エピローグ

新郎新婦挨拶〜そんなこんなを乗り越えて〜


 早朝からよく晴れた暖かい日だった。淡いグラデーションの空にちらほらと浮かぶ子羊みたいな雲に目を細めた。隣で目覚めた彼もきっとそうしていたと思うよ。室内だけどまるで5月のそよ風をじかに感じているかのように、ちょっとくすぐったそうにしていた。


 ちなみにここはマンションの寝室じゃなくて、前日から泊まっていたホテルの一室だ。あたしたちの住んでいる地域からはやや距離がある。でもこだわりがあって選んだ場所なんだ。



 身支度を終えて彼と一緒に部屋を出ると、ちょうど隣の部屋のドアが開いたところだった。あら、と小さな声を上げたママさんがあたしたちに微笑む。


「2人の晴れ姿が楽しみだわ。でもリラックスして大丈夫よ」


 はは、参ったな。そんな緊張した顔してたかなって苦笑しちまったよ。隣の彼の背中を軽く撫でるとうっすらとした照れ笑いが返ってきた。



 そう、本日!


 葉山蓮(27歳)と葉山葉月(33歳)、結婚式を挙げます!!



 入籍から3年目。貯金したり場所を探したり実現に向けて2人で頑張ってきました!


 蓮は就労移行支援を受けてから大体1年半で就職が決まったんだ。シール貼りや梱包などの軽作業は一点に対する集中力に優れた蓮には合ってたらしい。聴覚過敏を考慮して比較的音が少ない静かな部署へと配属になった。無理のないよう短時間から始めたのも良かったみたいで今もしっかり勤務できてる。


 実は彼、新しい趣味も見つけたんだよな。レジン工芸っていうの。なんでも透明感のある樹脂の素材は彼の世界観を表現するのにぴったりだったみたいでさ、魚や海洋生物が泳ぐ涼しげなペーパーウェイトを特に沢山作ってる。アクセサリー作りにも慣れてきて、たまにあたしにもピアスやネックレスを作ってくれたりするんだぜ。


 ハンドメイド作家さんは女性が多いイメージだったから彼も最初は躊躇してたんだけど、今じゃ交流が持てる仲間も出来た。むしろ、男性でこんな繊細な表現が出来るなんて! と感心してもらえたこともあったそうだ。だからな、やっぱり好きなことに性別なんて関係ないんだよ。やってみて正解だったな。


 近々、初めての展示会に出展してみることになってる。彼の可能性が広がっていく。


 あたしもカウンセリングに通っているうちに心に余裕が出来たんだろう。ぶっちゃけ彼の集中力を目の前にしてちょっと寂しくなる瞬間ってあったんだけどよ、そんな感情を受け止めてもらえる場所があるというのは大きかったな。自分のこと、心が狭いとか思わなくていい。責めなくていいんだと思えた。だからこそ今では素直に嬉しいんだ。




 会場に着いた後、あたしはいよいよ純白のドレスに身を包む。すらりとしたマーメイドラインは昔からあたしの憧れだった。耳には新緑の葉を模したピアスをつけてもらった。


 白いタキシードを着た蓮はいつもよりずっと凛々しいはずなのに、今にも泣きそうな顔でこっちを見てるもんだから思わず苦笑しちまった。あたしにお嫁さんの格好させてあげたいって言ってたもんな、お前……って。愛おしさが込み上げる。


 歩み寄ってきた彼の顔をそっと引き寄せて額を合わせた。


「葉月ちゃん、綺麗」


「蓮、惚れ直したぞ」


 あたしたちの声は見事に重なった。




 結婚式ってさ、人生の一大イベントだろ? だからこそいろいろと考えたんだよ。


 沢山の人を呼んで盛り上げたいって人もいるだろう。リゾート地で華やかにとか、神社で厳かにとか、どれも素敵だ。それぞれの魅力があると思う。


 どんな雰囲気の式にするかイメージは割と早く定まったんだけど、実はお客様をどう招くかがあたしたちの難題だった。


 蓮は地元から距離を置いてしまったことで、未だに連絡を取り合っている人がいないと言った。花鈴ちゃんは唯一連絡が取れるだろうけど、さすがに彼女は……とあたしも思った。恩のある相手だ。それはわかってる。でも全ての人が友達と割り切れる訳じゃない。彼女の気持ちを思うとあたしたちはきっと辛くなる。


 あたしの職場の人たちなら結構来てくれるかも知れない。あと地元の友達も。でも蓮に無理してほしくなかったんだ。慣れない人たちに囲まれる緊張感はきっと凄まじいものだ。今踏み出せる一歩から始めてほしい。


 それにもし出会いのキッカケなんて聞かれたら、正直に答えるには壮絶すぎるだろ? まぁ、なんか誤魔化すにしてもぎこちなくなりそうっていうか。



 ってな訳だから、もうあまり難しく考えないようにしようぜ! って言ったんだ。あたしたちに合った方法がきっとある。それを一緒に見つけようって。



 そんな経緯を思い出している間にチャペルの扉の前へと辿り着いた。隣にはディレクターズスーツでバッチリきめた父さん。いつからだったのか嬉しそうにこっちを見下ろしてた。歳とったな……そんな言葉が浮かんでくるなり何故か目の奥がじんわりと熱くなった。



 陽が高く登った午前10時半。


 ゆっくりと開く扉、ベール越しの光景にあたしは息を飲む。より明るいのは外側であるこっちなんだろうけど、自分たちが光に迎え入れられていくような感覚を覚えた。


 バージンロードの先で愛しい彼が待っていてくれる。そしてそんなあたしたちを祝福してくれる温かな笑顔。結婚3年目の今ではもう見慣れた人ばかりだ。



 そう、ママさんがリラックスして大丈夫と言ってくれた理由はきっとこれでもある。


 あたしたちは、家族と親戚だけの結婚式にしたんだ。



 人それぞれ個性はあるけれど、蓮の家系は大体穏やかで、あたしの家系は大体フレンドリーなのが持ち味だ。今回の式が実現したのも、みんながあたしたちの希望を尊重してくれたおかげ。双方の家系で理解し合う姿勢をとってくれたおかげなんだ。決して当たり前なんかじゃないと実感する。本当にありがたいことだよ。



 でもな、実は前の晩にママさんが言ったんだ。


――あなたたち2人がみんなの心を動かしたのよ――


 そして、実はあたしの母さんも。


――あんたたちを見ているうちに考え方が変わったわ――



 びっくりしたよ。話したタイミングは別々だったのに似たようなことを言ってくれたんだ。間違ってばかりだった、迷惑かけてばかりだった、そんなふうに思い詰めてたいつかのあたしが救われた気分だった。


 2人の母親の言葉は今、身が引き締まるくらい清らかなこの道を歩むあたしの力になっている、間違いなく。



 みんなに見守られながら彼と交わした誓い。届いた声も触れた感触も、あたしの中に心地の良い余韻をもたらした。五感が優しさで満たされていった。




 披露宴会場はチャペルのすぐ近く。少人数に適した広さで、かしこまった雰囲気というよりは“お洒落なレストラン”くらいの親しみやすい空間だ。両家の距離感も近い為か、みんな和やかに会話している様子が伺えた。


 ここにいる人たちはみんな蓮の体質のこと知っている。時間も短めにしてあるし、万が一神経が疲れたらいつでもスタッフさんに声をかけていいようにしてあるから安心だ。今のところ大丈夫そうだけどな。


 蓮とあたしは何度も顔を見合わせた。その度に微笑み合った。なんだろう、嬉しいと自然にこうなっちまう。あたしたちにとってはそんな自然なことだったんだけど、気がつくとみんなが目を細めてこっちを見ていてちょっと照れくさくなっちまった。



 楽しい時間はあっという間に過ぎる。だけどこの思い出は永遠にあたしたちの中に刻まれるだろう。大切な大切な宝物として。この先辛いことがあったとしてもあたしたちを温めてくれる存在となるだろう。


 披露宴もついに終盤。そろそろ退場なんだけどよ、あたしたちの道のりはまだまだ続いていくぜ。




 拍手が鳴り響く中で後方の扉が開き、あたしたち夫婦は揃って外へと踏み出した。後からみんなも写真撮影の為に来てくれることになってる。とっておきの景色へと一足先に会いにいくことにした。




「すげぇな。本当に水の世界にいるみてぇだ」


「うん」



 波の音がかすかに聴こえる。涼しい風も相まって、目の前に広がる青色が一層瑞々しく映る。空の色とも溶け合って。


 広い広いネモフィラ畑を鮮やかな魚たちと亀が泳ぎ出した。今ここにある現実とあたしたちだけが知る幻想が入り混じる。


 やっぱりここを選んで良かった。


 蓮のキラキラとした横顔を見て心からそう思った。ここならあの子たちと一緒にいる気分になれそう、蓮のパソコンの画像ファイルからこの景色を見つけて2人でそんな話をしたんだ。



――葉月ちゃん。



 ふわ、と柔らかい風が吹くと同時だった。小さなぬくもりがあたしの頬に触れた。


 潤んだ目をした蓮が真っ直ぐあたしを見つめてた。



「葉月ちゃん、ありがとう。葉月ちゃんが、大黒柱として支えてくれたから、僕も前に進むことが出来た。大変な思いをさせちゃってると、思うけど……でも……」


 その声は徐々に詰まっていく。肩を小さく震わせた彼へとあたしは自然に手を伸ばしていた。


「あのな、蓮」


 両手で彼の頬を包み込み、真っ直ぐと見つめ返して言ってやった。



「大黒柱は1人じゃなれねぇんだ。守りたい存在があって初めて立っていられる。家庭の中の大事な役割ではあるけれど、あたしだけが頑張ってきた訳じゃない。お前が……いてくれたから……っ」


 あたしの声も震えてきちまった。ずっと堪えていた涙が笑顔と共に溢れ出した。



「お前がいてくれて良かった。守りたい存在ができて良かった! お前の優しさに包まれているときがあたしは一番幸せなんだよ」


「葉月ちゃん……」


「こっちこそありがとうだよ、蓮」



 大黒柱。ときにプレッシャーだったこの立場をあたしはこのときやっと、本当に、誇りに思えたんだ。




 しばらく手を繋いだまま佇んだ。ゆるやかに形を変えていく雲を見つめながら思い出した。退場する前の新郎新婦挨拶のとき、蓮がみんなの前で一生懸命話してくれた言葉を。



――今日は、僕たちの結婚披露宴にご出席頂きまして、誠にありがとうございます――



 慣れなくて緊張しただろう。でも彼の声の中には愛がいっぱい詰まってた。



「あっ、みんな来たみたいだぞ」


「うん」



 後ろの気配に気が付いて振り返った。笑顔で大きく手を振った。それでも彼の優しい声はあたしの中で響き続ける。参ったな、今日は一日中デレデレしちまいそうだ。


 まぁ今日くらいはいいだろ!



 家族、親戚だけの集まりにはなったけど、あたしたちを支えてくれた人たちは沢山いるって知ってるぜ。直接関わった人だけじゃない、実際はもっといるんだろうってな。


 だから心の中で気持ちを伝えさせてもらうよ。あたしの中に深く刻まれた彼の言葉も聞いてやってほしい。めっちゃ甘かったりポエミーだったりするかも知れないけどな。今のあたしたちなりの精一杯の思いだ。




――今日という日を迎えるまで、いろいろなことがありました。その度に僕たちは、お互いのことを少しずつ知っていくことができました――


――葉月ちゃ……葉月さんは、誰よりもかっこよくて、誰よりも綺麗で、誰よりも優しい女の人です――


――僕は不器用なところも多くて、社会の場で大変な思いをすることも多かったけど、葉月さんは、そんな僕のことを、ありのまま受け入れてくれました――


――葉月さんにも弱いところはあります。僕は、すぐに強い人にはなれないかも知れないけれど…… ――


――だけどいつだって、葉月さんの味方でいます。葉月さんがそうしてくれたように。この気持ちはずっと変わりません。この先もずっと葉月さんを大切にし続けると誓います――



――皆様のお祝いの気持ちを胸に、葉月さんと力を合わせて頑張っていきます。これからも僕たちのことを宜しくお願い致します――



『皆様、ありがとうございました!!』




 本当に、ありがとう。



 葉っぱ2つ。


 あたしたちは同じ枝の上で息吹を重ねる。




〜『あたしが大黒柱』おわり〜

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