第8話 夕焼けの街でめしを食う

 ドップラー効果のような歪んだ音で、夕方5時の音楽が鳴り続けている。

 スマホを確認すると、12時40分だった。


 周囲の景色は一変していた。

 無人の商店街。建物から長い影が伸び、街灯がまばらに点灯している。

 鳴り続けている音楽を除けば、静かで無機質な場所だった。


「えー? なんだよこれ。どゆこと?」


 キョロキョロと辺りを見回す粕谷があまりにいつも通りだったせいか、いきなり見知らぬ街に放り出されたという異常事態にもかかわらず俺は妙に冷静になっていた。


「多分アレかな……神隠しに遭っちゃった的な」

「は? なんで?」

「なんでと言われても」


 粕谷にはとぼけてみせたが、原因はわかりきっていた。

 はい、俺のせいです。

 あの坂道に入った時から何かがおかしかった。恐らくあの時既に、俺の精神は異象に囚われていたのだろう。


 近くにカネザワさんの姿はない。最後に見たあのゾッとするような姿は、俺が見た幻覚だったのか、それとも……。

 いや、今はそれについて考えても仕方がない。

 この異常事態にガッツリと粕谷を巻き込んでしまったのは、ある意味では不幸中の幸いだったと言える。多分俺一人でこんなところを彷徨さまよう羽目になったら泣いちゃうからな……。


「まあいいや。オレもう腹減ったよー。なんか探そうぜー」


 俺が何か言う前に、粕谷は近くのコンビニっぽい建物に入っていってしまった。

 この異常な状況下で躊躇ちゅうちょなく自分の本能に従って動いてしまう行動力は素直にすごいと思うが、単にあいつが何も考えていないアホなだけとも言える。

 俺はあきれ半分の気持ちで粕谷の後を追った。


 店の中は一見、普通のコンビニのようだった。

 様々な商品が棚に陳列されていて、レジやATMのようなものもある。しかし店員の姿はどこにも見当たらない。

 BGMは店の外から聞こえてくる例の曲だけで、蛍光灯の白々しい光がやけに寂寞せきばくを強調している。

 俺はいつもコンビニでそうしているように、窓際に並べられている雑誌をひとつ手にとってみた。

 思いがけず、ずしりと重い。

 よく見ればそれは雑誌のような見た目をしているだけの、一枚の板だった。

 隣の雑誌を引っこ抜いてみると、それはちゃんと紙の束でできていたが、中身は絵のような写真のようななんだか分からないものと文字らしき記号がずらりと並んでいる、不可解なものだった。

 近くの雑誌や本を片っ端から開いてみると、書かれている文字はどれも、日本語でも英語でもなかった。強いて言えばハングル文字に似ているような気もするが、むしろ外国人がひらがなと漢字をそれっぽい雰囲気で真似たものだと言われた方がしっくり来る気がした。

 俺は雑誌を戻すと、そのまま飲み物が並ぶコーナーを通り過ぎて、ぐるりと回っていった。


 突き当りの角まで来ると、ようやく粕谷の姿を見つけた。

 床に行儀悪く座り込み、棚から菓子パンらしきものを掴んでは包装を開け、一口かじり、ポイと放り捨てるという作業を繰り返している。

 おいおいマジかよ……。

 俺は一瞬他人のふりをしようかと思ったが、ここが異界だということを思い出して踏みとどまった。


「お前なにしてんの……」

「いやさー、なんか変なんだよ」

「今この場所で一番変なのは粕谷だと思う」

「じゃなくて、このパン! パンっつーか……パンじゃねーんだよこれ」


 粕谷語はよくわからんと思いながら、俺もパンっぽいものを一つ手にとってみた。

 その場で包装を開けようとして、少しためらう。

 ここが異界だと分かっていても、見た目は普通のコンビニなのだ。コンビニの中で未精算の商品を開封するという行為にどうしても罪悪感を覚えてしまうのは、これはもう法の下で生きてきた人間ならば仕方のないことだろう。

 まあデフォルトで頭のネジが外れている粕谷はそんな常識などお構いなしに好き放題やっている訳だが……こいつ現実世界でも同じことするんじゃねーかなーなどと考えてしまって、無駄にヒヤヒヤする。


 念のため店員がいないかもう一度確認してから、思い切って封を開けた。丸いアンパンにしか見えないそれを押し出して鼻を近づけてみると、今までに嗅いだことのないような、形容しがたい臭いが脳天を貫いた。

 なんだろう、おいしいニオイのついた消しゴムが経年劣化して溶けたものに醤油と土をぶっかけて発酵させたみたいな……えも言われぬ臭いだ。ダメ。これはとても食べられないよ。

 別のパンを開封してみると、今度は無臭だった。

 恐る恐る口を近づけて、そっと歯を立ててみる。

 ぬるっ、と前歯が突き刺さり、舌の上に凄まじい酸味が広がった。


「っあえー……」

「おっ友紀、すげえベロ出てるぞ」

「なんだこれ……パンの形をした酸か……?」

「ペッ、こっちは粘土の味がする」

「粘土食ったことあんの?」

「ある。幼稚園の頃だけど」

「つーかダメだろこれ。見た目パンっぽいけど食い物じゃねーよ」

「いや、普通に食えるのもいくつかあったんだよ」

「マジ? どれ?」

「もう食っちゃった」

「こいつ……」

「だから探してるんだって。他にないかさー」


 見つけたら分けてくれよと言い残して、俺は別の場所を探索することにした。

 レジの近くに、弁当のような何かと、おにぎり的なものが棚に並んでいる。

 弁当のようなものは明らかにメタリックなおかずが入っていたので、先におにぎり的なものを手にとってみた。

 しかし、まず包装の開け方が分からない。ピッと引っ張ってぐるりと開けるあのギミックが備わっていないのだ。仕方ないので力づくでビニールを破る。

 てっきり海苔で巻かれていると思っていた中身は、直に触ってみると海苔ではなくただの黒い紙だった。

 これも剥ぎ取って、ようやく出てきた白い米らしきものをそっとかじってみた。

 プチッ、と米の粒が口の中で弾け、甘い蜜がトロリと流れ出した。

 プチプチ。噛むたびに米が弾ける。

 甘い。ものすごい甘さで口の中がうんざりするのと同時に、ビジュアル的に無数の白い幼虫を噛み潰しているように思えてきて、若干気分が悪くなった。

 しかし、食えなくはない。こういうデザートと考えれば……全然美味くはないけれど、少なくとも腹の足しにはなる。


 甘すぎる口の中をさっぱりさせようと、来た道を戻ってドリンクらしきものが並ぶコーナーまでやってきた。

 ずらりと並ぶペットボトルの中に液体が充填じゅうてんされている。ここまではいい。問題は、中身がどんな液体かということだ。

 下手をしたら硫酸やニトログリセリンだった、なんてこともあり得る。なにしろ、ここは常識の通じない異界なのだから。

 色のついているものは避けて、なるべく水っぽいものを選んだ。ところが、またしても開封できない。キャップがボトルと完全に一体化していて開けられないのだ。

 いくつか調べて、どうにか普通に開封できるものを見つけた。キャップをひねり、開ける。ドブ川の臭いがする。そっと元の場所に戻す。

 そんなことを何度か繰り返して、ようやく普通に飲めるものにありついた。


 無駄に疲れたが、その頃には何故か分からないけど、ぼんやりと商品を見るだけでそれが安全なものかどうか判別できるようになっていた。

 これは急に勘が鋭くなったという訳ではなく、恐らく俺がこの異界に慣れてきたせいで、見た目以上の情報を理解できるようになったということなのだろう。

 異象への親和性が高いとこういう利点もあるのか、と妙に関心してしまった。


 ただ、体に害のないものを判別できても、味までは分からない。

 そこで俺は適当に食えそうなものを集めてきては片っ端から粕谷に与え、リアクションの良かったものを引ったくって腹に収めることにした。

 これは我ながら画期的な方法だった。

 今後も食料調達の際には積極的に活用していきたい。


「んで……これからどうするー?」


 腹がいっぱいになってようやく、俺たちは自分たちの置かれた状況を客観的に見ることができるようになった。


「とりあえず歩こう」


 遭難したり迷子になった場合はその場から動かずに救助を待つのが正解なのだろうけど、今回は事情が違う。

 前回、兄貴と一緒に飛ばされた異界で、兄貴はその場に留まらずにすぐに移動を開始していた。そして異界同士をつなぐ穴のようなものに落ちることで元の世界に帰ることができたのだ。

 今回も同じように出口を探して移動するべきだろう。


「歩くかー。んじゃ、どっちに行く?」


 商店街の大通りは、俺たちの後ろと前のどちらにも、どこまでも続いていた。

 横道に入れば住宅街につながりそうだが、こちらはいかにも迷いそうだ。

 少し考えてから、俺は自分の直感を信じることにした。


「……あっちだな。太陽が沈む方」


 今にも沈もうとしているオレンジ色の太陽。

 俺たちがコンビニに入ってから少なくとも30分は経過しているにもかかわらず、あの太陽の位置は全く変わっていない。まるで時間が止まっているかのようだ。

 俺の直感は、あの太陽の方角へ向かえと告げていた。

 明らかに怪しさ満点の、この世界の象徴が鎮座する方角へ。

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