Jazz club SMOKE

紫煙

第1話 Jazz club SMOKE


 女が好きだ。やわらかいカラダと澄んだ声、芯の強さ、母性、どれも男にはない美しさだ。自分にないものは、欲しくなる。女性を構成する細胞のひとつひとつすら、たまならく愛おしい。

 俺は、女が好きだ。


「ハロー。今日も渋いっすね」

「Hi. お前も元気だな」

「わかります? 実は二次オーディション通過しちゃって。気合い入りまくりですよ!」

「Geez...やるじゃないか。Mr.K」

「へへ。センキュベリマッチ」

「仕事が終わったら、景気づけに一杯どうだ?」

「ンー。すんません、喉の調子整えたいんで、オーディションが終わったらでいいっすか?」

「それもそうだ。応援してる」


 『Mr.K』それが彼の名前だ。俺が経営するジャズクラブ──SMOKEでの。ここでは本名などいらない。必要なのは客の心を掴む歌声と美貌だけだ。

 Kがジャケットを羽織り、蝶ネクタイをしめる。さすがは俳優だ、鍛えられた肉体にスーツがよく映える。


「今度はどんな役なんだ?」

「詳しくは言えないんすけど、とりあえず主役なんす! あと一歩で主役が掴めそうなんすよ、まじで、ヤバイ」

「それは良い。お前の夢がまたひとつ叶うな」

「そっすねー。ほんと、かなうといいな」


 昂ぶる思いを自らへ落とし込むように、Kが呟く。その声音には希望の他に不安のような暗い翳りが混じっていた。

 ここに来たばかりの頃、Kは夢と希望にあふれた純真無垢な少年だった。しかし、今ではこんな儚さを感じさせる青年に成長した。その愁色をにじませた顔はこの店によく似合う。彼はとても、うつくしい。


 この感情に名前をつけることは──臆病な俺にはできなかった。


「そろそろ開店すか?」

「ああ、そうだな」

「マスターがぼーっとしてるなんて珍しい」


 お前に見惚れていたからだよ。そう冗談めかして伝えるのは簡単だ。女性相手なら必ずそうしてきた。いつもより艶のある声でそう囁けば、相手は頬を染め、恥じらいを見せるはずだ。至極、簡単なことだ。

 何を必死になって考えているのか。思考を止め、葉巻に火をつけた。

 俺は女が好きだ。これまでも、これからも。女性は慈しみ愛する心を持っている。その分、寂しさや孤独に敏感だ。だからこのジャズクラブを開いた。彼女たちの孤独を癒すことが俺の使命だ。差別だと言われようが構わない。『客は女、店員はうつくしい男』。それがこの店のルールだ。


「さあ、開店するぞ。今日も満員御礼だ」

「Got it!」


 吸い始めたばかりの葉巻を消し、ステージへ向かった。

 開演を待つ女性たちは、例外なくマスクを被り顔を隠している。さながら中世の仮面舞踏会のように。俺の店では、名前も年齢も関係ない。甘い音楽に酔いしれ、酒を嗜み、夜の孤独を癒す為だけの場所。それがJazz club SMOKEだ。


「今日はNew York, New YorkとI've Got You Under My Skin、Night and Dayの気分だなー!」

「わかった。お前に任せるよ」

「やった!じゃ、よろしくお願いしますね。Angel of music.」


 Kの瞳がらんらんと輝きを放つ。リノリウムが張られた小さなステージに上がった途端、青年の内側から生命力に似た強いエネルギーがあふれ出してくる。何度見ても心が震える。ああ、なんて、うつくしいのだろう。

 スポットライトを浴び、軽くお辞儀をする。マイクを握り、呼吸を整える。動作の一つ一つに目を奪われてしまう。それは観客も同じようだった。これからどんな音楽を聴けるのか、固唾を飲んで見守っている。


 Kが視線を寄越す。心臓がどくりと震えた。共に音楽を作るこの瞬間が好きだ。俺は鍵盤を叩くべく、指先に力を込めた。


──これ以上を望んではいけない。


俺に、誰かを愛する資格はない。

俺にできるのは、孤独を癒すこと。

それだけだ。



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