第4話:社会科のお話
社会科なんて嫌いだ
私は何回、この言葉を言ってきただろう。
多分、先生を尊敬した回数よりは多いだろう。
「……だって、やっぱり説教されるのとかイヤだし。……って、似たようなくだり何度目!」
わたくしの所有者様……否、御主人様は、この小棚に収まった兎のぬいぐるみに申しつけました。中学一年生。誉めれば伸びるギリギリの年頃です。
「社会科、嫌いですか?」
わたくしは御主人様に聞きました。
「大嫌い。社会科の宿題とか意味分かんない」
「それは問題が解けないという意味ですか?」
「違う! ぃや違わないけど……。もうぃい。宿題やめた。漫画読む」
どうせ読むなら、今度の今度こそカクヨムにしてあげたらどうですか? と、わたくしは心の中で呟いてあげます。
「でも御主人様。小学生の頃は、熱心に歴史漫画を読んだり、白地図の塗り絵をしたり、……社会科が好きだったのではありませんか?」
「もう私も大人の女性になったってことよ。……」
御主人様は髪を掻き上げながら言いました。
「大人の女性である御主人様なら、社会科の問題集をササッと終わらせるくらい訳ないですよね?」
「むぅう……」
さんざん悩んだ末に、根が良い子な御主人様は、問題集のページをめくりました。
「ぁうー!」
そして突っ伏しました。
小3で埴輪に出会い、小4で平安貴族に憧れ、小5で鳥取と島根を間違え、小6で太平洋ベルトと連呼した御主人様は、中1でも引き続きお付き合いすることになった社会科に、色々と言いたいことがあるようです。
「……県庁所在地って何よ! 松江と高松なんて同じよ!
「お言葉ですが御主人様。高校の社会科は歴史が日本史と世界史に分裂して、地理はそのまま、公民は現社、政治、経済、倫理の四体に分裂して、何と七人の侍になって襲い掛かってきます」
「ぅがー!! もぅやってられるか!! 私は絶対理系に進んでやる!」
「可哀想に御主人様。数学と理科に背を向けた御主人様には、もはや社会科しか残されていませんよ?」
「そうなの!?」
「そうなんですよ。まぁ美術系や体育系みたいなアクロバティックな進路もありますけど……」
わたくしは咳払いをしました。
「……そんな夢物語の代わりに、御主人様が前世の敵が如く忌み嫌う社会について、小話をしましょう」
「またあの良く分からない催眠術の時間ね。別にしてくれても良いけど、それで私が社会科を好きになったりはしないと思うよ?」
「まぁ、騙されたと思って聞いてください。……さて。さっきは少し意地悪な説明をしましたが、何だかんだ言って、社会科は3つの要素から成り立っています」
「歴史と地理と公民でしょ?」
「その通りです。そんな3つの要素から成る社会科とは何か。それはズバリ“人間を支配する3つの概念”との付き合い方です」
「何だか物々しい響き……」
「まず、地理の説明から始めましょう。地理が司る概念は“空間”です。地理では、地球上のありとあらゆる空間が学習の対象となります。この意味で、人間は地理から逃れることができないと言えます」
「月とかは?」
「月面の地図が出来上がれば、そこも地理の範囲になります」
「そっか……」
「地理において、“地図”は重要なアイテムです。地図が示してくれる要素は、大まかに言って2つあります。まず1つは、その場所がどこであるのか。もう1つは、その場所はどんなところなのかです。例えば日本列島なら、北半球にあって、日付変更線の西側にあって、海に囲まれていて、南北に長いこと。そして、四季があって、雨が多くて、山が多いことなどが挙げられます」
「それぞれの地域に、それぞれの特徴があるんだよね。余所は余所、ウチはウチみたいな」
「はい。この『どこ』と『どんな』の2つが分かると、自分がどこにいて、周りには誰がいて、自分が何者で、自分と他人は何が似ていて何が違うのかということが理解できるようになります」
「……何か、無駄にスケールが大きい話になってきたね」
「はい。社会科は、無駄にスケールが大きい教科なんです。次に歴史です。歴史の捉え方は色々ありますが、今回は、地理の“空間”に対して歴史の“時間”に着目します」
「二つ合わせて“時空”……みたいな?」
上手いこと言ったでしょう。という風に、御主人様は鼻を鳴らしました。
「それはそれで面白いお話ができそうですが、今回は少し違います。歴史における“時間”を考えるときに大事な要素は“因果”です」
「いんが……? 人名とか、年号とかじゃないの?」
「人名や年号も程々に大事なんですが、裏を返せばその程度の要素です。歴史において、どうして“因果”が大事なのか。身近な例を見てみましょう。例えば、御主人様がテストで今日100点を取ったとします」
「とても喜ばしいことね」
「もし昨日、御主人様が熱心に勉強をしていたとしたら。テストで100点を取れたのは、御主人様の努力が要因ですよね」
「まぁ、そうなんでしょうね」
「もし昨日、御主人様がヤマを張っていたとしたら。テストで100点を取れとのは、御主人様のヤマが当たったからですよね」
「私が良い点を取るときはいつもこれね」
「では、もし昨日、御主人様がテストの答案を事前に入手していたとしたら。テストで100点を取れたのは、答案をくすねたからですよね」
「……それは、もはやズルって言うんじゃないの?」
「歴史を考えるときは、ひとまず善悪の判断を脇に置いて、因果関係と事実確認を優先するものなんです。……さて、これらの3つのパターンを見比べたとき、同じ『100点』でも、随分と意味合いが違って見えませんか?」
「確かに……。同じ点数でも、印象が全然違うよね」
「もう一歩踏み込んでみましょう。御主人様がテストでもう一回100点を取ろうと思ったとき、山を当てて100点を取った経験がある御主人様ならどうしますか?」
「次も当たるかなって思って、またヤマを張るかな」
要するに、今の御主人様です。
「では、時間をかけて勉強して、100点を取ったことがある御主人様ならどうですか?」
「ぅーん……やったぶんだけ点数になるなら、たまには勉強しないこともない……かな」
「では、不正やカンニングで100点を取った人の場合はどうでしょうか? 彼ら彼女らにとって、バレなかったことは自信になります。同時に、彼ら彼女らは、不正やカンニングに頼らないと、二度と満点を取ることはできないかもしれない、とも考えるようになります。その結果、不正な手段を繰り返しがちになります」
「似たような話は、先生が口を酸っぱくして言ってたよ」
「こんな風に、同じ『100点』でも、過去……言い換えれば“原因”が違うと、その意味も、未来への活かし方も、大きく変わってしまいます。因果関係を考える。何と何が繋がっていたのかを考える。これが“因果”を考えるということです」
「つまり、……原因と結果が大事ってこと?」
「その通りです。歴史は、今まで自分が何をしてきて、他人は何をしてきたのか。その因果関係を考えて、未来を見通す学問なんです。歴史は、過去に何があったかを知るだけの学問ではありません。今起きていることの原因や、未来への参考も、歴史学の領分なのです」
「なるほど……」
「最後に、公民です。公民が司るのは“政治”です」
「……経済とか現社とか倫理とかは入らないの?」
「その3つは、政治と密接に関わっています。さて、地理の“空間”、歴史の“時間”や“因果”といった概念と比べると、公民の“政治”はやや弱いような気もします。この辺が、地歴と公民を分けたくなる由縁だったりもします」
「確かに。何か、公民だけ添え物って感じだよね」
「でも、公民という教科にも言い分はあります。自然には自然界のルールがあるように、人間の社会には、主に人間が決めたルールがあります。これを勉強するのが、公民です。大雑把に言うと、政治のルールとか、経済が動く仕組みとか、そういうものを扱います」
「『──カネと女を洗え』だね」
「サスペンスドラマの見過ぎです。……まぁ、現実も大差はありませんけどね。公民では、そういう汚い部分は割愛して、ひとまず、建前のルールを勉強します。国家について、銀行について、権利について、義務について。特に、納税などの国家にまつわる義務は、個人の意志に関わらずくっついてくるモノです。その意味では、政治も空間や時間と同様、人間を支配する概念を持っていると言うことができます」
「100円が110円になるのは、どうにもならないことだよね……」
「政治の概念が人間を支配しているからと言って、どうにもならないというわけではありません。それは、空間や時間も同じです。人間は、良くも悪くも空間──自然環境──を作り替え、歴史の編纂──修正──を繰り返し、政治の仕組みを──都合良く──作り替えてきました。空間、時間、政治。これらの概念に抵抗することが、人間の未来を形作ってきた……と言うこともできるのです」
「未来、ねぇ……」
御主人様は、椅子の上で仰け反りました。
「…………。ま、私の未来地図はまだまだ白紙ってことで」
御主人様は問題集を閉じると、そっと本棚へ戻しました。
そう。未来はいつだって白紙なのです。
白紙の地図に、どんな未来を描くのか。
それを決めるのは、今を生きる御主人様です。
でも、その未来をどこで描くのか。慣れ親しんだ故郷なのか。それとも、憧れの新天地なのか。
その未来を、なぜ描くのか。何か、先立つお手本があるのか。それとも、自分の経験に基づくものなのか。
その未来の
それらを確かめるヒントは、社会科の中に隠されているのです。
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