第26話 市中菓子談義②

 次に回ったのは屋台だった。

 良い香りがする、と思ったらその方へとリョセンはサボンを連れていった。

 高く深く、厚手の布で屋根を作った屋台の主人は、鉄板の上でひっきりなしに手を動かしていた。

 卵と粉で作った薄い――― 本当に薄い「皮」を注文が来れば焼き、その横に居る少女が何かしらの果物煮を中にくるんでは巻き、最後は木の葉ではさんで渡す。


「こういうのを見るのは初めてです」

「さすがに持っていけるものではないからな」


 近くの石段に座って、熱々のものを楽しそうに頬張る客も居れば、そのまま食べながら歩いて行ってしまう者もいる。

 行儀が悪い、とサボンの中でつぶやくものもあるが、よく考えれば最近のアリカの食べっぷりも褒められたものではない。

 ともかく調べ物やらの合間に、腹が減るとばかりに茶と共に何かしら出している。当人に言わせれば、「そんなこと言われても食べなくては私が飢えてしまう」とのこと。腹の子が相当の滋養を欲しがっているのだ、と言っていた。

 先日の茶会用の菓子を決めるためのものも何だかんだ言って全て平らげてしまったものだし。さすがに付き合っているサボンは途中で投げ出した。


「甘いものでも駄目ですか?」

「甘いものだから駄目なのよ」

「それは面白いですね」

「甘味だけじゃ口がおかしくなってしまうの」


 ―――ということで、この日は菓子と言っても、甘くないもののヒントも探さなくてはならなかった。


「ほら」


 そう考えているうちにリョセンは木の葉包みを一つサボンに渡す。


「本当に薄い」

「ここの主人の郷里では、布より薄く焼けないと一人前ではないと言われていると聞いたことがある」

「凄いわ」


 そう言いながら無造作にリョセンは自分の手の中のものに食いつく。ふわり、と香ってきたのは、何処か香ばしい―――


「リョセン様、その中身は何ですか?」

「さっきの店が甘すぎたから」


 中に入っていたのは、肉味噌にねぎをまぶしたものだった。


「菓子ではなく、それじゃ食事じゃないですか」

「ああ、ここの屋台で食事にして行く者も多いぞ」


 彼が指す屋台の内側にはもう一人女性が居た。


「貴女の持ってる果物煮を包んでいるのが娘、こっちの具を作って入れているのが奥方だ」


 ひょい、とサボンは娘の斜め向こうに居る方へと視線を移す。腕まくりをして、大量の肉や野菜や油を炒めている姿が目に入った。


「……それ、味見、してもいいですか?」

「……」


 リョセンは自分の手の中のものを指すサボンに、それまで無かったくらいに目を広げて見せた。

 いけませんか? とサボンは首を傾げる。


「い、いや」


 差し出すと、そのままぱく、とサボンは食いついた。むしゃむしゃ、と勢いよく彼女は噛みしめる。


「うわ、確かにさっきまでの甘味が一気に消えますね。こちらもどうぞ」

「……い、いや」

「ひょー、お熱いことで!」


 屋台の中の娘がにやりと笑ってそう声をかける。

 え、とサボンは自分が何をしているのか、その時ようやく気付いた。


「あ、あの……」

「ともかく座ろう」


 耳まで赤くなっている大男の後頭部など、サボンは見るのが初めてだった。そしてちら、と見た屋台の中の娘は軽くサボンに手を振ってきた。


「男をそうそうからかうんじゃないよ、女官様」

「からかってなんか……」

「あの御仁はお得意なんだ。わざわざ連れてきたってことは……ねえ」

「そちらこそからかわないでくださいっ」


 さささ、とリョセンの元へと彼女は向かう。


「すみません、何か私、結構浮かれていたようで」

「いや、まあ、俺も」


 いつの間にか手の中にあった巻き皮は影も形もなくなっていた。手持ち無沙汰から、サボンは自分のものに口をつける。


「……うわ」


 これまた驚いて、口に手を当ててしまった。


「甘いことは甘いんですが、結構酸味が効いてますね!」

「……ああ、疲れている時に、この酸っぱさがいい」

「ここまで酸っぱいと、甘さがくどくないです。そう言えば、こういう味は私初めてですわ」

「そうなのか?」

「将軍様の家では甘いものは女しか食べなかったし、宮中はここまで酸味を効かせませんもの」

「何故か判るか?」

「いえ」

「酸味は案外毒と相性がいいんだ」


 え、と思わず巻き皮を取り落としそうになった。


「で、でも女君には毒は効かないって」

「俺はそちらの事情はよく知らない。が、宮中というのは、何かとその立ち位置が内部で左右されるところだろう。暗殺の危機も何かとあったと聞く」


 そうか、単に今のところ自分は様々な運と、アリカという「毒の効かない皇后」のもとに居たから安全だった部分もあるんだ。サボンは今更の様に気付いた。

 いや、アリカはとうの昔に気付いていたろう。ある時、やや怪訝な顔で「これは全部自分がもらう」と言って菓子を一人で全て食べてしまったことがある。

 その後で女官長と配膳方筆頭のタボーが呼ばれたことがあったが―――成る程そういうこともあったのかもしれない。

 未だに自分はアリカに守られているのだ。


「どうした?」


 手の中の巻き皮がなかなか減らないのを見て、リョセンは訊ねた。


「私、本当にそういうことも殆ど知らないんだな、と思ったら情けなくて」

「何かあったかどうか、確かめてみたのか?」

「いいえ。皆様私の見えないところで解決して下さったみたいで……」

「事情が今一つ掴みにくいな」


 かと言って、全て話す訳にもいかない。


「私より女君の方が様々な面でお強いのですから、どうしようも無いことは多々あります。だけど何もしないというのは……」

「だが強い者が弱い者を守るというのはありだ」


 え、とサボンは顔を上げた。


「貴女の女君がどうしようもなく『強い』のなら、身近な誰かを守ろうとするのもまた当然なのだろう」

「そんな都合のいい考え方……」

「だったら聞いてみるがいい。そういうことがあったのか」


 サボンはそれにはしばらく黙って、果物煮の酸味に目を細めることに集中した。

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