第2話 霞敷く 起-2 縁
日が昇るにつれて徐々に境内は賑やかになっていく。太鼓、鈴、舞の音。さわさわと揺れる木の葉に、着物の擦れる音に流れる水の音。人びとの話し声、砂利の音、写真を撮る音。それら全てが賑やかに、楽しげに立ち上っている。霞は楽しげなこの雰囲気が大好きだった。
人の波に潜りあちらこちらを巡っては人々の話に耳を傾けてみたり、幼子の顔を覗き込んであやしてみたりと落ち着きがない。正蔵などはそれを犬っころのようだ、などと評している。
普段、霞は人の子には見えない。幼子や神社の職員が時たまに見かけることがある、その程度である。それは葵や東岩も同じで、そのおかげで彼女らは自由に境内を行き来することができるのだった。だが、現宮司である正蔵は幼少の頃からその枠から外れていた。この十科神社の宮司一家は、そのような子が度々現れる家柄なのだがそうそうあるものではない。家柄から考えても非常に希な存在だった。だからであろうか、霞たちとは昔馴染みのような距離感で接してくるし、霞たちもひとで言う友人のような関係を築いている。
そんな正蔵が務めを果たしているのを横目に見ながら、いつものように境内を散策する。これが何よりの楽しみなのだ、正蔵の務めが忙しければ忙しいほど良い。そうであれば境内も賑わうし、突然正蔵にちょっかい出されて驚くこともない。真面目な顔をしていたずら好きなのはあの年になっても治らなかったようだ。
ふと本殿の中で頭を垂れている家族を見る。ふくふくとした赤子を抱えた祖母が、軽く頭を下げているのが見えた。左右を振り向いてみる。右手では老夫婦が風景を収めている。左手では着物を着た幼子がぽかんとこちらを仰ぎ見ていた。珍しい、見える子だ。怯えさせないよう腰を落とし、努めて穏やかに話しかける。
「こんにちは?」
「こ、こぉにちわ!」
「とってもかわいいね。お姫さまみたい。今日はなにするの?」
「えっとね、きょうはお願いする日なんだって!」
「そうなの?何をお願いするのかなー?」
「おとーと!おとーとがぶじに生まれますようにってお願いするの!」
そういって目をぎゅっと閉じ手のひらを合わせる子を目を細めて見つめる。なるほど、少女の後ろには受付用紙を記入している夫婦が見える。女性のお腹はもう大きくなっていた。この家族は安産祈願に来たのだろう。
「それじゃあ一生懸命お願いしなきゃだね。それにここの神主さんはお仕事熱心だからね、しっかりあなたたちの声はかみさまに届けてくれるはずだよ。」
「そーなの!?すっごおい!」
「そういえばあなた、なんてお名前なのかな?」
「んっとね、わたし「舞!そろそろ行くよー!迷子になっちゃうからおいで」
「はあい!もう行くね、おねえちゃんばいばい!」
「ん、いってらっしゃい!ばいばい!」
ブンブンと手を振る舞ちゃんへ手を振り返して見送る。親子はきゅっと手をつなぎ、仲睦まじい様子だ。この子たち家族は、何を見、何をし、どういう縁を紡いでいくのだろう。何を望んで、何をなすのだろう。願わくは、実りよく幸の多いものになりますように。なんて、密かに願ってみた。
霞たちを見ることのできるひとというのはそう多くはない。霞たちは肉体を持たないためだ。俗にいう幽霊というものでもなく、かといって人々がこぞって願い事をしに来るような「神様」というわけでもない。いうなれば九十九神が近いのだろうが、神というよりただ永い時を経てそこにあったがために、意思と幻想の体を持ちここにあるに過ぎない。何かをすることができるわけでもないあいまいの存在だった。
それでも、「ただある」というその事実こそが人が長年手を入れ守り抜いてきてくれた、人から神への愛情の証左である。その結果の自分たちなのだと思えば、その願いはまったく神に通じないこともないだろう。このあいまいの身はいわば、人から神への畏敬、信仰が形を成したものだとも言えるのだ。そして、神からひとの子へのそれでもある。
それゆえだろうか。霞はひとという存在が愛おしく好意を大いに抱く存在だ。葵や東岩なども、霞ほど表面立ってではないが、ひとを宝物のように見詰めていることはままある。その二人が「霞ちゃんは本当にひとの子が好きなのね」などというが、それはお互い様なのだ。
皆共通してひとに対し慈愛の気持ちを持っているといっても個人差はあるようだった。霞は杜だ。この社を守る木々が姿かたちを取ったもの。葵は社の裏を流れる川、東岩は境内にあり、しめ縄も絞められている立派な大岩だ。木々は週に一度と言わず頻繁に手入れがされる、それだけひとの手が入っている存在だ。葵の川は月に一度程度、東岩にいたっては手入れの必要がない。霞は以前、ふたりにひとに対してどう思うのか尋ねてみたことがある。それぞれ
「見守るもの、感謝するもの、育むものかな。」
「僕はただ見守るもの、だね。」
といった具合だった。当時は同じ気持ちではないことに自分が入れ込みすぎなのかと不安になったものだったが、今ではそれも致し方ないと思えていた。
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