土、機械、私

丘村ナオ

第1話

「何かこういう関係の仕事をしているんですか」


 昼休み明けにヘルメットを被りながら教習場に向かう途中、会社で中堅を担っていそうな30代の男性に聞かれた。10人ほどのクラスで女性は私だけ、たぶん見た目にも異質な感じは受けるだろう。


「いえ、ただ興味があって。仕事はライターなので全然関係ないんですよ」


「もしかして資格マニア?」


「いえ、マニアではないです」


 男性は話の接ぎ穂を失ってしまったようでそのまま黙々と並んで歩いた。話しかけてくれたのはありがたいけれど、理由を尋ねられると困ってしまう。


 その日は「車両系建設機械運転技能講習」の3日目、私は油圧ショベルカーの技能免許を取りに川崎にあるコマツ教習所に通っていた。


 油圧ショベルカーが気になり出したのは中学生の頃だった。いつも使っている最寄り駅前で大々的な建て直し工事が行われていて、毎日ダンプカーやブルドーザーが整地に走り回っていた。


「少しは駅が広くなるのかなあ」


 高所のプラットフォームからは工事の全容が見えるので、電車を待ちながら眺めているのが常だった。その中で私の目を引いたのが油圧ショベルカーだった。


 地面に穴を掘り、土を持ち上げ、旋回して横に積み上げる。その山を均して平らにするショベルの動きがまるで人の手のようだ。柔軟な手首が滑らかに動いてシャベルの甲がさらっと山を払う。山の頂を崩した後は目的の低さになるまでショベルが丁寧に前後して平らにする。


「へええ、機械なのにあんなに柔らかく動くんだ」


 鉄の塊のはずなのに、人の片腕がそのまま大きな土を動かしているようでしみじみ見惚れてしまった。


「あれを一度やってみたい」


 この願いは30年後にやっと叶った。


 キャタピラーを踏みながら運転席に座り、シートベルトを締める。乗用車ではあり得ない高さから地面が見え、頭上からバケットといわれるショベルつきのアームが伸びている。


 昔からロボットアニメの操縦席が大好きだった私は、ここに座るだけで「来てよかった……」とため息をついた。でも感動している場合ではない。これを動かして課題をこなし、試験に合格しなければならない。


 運転席の足元には長いレバーが2本あり、これで右と左のキャタピラーを前後に動かす。移動したいときに使うレバーだ。運転席の右と左にはさらに十字レバーがあり、これでアームとバケットをコントロールする。


 土を掘るにはいくつかのプロセスがある。アームを伸ばす、アームを下ろしながら中関節を曲げる、バケットが地面についたらグッと中に押し込む、そのままアームとバケットを同時に引き寄せ、持ち上げる。工事現場では旋回してダンプに土を載せる作業も加わる。


 30年前に「なんて滑らかなんだろう」と感動した動きの元は分かった。でも滑らかに動かすまでの道のりが長すぎる。まず土が掬えない。


 バケットのツメが地面に刺さったら、右の十字レバーを動かして手首を返す。土の軟らかさ、目的の深さ、レバーのほんの数ミリの動きの差で結果が全然違う。アームは左の十字レバーの前後で動かす。変なタイミングでアームを伸ばすと土が落ちてしまう。


 運転席は一人なので誰も助けてくれない。「ぬお」「うわ」と声を上げながら基本課題の「土の持ち運び」を果たそうとする。


 土木系の仕事をするクラスメートばかりだったけれどバケットに慣れている人は少なく、みんな苦笑いしながら降りてくる。気持ちは分かる、笑うしかない。


 ひと通りみんなが体験すると同じ機械に先生が乗り込んで、掘った穴をパパッと埋めて「はい」と次の課題に移っていく。ああ、油圧ショベルをツールとして扱うとはこういうことなんだな。やっぱり今回の講習で行けるのは、油圧ショベルを使う人の入口までだ。


 休憩中に、初老のベテラン先生と話す機会があったので聞いてみた。


「私がこの資格を取って仕事につなげられることはありますk」


「ないね」


 質問を言い終わる前に食い気味で返ってきた。


「資格マニアでたまに取りに来る人はいるけれど、これで仕事はできないよ」


 話を聞くと納得した。土木系の会社から仕事のために免許を取りに来た人は、免許が交付されたら次の日から現場で作業する。先輩から教えられながら毎日何百回も穴を掘ってダンプに積み、どんどん巧くなって職人になる。私のようなライターがちょっとした興味で数日触ったところで、太刀打ちできるわけがない。


 それでもこの講習は私にとって大事な体験になった。30年来の「やってみたかった」が叶えられただけではない。5日間の講習で日頃の雑念がすっきりさっぱり落ちたからだ。


 この数日はひたすら「土、機械、私」「土、機械、私」の関係しか考えていなかった。それ以外のことを考えていたら試験に落ちてしまいそうだった。もしかしたら宗教的な修行の効用も同じところにあるのかもしれない。


 おまけのような清々しさを感じつつ私は無事に講習を卒業した。

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土、機械、私 丘村ナオ @naiyang

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