの方は皇族だぞ? 平民の警備兵と釣り合いが取れる訳がないだろう」


「殿下がいいって言ってんだ、何の問題もないだろ」


「問題大ありだ。陛下のお耳にでも入ったら大変な事になってしまう……まだ死にたくはないぞ」


「しっかし上手い事やったなぁ、お前。宮殿警備隊時代にまだ幼かった殿下に気に入られて、南門に移るまでほとんど殿下の専属ボディーガードみたいな感じだったよなぁ……本当ほんと上手い事やりやがってお前……何だそれお前……何かまた腹立ってきたな……」


「もういい、仕事しろ。全く……」


 なかば呆れ気味に門をくぐろうとするアステル。そんなアステルにサミスは再び声を掛ける。


「西庭園だ」


 アステルは歩みを止め振り返る。


「西? 東庭園じゃないのか?」


「ああ。西は最近殿下の主導で手が入ってな、今じゃもっぱら西庭園の方がお気に入りらしい」


「分かった」


 軽く右手を挙げアステルは宮殿の敷地内に入る。



 ◇◇◇



「おお……これは確かに……」


 アステルは思わず感嘆かんたんの声を上げた。


 ベルガンダイン宮殿の東西には花と緑の溢れる広大な庭園がある。東庭園に比べどこか寂しげな印象だった西庭園。それがどうだ、まるで光輝くような明るい印象へとその姿を変えていた。

 全体的に背の高さが抑えられた木々のお陰か見晴らしも良くなり、以前よりもカラフルな花々に彩られている。


(なるほど、殿下がお気に入りになるのもうなずける)


 宮殿の壁面に沿って左に庭園を眺めながら進むと、少し先に東屋あずまやが見えてきた。庭園が一望出来る絶好のロケーションのようだ。東屋あずまやの中、そしてその外に数人の人影が見える。


(いらっしゃったか……)


 アステルが東屋へ近付くと、その中の一人がこちらに気付いたようで、東屋を出てパタパタと小走りで近寄ってくる。


「アステル!」


 名を呼ばれたアステルは敬礼をする。


「アステル!」


 アステルの前までやって来たのは女。豪華だが決して嫌味ではない、上品でエレガントなドレスをまとい、サラサラと長く美しい栗色の髪をなびかせながら両手を広げる。


「アステル!」


 アステルはそのまま片膝をついて女に挨拶する。


「お久し振りでございます、アイシャ殿下。ご機嫌麗しゅう存じま……」


「アステル」


 アイシャは両手を広げたままだ。


「……本日も相変わらずのお美しさで……」


「……アステル」


「……しかしこの庭園、見違えましたな。聞けば殿下が手を入れられたとか……」


「もう、アステル! 久々に会ったというのに、ハグの一つくらいしたらどうですか!」


「勘弁して下さい、殿下。こんな場所でその様な事、出来るはずがございません。誰が見ているかも分かりませんのに……」


「あら、誰が見ていようと関係ありませんわ。大体私から求めているのですよ? 昔はあれだけお抱きになったというのに……」


 アステルは慌てて立ち上がり、すぐさま否定する。


「殿下! それは殿下がまだ幼かった頃のお話です! 誤解を招くような言い方は感心いたしませんぞ?」


「あら、私は全然気にしませんのに。それよりもアステル。週に四回は顔を出すように申し付けていたというのに、随分と焦らすのですね。まさか……その様な趣味があろうとは……」


 モジモジッ、と身体を揺らしながら上目遣いでアステルを見つめるアイシャ。


「何を仰っているのか分かりませんなぁ、殿下! さぁ、陽射しが強うございます、東屋へ入りましょう。さぁ!」


(勘弁してくれ……どこでそんな知識を付けられたのか……大体週四は多すぎるだろ……)


 アウデウス帝国第三皇女、アイシャ・カインレイク。皇帝には四人の子がおりアイシャの二人の姉、第一・第二皇女はすでに他家へ嫁いでいる。現在帝国に残っているのは彼女と二つ上の兄、次期皇帝でもある皇太子ラフト・カインレイクの二人である。皇太子ラフトは勿論だが、第三皇女アイシャは特に国民からの人気が高い。明るく、気取らず、優しく、美しい彼女は、国民の恋人と呼ばれ帝国臣民に親しまれている。一部熱狂的な彼女のファン達は、彼女の想い人が治安維持部隊の中にいるようだ、と噂し、更に熱狂的なファン達は、どうやらその男は南門警備隊のメンバーらしい、という所まで突き止めている。


 東屋へ入り腰を掛けるアイシャ。アステルは中には入らず他の執事や侍女達と共にそのかたわらに立った。が、アイシャは「アステル」と自身の隣の椅子をポンポンと叩く。アステルは二度固辞こじしたが、三度目は断り切れなかった。


(ふぅぅ……)


 アステルは渋々アイシャの隣に座る。ご機嫌のアイシャは「よろしい」と一言。


「で、今日は一体どの様なご用向きかしら? いいえ、どんなお願いなのかしらね?」


「は。殿下にはいつもいつもお力添えをいただき、感謝の念にえません」


「そうねぇ……いつもいつも私がして差し上げるばかり……たまには何かしてもらいたいものねぇ……」


「は……何か……とは?」


「そうねぇ……」


 小首をかしげ考え込むアイシャ。すると何か思い付いたのか「フフ……」と小さく笑う。


「あの……殿下……?」


「ああ、ごめんなさいアステル。一先ひとまずは貴方の用件を聞こうかしら? お楽しみは……後に取って置くわ」


 ニコッ、と微笑むアイシャ。ゴクッ、と唾を飲むアステル。


(一体どんなご要望を聞かされるのか……)


「ほら、アステル。お話しなさいな?」


「は、しからば……」

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