終章
111話:終章 その後
世界樹が折れて、二年が経過しました。
わたしたちは平穏を取り戻し、今まで通りの穏やかな日々を――
「いたたた! 痛い痛いですって、死ぬ! マジ死ぬからやめるのです!?」
「そんなこと言っても仕方ないでしょう? ほら、もっと力を入れるのですわ」
えー……絶賛、命が大ピンチです。
膨らんだお腹がボコボコと蠢き、内部で暴れているのが、外から見てもります。
そう、オークの体液から抽出した排卵促進剤を完成させた結果、わたしは妊娠に成功、数時間前から陣痛と戦っています。
すでに破水も起こり、あとはいきんで産み落とすだけなのですが……わたしにとって、それこそが最大の山場。
黄金比を封じ、妊婦体型になったはいいけど、絶対的な体格差という物はいかんともしがたいのです。
「ほら、もっといきんで!」
「無理無理無理無理! そうだ、こういう時こそアレです、ヘイフリット限界? 違うえーと、サマーズ、そうサマーズ法!」
「ラマーズ法やろ?」
庵の一室をお産の為に隔離し、徹底的に消毒。
ついでに、こういった経験もあると言うマリエールさんに助産婦に来てもらいました。
オマケでレヴィさんも付いて来たのは……まあ、想定の範囲内です。
「弛緩とか拡張とか無理だし! ヒギィって言っちゃうぅぅぅ!」
「もう、仕方ないですわね。確かにこの身体では負担が大きいのは確かですし、魔術で補助しますわ」
マリエールさんがそう宣告した直後、わたしの身体からあらゆる力が抜け、痛みが消えました。
「鎮痛と弛緩、それに麻痺の魔術を使用しましたわ。今から強引に取り上げるので覚悟なさい」
「は、ぁ、へ……?」
人間、お腹の中に手を突っ込まれると言う経験は、人生にそう何度も無いと思うのです。
◇◆◇◆◇
「ユーリは大丈夫だろうか……いや、もちろん子供も心配だが!」
「落ち着いてくださいよ、ハスタールさん。熊みたいにウロウロしてたらこっちが落ち着かなくなっちゃう」
「そうは言ってもな、マール君」
部屋の前でウロウロ動き回るのをやめることはできない。
落ち着けと言われたって無理だ。ユーリの体格では明らかに出産は不可能なのだから。
不死ということで強引に妊娠に踏み切ったはいいが、やはり心配の種は尽きない。
こうなるとソファにドンと鎮座してるマール君の方が、経験豊富のように見える。
いや、そのわずかに膨らんだお腹を見れば、もちろんそうなのだろうが。
彼女の出産も、あと半年ほどか。
「でもあそこまで騒いでると、わたしの方も不安になっちゃいますね」
「ユーリは痛みに強くないから」
状況適応と黄金比。ユーリの耐久力と再生力を司るギフト二つを同時に封印しないと、受胎しなかったのだから仕方ない。
そして状況適応による苦痛耐性が無い今、彼女は正に死ぬほどの痛みを味わっている事に――
「ああ、やはり状況適応だけでも封印を外すべきだったか!」
「そんなことしたら、赤ちゃんが死んじゃうでしょ。師匠、取り乱さないでくださいよ」
マールちゃんの横で、彼女の肩を抱いているアレクは余裕の表情。
見てろよ、半年後はお前の番だ。
ウロウロ、ウロウロ。そわそわ、そわそわ――
どれ位扉の前を往復したのか判らなくなってきた時、その声が響いてきた。
「おああぁぁぁ! ふぎゃあぁぁぁぁ!」
「産まれた!?」
「ユーリさん、息をしなさい! 心臓は!?」
「あかん、止まっとるで」
「ユーリィィイイィィィ!!」
俺は我慢できずに部屋に飛び込んでいった。
◇◆◇◆◇
わたしが目を覚ましたのは、ハスタールの寝室でした。
次第に『死ぬ』前のことを思い出して――
「赤ちゃん!?」
「ここにいるぞ」
窓際に置かれた揺り椅子。
そこにハスタールが赤子を抱いて、座っていました。
いつものように落ち着いた物腰に、わたしは安心を覚えます。きっとこれからも、ずっとそうでしょう。
「よく頑張ったな。ありがとう」
「いえ……その、こちらこそ?」
赤ん坊は彼の腕の中ですやすやと眠っていました。
「この子の名前、ユーリは決まったか?」
「ハスタールこそ、決まったのですか?」
子供を産むにあたって、わたしたちは散々名前を議論しました。
沢山候補を出して……出しすぎて、決められませんでした。
「そもそもわたし、その子が男の子か女の子かすら知りませんよ?」
「そういえば、そうだったな」
落ち着いているようで居て、うっかりな体質も、きっと変わらないのでしょう。
「元気な男の子だ。生まれてすぐに哺乳瓶を一本空けるくらいな」
「ハスタールに似て、酒豪にならなければ良いのですが……そうですね、『アスト』という名はどうでしょう?」
Astro、宇宙飛行士という意味でしたか? 窓の外に広がる夜空を見て思いつきました。
そして、少しだけ日本風な印象も混じらせて。日本語で表記するなら明日人(あすと)と書くのでしょうかね。
空を駆けるほど自由に、未来に届くほど自由に、いつかわたしの故郷にすら……まあ、それはさすがに無理でしょうが。
「ふむ、悪くないな。それに決めようか。今日からお前はアストだ」
彼がアストを見下ろし、大きく椅子を揺らしたのが気に入らなかったのでしょうか?
アストは目を覚まし、少しムズがり始めました。
「ハスタール、ミルク入れてきてくださいますか?」
「俺がか? 少し手放すのが惜しいんだが……」
「わたしはまだその子を抱いたことが無いのですよ! ちょっとくらい譲ってください」
彼はどうも親バカの気配が有るようですね。
今わたしは黄金比も状況適応も入れなおしています。
そのせいで体型は妊娠前まで戻り、結果として乳が出なくなってしまいました。いや、そもそも吸えるほど無か――なんでもありません。
なのでアストは、牛や山羊の乳で育てることになるでしょう。
身体を起こしたわたしにアストを預け、ハスタールが寝室を出て行きます。
小さな手、小さな頭。わたしにそっくりな銀髪と紅い目。
あまりハスタールには似てませんね?
「まあ、美少年に育ってくれれば、お母さんは嬉しいのですよ?」
「ユーリちゃんはショタ好みやったっけ?」
ハスタールと入れ替わりに入ってきたのは、レヴィさんです。
飲み物を持ってきてくれたのでしょうか、両手にカップを持っています。
「どうもわたし『も』親バカみたいなのです」
「そか、元気そうでよかったわ」
「マールちゃんたちとマリエールさんは?」
「マールちゃんは村に帰ったで。マリエールは疲れて寝とる」
「……厄介な患者で済みませんでしたね」
「ええやん。ウチらの仲や」
彼女は手に持った片方のカップをわたしに渡してくれました。
中には果実水。魔術で出したのでしょうか、氷まで入ってます。
「今更やけど、ありがとな。いろいろと」
「……感謝のお礼は別のモノで表して欲しいですねぇ」
「なんや、欲しいモン、あるのん?」
「真実を」
わたしの言葉に、一瞬口を閉ざすレヴィさん。
「レヴィさん……『転生者』ですよね?」
「なんでそう思たんかな?」
「レヴィアタン――リヴァイアサンという幻獣はこちらにも居ますが、この幻獣をそう発音する習慣はこの世界にはありません」
初めて聞いた時から、疑問に思っていました。
「そうかな? マタラ合従やラウムの方言の可能性も……」
「ありません。コームの街のフォラスさんのところで調査済みです」
ヘブライ神話の魔獣。ティアマトの子。アレクが戦ったあの蛇神とはまた違うのでしょうけど。
それに、あの古書店の情報量なら、まず間違いは無いです。
盗賊ギルドとやらにも繋がりはあるそうですし、世界でもっとも情報に通じてる場所と言えます。
「わざわざコルヌスで怪盗騒ぎを起こしたのは、引き篭り気味なわたしを引っ張り出す為ですか?」
「はぁ……まあ、せやなぁ。フォレストベアの連中も来とったしな」
「一年で、ベリトからコルヌスに移動し、怪盗騒ぎを起こし、再びベリトへ……無駄が無さ過ぎましたね」
「時間が無かってん」
カップを持ったまま、器用に肩を竦めて見せる彼女。
「で、神様はなんと言って送り出してきたんです?」
「ぶふっ!?」
「タイミング良すぎなんですよ。わたしが転移し、マサヨシが後を追うように現れた。同時期にわたしをマサヨシと争わせるように動くあなたも現れてる。ここに意図が無いと考えない方が難しいです」
「怖い子やなぁ。それだけで?」
もちろん違います。
神才のあの育て方は、魔術のスペシャリストの相手をするのを前提にした物。そして魔術の効かない相手にも対応した物と言えます。
ハスタールのような『例外』を除いて、ギフトは生まれた時より持ち合わせるものです。
彼女の様な歪な育て方は、普通ありえません。
つまり彼女はわたしたち以降の転生者であること。そしてわたしたちと争うことを前提として動いていると推測できます。
こちらにわたしたちのような転生者が複数いると知っていて、なおかつ、互いに喰い合わせるかのように動ける存在。
――神の介入しかありえません。
わたしがそう告げると、彼女は呆れたように口を開きます。
「この世界はな……世界樹への信仰心が強すぎんねん。余りにも一極独裁。それがどれほど危ないかは、ユーリちゃんならわかるやろ?」
中世ヨーロッパで仏教を広めるようなものですかね。
少数は大多数に押し潰され、黙殺され、そして消される。現に水神信仰や太陽神信仰は、消滅寸前だった。
「異界に介入するのは規則違反やねんけどな。余りに偏りすぎてて、多様性に欠けすぎてた。それに……」
「それに?」
「ウチらかて野心が無いわけやないしな」
「宗教戦争は勘弁してくださいよ?」
ニヤリと嗤う彼女に、寒気すら覚えて返すわたし。
確かに彼女は神にも匹敵する魔獣。ならばこの世界で神になることも、可能だろう。
もっとも、その力は転生に際して大きく削られている様子だけど。
「そんなつもりはあらへんよ。ただ、目の前にあるでっかい樹ぃより、『神様』って概念を信じてくれたらええねん。そうすれば、他にも新しい神様が生まれる余地もできる。それにウチはまだ天使見習いやし」
「さすが海獣リヴァイアサン、大物ですね。なるほ――ん? 見習い?」
確か私の死んだ原因って……まさか……?
「そやねん、ホンマやったらユーリちゃん、いや
「マサヨシも、ですか?」
「そやね。奴がこの世界に来るのは確定事項やった。でもそれはこの世界にとって猛毒や。で、神様はユーリちゃんの事故を利用してん。まあ後々のことを知っとったから、色々と画策したわけや。おかげで天使見習いは廃業してもうたけど」
「ちょっと神様ぶん殴らせてください」
「ヤメテ!? いや気持ちはわかるけどな。せやからウチがこっちに転生したんや。マサヨシが暴走したら、止めるように。世界樹を破壊して信仰のバリエーションを増やすように。そしてユーリちゃんの幸せをサポートするように。ちょっと遅かったけどな」
「でも、神や天使の座を捨てて転生とは……」
「元を正せばウチのミスやしね。うまいこと利用されたマサヨシはええ迷惑やったやろうけど。まあ、大半は自業自得か」
あれだけ好き勝手して、アルマさん他、多大な被害も出た。
確かに自業自得ではありますが、バカを利用されていたとは……哀れな。
「ウチのことはまあ、死んだら元の鞘に戻るだけやし、気にせんでええよ。それにもう一つの目的も達成したしな」
「もう一つの目的?」
「わかったやろ? 自分の『死に方』」
「――っ!?」
マサヨシを倒した手法は、言い換えればわたしにも通用するものです。
つまり彼女は――
「不死のわたしが、死にたい時に死ねる方法。それを教えるために?」
「ウチが教えるまでも無かったけどなぁ。ま、アフターケアやと思て」
そう言ってヒラヒラ手を振りながら、扉に向かう彼女。
「さて、これで全部かな? じゃウチはちょっと眠らせてもらうで」
「……ええ、おやすみなさい」
衝撃から覚めやらないわたしは、その後姿を見送ることしかできませんでした。
「『死に方』ですか……」
ギフトを封じれば、わたしだって死ねる。
ですが、そんなのはまだまだ先のことです。
「この子が大きくなるまで、死ぬわけには行きませんしね」
わたしの腕の中で安心して眠る我が子を見て、クスリと微笑みます。
レヴィさんも余計な気遣いをしたものです。
「ユーリ、ミルク入れてきたぞ。だからアストを俺にも抱かせてくれ」
扉を開けて、そそくさとハスタールが戻ってきました。
「ダメです、今わたしは『女』の幸せを堪能している所なのです」
死のうと思うのは、きっとまだまだ先ですね。
今はこの『幸せ』だけで、お腹一杯なのです!
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