第3話:理科のお話


 理科なんて嫌いだ


 私は何回、この言葉を言ってきただろう。

 多分、友人の良いところを誉めた数よりは多いだろう。


「……だって、面と向かって言うのは恥ずかしいし、悔しいし。……ってだから、私の心を読むな!」


 わたくしの所有者様……否、御主人様は、この小棚に収まったに申しつけました。中学一年生。そろそろ、ジェラシーを覚える年頃です。


「理科、嫌いですか?」


 わたくしは御主人様に聞きました。


「大嫌い。理科の宿題とか意味分かんない」

「それは解けないという意味ですか?」


「違う! ぃや違わないけど……。もうぃい。宿題やめた。漫画読む」


 どうせ読むなら、今度こそカクヨムにしてあげたらどうですか? と、わたくしは心の中で呟いてあげます。


「でも御主人様。小学生の頃は、せっせとホウセンカを育てたり、お月様の観察をしたり……理科が好きだったのではありませんか?」

「もう私も大人になったってことよ。……」


 御主人様はアンニュイな面持ちで言いました。


「大人な御主人様なら、理科の問題集をササッと終わらせるくらい訳ないですよね?」

「むぅう……」


 さんざん悩んだ末に、根が良い子な御主人様は、問題集のページをめくりました。


「ぁうー!」


 そして突っ伏しました。


 小3でホウセンカを育てて、小4でヘチマとキュウリを間違えて、小5でUFOを見て、小6でマンガン電池を転がした御主人様は、中1でもお付き合いすることになった理科に、色々と言いたいことがあるようです。


「……単位って何よ! あんたは植物と星だけやってれば十分なのよ! ボルトって何!アンペアって何! 怪人!? プリ●ュアの怪人!?」

「いいえ御主人様。高校の理科は化学ばけがく、物理、生物、地学の四体に分裂して、特に化学と物理は単位の連打攻撃を放ってきます」


「ぅがー!! もぅやってられるか!! 私は絶対に生物か地学に行く!」

「可哀想に御主人様。地学を教える高校は数えるほどしかありませんよ?」


「どうして!」

「ぃやあ……そればかりは本当に謎でして。……」


 わたくしは咳払いをしました。


「地学を教える学校が少ない理由は答えられませんが、その代わりに、御主人様が親の仇のように恨む単位について。少し深い話をしましょう」

「またあの良く分からない催眠術の時間ね。……良いわ。今日も相手してあげる」


「さて、単位の役割は色々とありますが、ここでは“イメージ”について考えます」

「イメージ?」


「はい。例えば御主人様は『17』という数字を聞いて、何を思い浮かべますか?」

「……キリの悪い数字としか思わないけど」


「そうですね。これと言ってイメージが湧きません。では『17cm』と聞いたらどうでしょうか?」

「まぁ、15センチ定規より少し長いくらいだよね」


「では『17kg』は?」

「かなり重いんじゃない。2リットルペットボトルが8本と半分でしょ?」


「そう。単位があると、ただの数字に“意味”が付きます。これが、単位が持つイメージの力です。ボルトは電圧、アンペアは電流という意味を数字に与えます」

「でもなぁ……そもそも電圧とか電流とか、そっちの意味の方が良く分かんないし」


「では、理科とイメージの話をもう少し掘り下げてみましょう。化学の話です。化学では、この世のありとあらゆる物が原子という小さな粒からできていると考えます」

「私も?」


「そうです。わたくしもです」

「米粒みたいな?」


「もっと小さい粒です。1億分の1センチくらいです。原子が分子を作って、分子が御主人様やわたくしの体、ひいては世界の全てを作っています」

「単位があっても良く分からない……」


「そぅ。単位があっても良く分からない。そんな人のために、化学を教える人達は分子模型というものを作りました。これは簡単に言うと、赤や青、黄色や緑や灰色の多面体や球体を使って、分子のプラモデルを作るオモチャです。組み上がった模型は、手の平大くらいになります」

「けっこうカラフルだね」


「他にも、化学で登場するリトマス試験紙は、酸性とかアルカリ性とかいう概念を、赤と青の色で表してくれます」

「それ知ってるよ。友達がバカ発見器に使えるって言ってたよ。青い紙を舐めて、赤くなった人はバカなんだって」


「唾液は酸性なので、青い紙は必ず赤くなるんです。……話を戻します。物理の世界でも、見えない空気の波を擬似的に再現する器具があります。煙を使って、見えない空気の流れを明らかにしたりもできます。生物では、見えない人のお腹の中を、人体模型で確かめることができます。地学でも、大きすぎて良く分からない火山や、遠すぎて良く分からない星を、簡単な図や模型で理解することができます」

「……よくよく考えてみるとさ、さっきからラビちゃんが言ってることって、意外と普通の話じゃない? 理科の教科書に図がいっぱい載ってるのも、絵とか写真とかの方が分かりやすいっていうのも、イメージの話なんだよね?」


「その通りです。今回のお話は、実は普通のお話だったのです。人間は、この世の現象を“イメージ”で理解します。それが図だったり、模型だったり、単位だったりするだけなんです」

「なるほどねぇ……。だったらさ、教科書も全部図とか絵とか写真とかで説明した方が良いんじゃない?」


「だから、資料集や図鑑みたいな本があるんです。御主人様も頑張って勉強して、そのイメージを頭の中に叩き込めば、だいぶ理解もはかどると思いますよ?」

「ぁ。……ラビちゃん。今回は私が勉強して終わるように仕向けているね?」


「バレましたか」

「私にはね、ラビちゃんが考えていることが手に取るように分かるんだよ?」


「それくらい、理科とも長い付き合いになってくださいね」

「ぇえ~……。自分がフラスコ振ってる姿とか、全然イメージできないな~」


 御主人様は問題集をパタン、と閉じると、それを鞄の中に差し込みました。


 御主人様が、必勝鉢巻きを付けて勉強に打ち込む姿。……確かに、全くイメージできません。


 でも、イメージできないものをイメージする。

 理科も勉強も、小説も人生も。全ては、そこから始まるのかもしれません。



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