第55話 タブー

「あらあら、ショックが強すぎたかしら」


 ようやくキスをやめたドラゴニアは、気絶したベルゼルムを眺めて愉快そうに笑った。


「これで諦めてくれるわね。それじゃ帰るわよ」

「ひゃ……ひゃい」


 完全に骨抜きにされぐったりしている俺を、ドラゴニアが担ぎ上げた。

 しかし、去ろうとする行く手に、ルルイェが立ち塞がる。


「タケタケ返して」

「やーよ。あなただって、私の大切なフィギュアを盗んだじゃない」

「タケタケ返して!」

「嫌だつってんのよ、チビすけ。どきなさい、泣かすわよ」

「むぐっ……」


 ドラゴニアに凄まれて、ルルイェが涙ぐむ。

 それを鼻で笑って、ドラゴニアは跳躍した。

 空中でドラゴン形態になり、俺を連れて飛び去っていく。




「ルルのヤツ、追ってこないわね」


 ドラゴニアはゆったりと飛びながら、山の中腹まで来ていた。

 真下には分厚い雪が積もっている。


「ねえ、それなんのつもり?」


 ドラゴニアの爪に掴まれながら、俺は袖で口の周りを必死になってゴシゴシ擦っていた。


「……いくらなんでもひどくない? 私だって傷つくわよ?」

「ちがいますって、ドラゴンのよだれって猛毒なんでしょ? 舐めたら死ぬってアイシャさんが……」

「はぁ? そんな不潔な連中と一緒にしないでくれる? 殺すわよ」

「……いででっ、強い強い、潰れちゃうっ!」


 俺を掴む爪が強まって、危うく口から内蔵が飛び出しそうになる。


「私のキスには呪いの力があるけど、魔力を持たないあなたには利かないわ。だいたい、それで死ぬなら、最初のキスで死んでるでしょうが」

「たしかに!」


 じゃあやっぱり舐めてもよかったんだ!

 くっそう、もう拭いちゃったよ!

 美女のよだれ、さらば!


「ちなみに普通のドラゴンのよだれには毒があるんですか……?」

「そうね。ドラゴンによるけど、数百年歯磨きもしてない連中よ」


 ……そいつはやべえ。


 ドラゴンにも色々いるんだな。

 ちなみにコモドドラゴンも牙に毒を持っている。これ豆な。


「ねえ、あなた恋した事ある?」


 ドラゴニアが急にそんな事を尋ねてきた。


「ありますよ。十や二十じゃ足りない程度には」

「? 恋って、一生に一度じゃないの?」

「真面目かっ!」


 ボケたのかと思ってつっこんだが、ドラゴニアは本気で怯む。


「だ、だってマンガだと、だいたいそんな感じじゃないのよ」

「フィクションの世界には夢が詰まってるんで。そんな運命的な恋愛ができたらいいなぁってみんな思ってはいるけど、現実はなかなか上手くいかないって話で……」

「ふぅん」

「……ドラさん、恋愛経験は?」

「ない。だって、他にドラゴンなんて滅多にいないし。いても、ろくなのじゃないのよね。ようするに、出逢いがないのよ」


 合コンに足繁あししげく通うOLさんみたいな事を言ってる。


「じゃあ物は試しに、ベルゼルムと付き合ってみては……」

「はぁ? やめてよあんなダサいヤツ。私のセンスが疑われるじゃない。死んでもごめんだわ」


 死んでも、か。あなたを殺せる者が、この世界にいるんだろうか。


「ま、私に釣り合う男なんて、世界中探してもいないでしょうね」

「そういうもんですかねぇ。好きになっちゃえば、釣り合うもなにもないと思いますけど」


 俺の豊富な恋愛経験では、釣り合わない者同士の恋も多かった。お嬢様と庶民だったり、秀才の委員長と成績最下位な不良だったり、ドラゴンと冒険者ってのもあったな。


「そんな事言ってたら、一生彼氏できませんよ」

「いいわよ別に。私にはこたつとマンガがあればいい」


 完全なヒキコモリ思考だな。

 俺も人の事言えないし、悪い事だとも思ってないけど。

 足りない人生のピースは、ゲームとアニメとマンガとラノベとネットとその他諸々が埋め合わせてくれるんだから、しんどい思いをしてまで他人と関わる必要なんてないのだ。


「そういえば、あなたルルのタブーを知ってる?」

「タブー? 前に享楽の魔女とか言うヤツが、世界の趨勢すうせいに関わる事だって言ってましたが」


 ちがってたらしいけど。

 するとドラゴニアは、おかしそうにクスクス笑った。


「あの子のタブーは“成長する事”よ」

「成長……?」

「だから、あんなにちんちくりんなの。ウケるでしょ~?」


 そうだったのか。

 だからルルイェの胸は、どこまでも続くモンゴルの平原のように真っ平らなんだな。


「ぷくくく、あーおかしい。あの子がもし恋なんてしようものなら、どうなっちゃうのかしら」

「どうかなっちゃうんですか?」

「お子ちゃまから、ちょっとは成長しちゃうんじゃない?」


 恋愛する事で、精神が成長するって事か。


「そしたら力を無くしてしまうわね。世界最強クラスの魔女から、ただのちんちくりんのヒキコモリのつるぺたになっちゃうわ」


 今でもただのちんちくりんのヒキコモリみたいなものだから、あまり変わらない気もする。

 何がそんなに面白いのか、ドラゴニアはずっと笑っている。

 やっと笑いが収まると、目尻の涙を拭いた。


「ま、あの子に限ってあり得ないわね。それこそ、釣り合う男が――」


 ドォォォゥゥン!!!!


 突然、重力が何倍にもなったような衝撃と共に、ドラゴニアが落下した。

 立て直す暇もなく、積雪を巻き散らし地面に激突する。

 俺も放り出されたが、雪のクッションで無事だった。


「大丈夫っすか、ドラさん! 急にどうしたんです?」

「うぐぐぐ…………結界が強まった…………」


 ドラゴニアの力を封じるために魔王軍が張ったという結界が強まったらしい。


「ベルゼルムがやってるのか……?」


 まさか、フラれた腹いせ?

 見損なったぜベルゼルム! 図体でかいくせに、やる事はちっさいなぁ!


「いいえ、ちがうわ……あいつにそんな力はない」


 早とちりして心の中で思い切り悪口を言ってしまった罪悪感で気まずくなりながら尋ねる。


「じゃあいったい……」

「ルルよ……間違いないわ。あの子がベルゼルムの結界に手を加えて出力を上げたのよ」


 ドラゴニアの体が、どんどん雪にめり込んでいく。

 まるで上からもの凄い圧力で押さえつけられているみたいに。


「こんな事なら、のんびり飛ばずにすぐ帰ってればよかったわね……」


 セコムがある家の中なら、結界の力が強まっても安全なんだろう。


「どうすればいいですか?」

「あなたにできる事なんてないわ。いいから、さっさと逃げなさい」

「でも俺、ドラさんの奴隷だし。離れたら二週間で死ぬんで」

「これは命令よ。だから、私からいくら離れても契約違反にはならない」


 命令された場合、そちらが優先される。


「何してるの、さっさと行きなさい。じきここへ魔王軍が来るわ」

「嫌です」


 ズキィッ!?


「いでえっ!?」


 左手に激痛が走った。

 『反逆カウンター』がカウントされたのだ。

 数字はあといくつ残っているのか。恐くて見る事ができない。


「……今、魔王軍にこられたら、いくらドラさんでもヤバイでしょ」

「あなたがいても同じよ。盾にさえならないわ」

「なれます。十五分だけなら」

「?」


 俺は、ポケットに忍ばせていた小瓶を確かめた。

 割れてない。ちゃんと三本とも無事だ。

 話している間にも結界は強まり、ドラゴニアは口を開く事さえ辛そうだ。


「本当におかしな人間だわ……。私が殺されれば、あなたにとっても得じゃない」

「俺にとって何が得で何が損かは、俺が決めます!」


 もう二度と、自分を裏切らない――


 それは、俺がこの世界へ来る時に欲した三つの願いの一つだった。


「来た。……早いなあいつら」


 角の生えた赤い鱗のリザードマンを先頭に、完全武装したリザードマン部隊が斜面を駆け登ってくるのが見えた。


「ルルたんとハンバーグ食いたかったな……」


 俺はドラゴニアを背に庇い、マル秘ポーションの小瓶を一本煽った。

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