第八話「いざ魔塔へ」
祖母の姿が見えなくなると、
「おばあちゃんには言えませんが……。私、別に食べられてもいいかも、って思ってるんです」
ミシェルは伏し目がちに、驚くべき考えを述べ始めた。
これではラドミラは、ますます「もう帰る」とは言い出せなくなってしまう。
「えっ、どういうこと?」
「だって、死んで天国へ行けば……。姉と同じ場所に行けたら、そこで姉と仲直りできるような気がして……」
マガリーは言っていた。姉妹は元々、仲が良すぎるくらいだった、と。
ミシェルは言っていた。あの夜、森で姉と口論になった、と。
それを思えば……。
「まあ、気持ちはわかるけど……。でもダメよ、命は大事にしないと。それにミシェルまでいなくなったら、一人になっちゃうおばあさん、可哀想でしょう?」
「それは承知しております。でも、姉とは喧嘩別れみたいな形でしたから……。ひとこと謝りたくて……」
ミシェルは下を向いたままなので、表情はわかりにくい。それでもラドミラには、ミシェルが後悔の色を浮かべているように思えた。
「だって最期の瞬間、姉は私を助けようと……。それまでの喧嘩が嘘のように、心変わりして……。あれじゃ私が悪者みたいで……」
ミシェルの言葉は、筋が通っているようで通っていない。姉妹が争った原因はジゼルの側にあるのだから、ミシェルに非はなく、謝る必要もないとラドミラは思う。
だが人の気持ちというものには、理屈では割り切れない部分もある。だからラドミラは、なるべく優しい声で語りかけた。
「ねえ、ミシェル。お姉さんは、あなたを逃すために頑張ったのよ。だから、あなたが生き続けないと、お姉さんの犠牲も無駄になってしまうわ」
「そうですね……。でも、だからこそ、ひとこと姉に言いたい……。そう思ってしまうのですよ……」
やはり祖母を残して逝くことには抵抗あるのだろうか、あるいは、ラドミラの説得が功を奏したのだろうか。
先ほどは悟ったような発言をしていたのに、顔を上げたミシェルの表情は、とても死を覚悟した人間のものには見えなかった。
ちょうど、このタイミングで。
「お待たせしました、魔法士様」
マガリーが戻ってきた。
老婆は早速、ラドミラのカップに紅茶を注ごうとするが……。
「ちょっと待って!」
声を上げて、ラドミラがそれを制止する。
「おかわりを持ってきてくれたところで、悪いんだけど……。私、そろそろ行くわ」
このままズルズル長居する話になると困るので、今度こそ切り出したのだ。
「……は?」
「行くって、どこに……?」
ポカンとする二人に対して、ラドミラは具体的に告げる。
「『異界の魔塔』よ。
「おお! では早速、
喜ぶマガリーの言葉を、ラドミラは手を振りながら否定してみせた。
「いやいや、今『様子を見に』と言ったでしょ? とりあえず、今日は偵察だけ」
ラドミラがケクラン村まで来たのは、
「見るだけ見て、もし無理そうなら、手を引くわ」
と、キッパリ宣言するラドミラ。
確かにラドミラは一流の攻撃魔法の使い手だが、だからといって、自分が無敵だと自惚れてはいなかった。いや、以前はそういう傾向も強かったのだが、最近は少し自重するようになっていた。
例えば、一ヶ月前のアシャール村での
また、しばらく前に、ペトラと二人で冬のモンスター退治を請け負ったこともあった。あの時も、ペトラの補助魔法があったからこそ、助かったと思っている。
「……だから、過度な期待はしないでね」
「そ、そんな……」
ラドミラの言葉を聞いて、マガリーは、あからさまに落胆の態度を見せた。その場に崩れ落ちそうなくらいだ。
「おばあさん……。何とかしてあげたいけど、私だって命は惜しいし、無理なものは無理だから」
「ですが、魔法士様に見捨てられては、もう誰に頼んだら良いのやら……」
「うーん……。その場合は、エマールの街で、もっと人を集めるしかないわね。どれくらいの冒険者や傭兵が必要なのか、その見積もりも兼ねて、私が偵察してくるから……」
半ば押し問答のような形の二人に、ここでミシェルが割って入る。
「魔法士様。偵察にせよ、退治にせよ、明日でいいじゃありませんか。今晩は、ゆっくりお休みになって……」
「そうもいかないのよ。私、エマールの街で宿とっちゃったから。今夜中に戻らないと」
「あら! うちにお泊りになるものとばかり……」
ラドミラが思った以上に、ミシェルは大きく驚いている。どうやら、完全に誤解していたらしい。
「でしたら、あまりお引き留めするのも悪いですね……」
「そういうこと。じゃあ私、行ってくるわ」
と、立ち上がるラドミラに対して。
「お待ちください、魔法士様! 私も行きます!」
ミシェルが、とんでもないことを言い出した。
「薄暗い森の中で、道に迷ったら困るでしょうから。私に案内させてください」
「ミシェル! 何を言い出すんだい! この子ときたら……」
孫娘の言葉に、目を丸くするマガリー。
ラドミラも同感だった。
それに、そもそもミシェルは、
「これは村の問題であると同時に、私自身の問題でもあります。私のために動いていただく以上、少しでもお役に立ちたくて……」
「ダメよ。むしろ邪魔だわ」
キッパリと拒絶するラドミラ。
しかしミシェルは諦めない。
「では……。せめて、森の入り口まで案内させてください。東の森といっても、いくつかの小道があります。違う道から入ったら、『異界の魔塔』に辿り着くのも難しくなるでしょう」
それくらいのこと、近くを歩いている村人に聞けば良い。そうラドミラは考えていたのだが。
言われてみれば、案内役がいた方が確実だ。もう夕方なので、村人たちは家に引っ込んでいるかもしれないし。
マガリーに視線を向けると、老婆は、深く頭を下げていた。孫娘の熱意に打たれて、その言い分を受け入れたらしい。
「ミシェルのこと、よろしくお願いします」
「まあ、そういうことなら……。でも、森に入るところまでだからね? ミシェルは絶対に、そこで引き返すのよ?」
「はい、魔法士様! お約束します!」
こうして。
ラドミラはミシェルを連れて、東の森へ向かうことになった。
「それじゃ、約束通り、ここまでね」
明るい声で、ミシェルに告げるラドミラ。
家を出て少し歩いただけで、二人は、森の入り口に当たる地点に到着していた。
「はい。でも……。本当に、魔法士様一人で大丈夫ですか? やはり、地元の人間である私が、一緒の方が……」
「さっきも言ったけど、むしろミシェルは足手まといになるから。それに……」
ラドミラは、行く手の緑に視線を向ける。
ここから先が、いわゆる東の森なのだろう。立て札も目印もないが、茂みと茂みの間には、ハッキリとした林道が見えていた。
しかもミシェルが語った通り、木々の隙間からは『異界の魔塔』らしき建物の影も視界に入ってくる。
「……塔を目印にして進めばいいんでしょ? 迷いっこないわ」
「魔法士様が、そこまで言うのでしたら……」
まだ少し釈然としない顔のミシェルを、その場に残して。
ラドミラは単身、森へ入っていった。
鬱蒼とした森の小道を進んでいく。
ピーヒョロロと、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてきたが、空を見上げても姿は見えなかった。
「こんな時間でも、どこかで飛んでるのね……」
まだ真っ暗になる時間ではないが、どんよりと空は曇っていた。それでなくても森の奥まで陽光は届きにくいため、周囲の視界は悪い。
「これ……。夜になる前に戻らないと、ちょっと大変そうね」
自然と、表情が暗くなるラドミラ。
闇夜には慣れていないミシェル――寝付きがよいので夜中に目を覚ますことは少ないと言っていた少女――でさえ、迷うことなく普通に歩けた森だ。だが、彼女には地元の人間特有の土地勘があったはず。自分とは少し事情が違うと、ラドミラも理解していた。
「あら……」
道が二つに枝分かれしている地点に差し掛かり、いったん立ち止まる。
落ち着いて周囲を見渡せば、遠くに見える『異界の魔塔』。
「……つまり、こっちってことね」
そして再び歩き出し、また分岐に出くわして……。
そんなことを繰り返し、どれほど歩いた頃だろうか。
「……ようやく着いたわね」
ラドミラの目の前に今、問題の『異界の魔塔』がそびえ立っていた。
間近で見ると、遠くから眺めた時とは少し違った
赤レンガの円塔が大小に組合わさった、巨大な建築物。十年くらい前まではシラカワという転生者が住んでいたはずだが、建物にとっての『十年』は、長い放置期間だったのだろう。壁一面にツタの葉が生い茂り、また外壁そのものにも朽ち落ちた箇所があり、完全に廃墟と化していた。
数メートル幅の溝に囲まれており、昔は水が張られていたのかもしれないが、今は完全な空堀。堀の上に用意された跳ね橋も、開閉装置が壊れているらしく、固定状態。その橋を渡って、ラドミラは塔の中へ入っていく。
「さて……。本当に
マガリーやミシェルに告げたように、あくまでも偵察。あまり奥まで進むつもりはなかった。
怪物と煙は高いところを好む、という慣用句もあるくらいだ。
そう考えながら、ラドミラは『異界の魔塔』に乗り込んだのだが。
「……!」
思わず、言葉を失った。
入ってすぐの、広いホールのような空間。中央の床には魔法陣のような、丸やら四角やらの幾何学模様が刻まれているが、転生者シラカワの研究の痕跡だろうか。また、奥には大理石の大階段が設置されていたが、そこを上がる必要はなかった。
なぜならば。
ちょうど魔法陣と大階段との真ん中くらいに。
太い角を持つ怪物が、大斧を握り締めて、獲物を待ち受けるかのように立ちはだかっていたのだ。
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