牛魔の潜む廃墟にて

烏川 ハル

第一話「街で出会った老婆」

   

「これが、この地方で一番大きいと言われるエマールの街……」

 街に入ってすぐの広場で、少しの間、立ちすくみながら。

 魔法士のラドミラは、周囲を見回していた。

 木造建築の家屋も見られるが、大半は、石造りの商業施設だ。それも、平屋あるいは二階建てばかりではなく、三階建てや四階建ての大きな建物もある。

 広場から続く大通りには露店が立ち並び、なにやら美味しそうな匂いも漂ってくるが……。

「まずは、今晩の宿を決めないとね」

 屋台の食べ物の誘惑を振り切って。

 彼女は、宿屋らしき真っ白な会館へと歩き出した。


 エマールの街に来たのは今回が初めてだが、実はラドミラは、一ヶ月ほど前にも、この地方を訪れている。

 魔法士協会から依頼されたモンスター退治。一人の女騎士と組んで、アシャールという小さな村に出没する怪牛魔人ミノタウロスを倒してほしい、という仕事だった。

 牛のような顔と二足歩行の体を持つ、怪牛魔人ミノタウロス。名前にも『牛』とか『人』とか含まれているが、種族としてはトロールの近縁らしく、硬い皮膚や恐るべき怪力に加えて、再生能力まで有するモンスターだ。首を切断しても少しの間は動けると言われるくらいであり、魔法の使えぬ騎士だけでは、苦戦必至の相手となる。

 だから相棒パートナー募集の話が魔法士協会に持ち込まれたのであり、攻撃魔法を得意とするラドミラに白羽の矢が立ったのだ。

 結局、剣と魔法のコンビネーションで、怪牛魔人ミノタウロスを倒すことに成功。一時的な『相棒パートナー』だった女騎士が「自分は今からエマールの街へ向かう」と言うので、その場でラドミラは、女騎士と別れたのだった。

 あの時はエマールに立ち寄ると大きく回り道だったが、今回は事情が違う。やはり魔法士協会からの仕事を一つ片付けた帰りだが、ちょうど帰路の途中に、エマールが位置していたのだから。


「たまには、旧交を温めるのも悪くないわよね……」

 独り言を口にしながら、宿屋の扉を開けるラドミラ。

 もちろん『旧交』というほど親しくもないし、古い付き合いでもないのだが……。

 とりあえず、せっかくエマールに立ち寄る以上は、顔を出しておこうと思ったのだ。

 まだ彼女がエマールに滞在しているという保証もないが、わずか一ヶ月なのだから、いる可能性の方が高いだろう。もしも既に立ち去った後だとしても、宿屋で聞けば、何か話くらいは聞けるかもしれない。かなり強い女騎士だったから、街の人々の印象にも残っているのではないか。

 ラドミラは、そんなことを考えていた。


 宿屋の一階は、かなり開放的な、広々とした空間だった。そのほとんどは食堂兼酒場の大ホールであり、二階分の高さの吹き抜け構造となっている。いくつもの長いテーブルが並んでおり、満席には程遠いが、それでも多くの人々が飲み食いを楽しんでいた。

 チラッと見ただけでも、お腹が空きそうな光景だ。

「……ダメよ、食べるのは後回し」

 自分に言い聞かせながら、視線を背けるラドミラ。

 手前にある受付の方へ足を向けると、そこにいた黒服の男が声をかけてきた。

「いらっしゃいませ。お食事でしょうか、お泊まりでしょうか」

 痩身で髪は薄く、目も細い。貧相な印象だが、宿屋の主人なのだろう。

「今晩一泊、お願いするわ。それと、今すぐ食事もお願い。何か適当に見繕って」

 差し出された宿帳に記入しながら、ラドミラは、注文も済ませてしまう。部屋に行く前に、先に腹を満たしておこうと考えたのだ。

「ところで、リリアーヌって女騎士、知ってる? 真っ白な鎧を着込んでると思うんだけど……。まだ彼女、この街にいるかしら?」

 記帳を終えたラドミラが、軽い世間話の口調で尋ねると。

 宿屋の主人は、細い瞳を大きく見開いた。

「おやおや、またですか! お客様も、リリアーヌ様を探しておられるのですね!」

「……また? ……も?」

 少し眉間にしわを寄せて、聞き返すラドミラ。

 表情を戻した宿屋の主人は、今度は軽く微笑みながら、食堂ホールの奥を指差した。

「あちらでも、リリアーヌ様に用のある人が来ておりまして」

 言われて、そちらに注意を向けると。

 長いテーブルの端で、二人の女が何やら揉めていた。

 一人は、茶色の麻服を着た老婆。薄汚れた貧乏ったらしい格好であり、近隣の村から来た、という雰囲気だ。

 もう一人は、老婆に食事を邪魔されており、その手を振り払おうとしていた。白い清楚なローブを纏った彼女は、遠目でもわかるくらいに美しく整った顔立ちで……。

「……あ」

 ラドミラは、思わず驚きの声を上げてしまった。

 それに反応したかのように、白ローブの女が、こちらに視線を向ける。

「あら! ラドミラさんではないですか! これはこれは、ちょうど良いところに……。こちらに来て、助けてくださいませんか?」

 大きく手招きする彼女の方へ、ラドミラは歩き出す。

「やれやれ。リリアーヌに会うつもりで、まさかペトラに出くわすとは……」

 と、小声で呟きながら。


 魔法士ペトラ。

 補助魔法を得意としており、ラドミラとは流派こそ異なるものの、やはり超一流の魔法士だ。ラドミラも一緒に仕事をしたことがあるので、ペトラの腕前は認めている。

 ただし。

 甘い物に目がないスイーツ系だったり、微妙に勘違いの多い天然系だったり、「魔法士の世界でも美人は色々と得するらしい」と感じさせたり……。あまりプライベートで友人付き合いしたいとは思えぬ部分もあった。

 ここの宿泊名簿に記帳した際、ラドミラは、ペトラの名前を見てはいない。前のページにでも書かれていたのか、あるいは、ここでは食事のみで宿泊は別の場所なのだろうか。


 とりあえず、ラドミラが二人に近づくと。

 ペトラの横に立っていた老婆は、キョトンとした目をラドミラに向ける。ペトラの腕を掴む力も自然に緩んだらしく、その隙にペトラは、老婆の手を振り払っていた。

「こんにちは、ペトラ。こちらのおばあさんは、あなたの知り合い? 親戚かしら?」

「違いますわ! いきなり人違いされて、困っていたところですの!」

 もちろんラドミラだって、二人が親類同士に見えたわけではない。少し意地悪な冗談を口にしただけだ。

 苦笑しながら、ラドミラはペトラの正面に座る。

 テーブルの上に目を向けると、大きな皿が一つ。いかにもスイーツ好きのペトラらしく、焼菓子が山盛りになっていた。

 全体的に薄い茶色で、大きさは手のひらサイズ。基本的には丸いが、少しだけゴテゴテしている。ラドミラが初めて目にする焼菓子だった。

 ラドミラの視線に気づいて、ペトラは笑顔を浮かべる。

「おひとつどうぞ、ラドミラさん。シュークリーム、食べたことないでしょう?」

「これ、シュークリームって言うの? 変わった名前ねえ」

「外見に由来する名称ですのよ。あちらの言葉でシューは、キャベツを意味するそうですわ。ほら、そんな感じの形をしていますでしょう?」

 なるほど、このゴテゴテ感は丸まったキャベツを模しているのか。

 納得するラドミラだが、同時に、ペトラの発言には一つ引っ掛かる部分もあった。

「『あちらの言葉で』ということは……。これって、転生者が持ち込んだスイーツなのね?」


 転生者とは、別の世界からやってくる者たちのことだ。元の世界で一度死んでしまった後、生前の記憶を保持したまま、この世界で二度目の生を与えられるのだという。

 彼らの世界には魔法が存在しないが、代わりに科学技術が発達しているらしい。彼ら転生者がもたらす知識は、この世界の科学を発展させる上で大きく貢献しているのだが……。

 実際のところ、日常生活レベルで『発展』を感じる機会は少なかった。ラドミラが思い返してみると、食に関する『発展』が多いような気がするし、以前に転生者と関わった仕事でも、異世界の科学技術が最後には料理に転用されていた。


「そうですわ。いつも転生者の方々は、スイーツを美味しくすることに貢献してくださいますから……。きっと、あちらの世界には、素晴らしいスイーツが溢れているのでしょうねえ」

 遠い目をしながら、シュークリームを口に運ぶペトラ。

 せっかく勧められたのだから、ラドミラも一つ食べてみる。

 すると。

「うわっ、何これ。美味しいじゃないの……」

 サクッとした食感の薄皮の中に、独特の黄色いクリーム。

 もちろん、シュークリームというくらいだから、中にクリームが入っているのだろうとは思っていた。ペトラが好むくらいだから、甘いクリームなのだろうとも予想していた。

 しかし。

 確かに甘いことは甘いのだが、思っていた味とは全く違う。まろやかな口当たりなのに、クリームにはコクがあって、どことなく上品な香りもするのだ。

「そうでしょう?」

 ペトラが、嬉しそうに身を乗り出した。

「中に入っているのは、あちらの世界の製法で作られたクリームなのです。砂糖も含まれていますが、ポイントは卵と牛乳。さらに味付けと香り付けのエッセンスとして、ほんの少量のお酒を……」

「いや、そこまで聞いてないから」

 興味なさそうに、話を遮るラドミラ。シュークリームの美味しさには驚いたが、別に自分でこの味を再現するつもりはないので、材料や製法には関心を持てなかったのだ。

「あら、もったいない。私なんて、このシュークリームを食べたくて、エマールに来ましたのに……」

 いかにもペトラらしい、と思いながら、ラドミラは一応、ペトラの話に耳を傾ける。

「……こちらのおばあさんに捕まってしまい、困っていたのですよ。私のことをリリアーヌだと言い張って、放してくれないものですから」

 ペトラとしては、ラドミラに対する事情説明のつもりだったのだろう。だが、これは藪蛇だった。それまで硬直していた老婆が、『リリアーヌ』という言葉に反応。ハッとした顔で動き出し、またペトラの腕を掴んだのだ。

「そうです、リリアーヌ様です! あなた様こそがリリアーヌ様、つまり『白輝の剣聖』と称される騎士様なのでしょう?」

「違いますわ! ですから、その手を放してくださいな!」

 どうやら老婆は、他所よそから来た白服の女というだけで、ペトラをリリアーヌ――白鎧の女騎士――だと思い込んでいるらしい。

 ラドミラは、苦笑してしまう。

「それにしても……。『白輝の剣聖』だなんて、随分と大層な称号ねえ。リリアーヌとは仕事で一緒になったことあるけど、あの子、そこまで特別な騎士ではないわよ」

 ラドミラの発言で、再び老婆の動きが止まる。

 老婆は目を丸くして、信じられないという表情をラドミラに向けた。

「騎士様! あなた様は、リリアーヌ様とお知り合いでしたか!」

「一度だけ仕事した程度だけどね。でも、せっかくエマールに来た以上は、会っておこうと思ったんだけど……」

 ここの受付で、リリアーヌについて尋ねた際。

 彼女自身について教えてもらえるのではなく、こうして、彼女を探す老婆に引き合わされたのだ。

 ならば、もう彼女は、この街を去った後なのだろう。

 そう思いながら、ラドミラは一言、付け加える。

「……あと、一応、言っておくけど。私、こう見えても魔法士だからね」

 動きやすそうな茶色の皮鎧と、腰に備え付けたナイフ。それらの装備のおかげで、戦士系の冒険者や傭兵などと間違われることも多いラドミラだが、さすがに『騎士様』と呼ばれるのは初めてだった。

「リリアーヌと一緒に仕事したのも、騎士と魔法士のタッグで怪牛魔人ミノタウロスを退治した、って話で……」

「おお!」

 老婆のただならぬ叫びが、ラドミラの話を遮る。

「では、あなた様も、怪牛魔人ミノタウロス退治の英雄のお一人! ならば、あなた様こそが、私の探し求めていた救世主です!」

「……はあ? おばあさん、リリアーヌを探してたんじゃないの?」

 意味がわからず、ラドミラは眉間にしわを寄せるが……。

 老婆は、ペトラから手を放して。

 全身でラドミラの方へ向き直り、神妙な態度で、頼み込むのだった。

「お願いします、魔法士様。ケクラン村を救ってくだされ。ケクラン村は今、怪牛魔人ミノタウロスに襲われておるのです」

   

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