14.甦ったかけがえのないもの


 気が付けば蓮の片手を握っていた。しっかりと正面から向き合って、すっかり青ざめてしまっているこの手を。


 手袋、持ってきてるよ。でも今はじかに触れたかった。もっと触れたかった。蓮が極端に自分を隠している訳じゃないことは知ってる。むしろ素直な方だと思う。だけど例え夫婦でも知らない顔がまだまだあるってもんで、それがちらりと覗いたら、もっと見せてよと手を伸ばしたくなる。少なくともあたしはそういう欲張りな人間だから。


 ましてや自分の望みと共通するところを見つけたなら……



「昔、子ども会にいた頃……小さい子たち、可愛くて、話かけてくれたりとか、嬉しかった」


 うんうん、言われてみりゃ蓮は子どもに好かれそうだもんな。完璧なお兄さんよりちょっと隙があるくらいの方がウケがいいんだよな。なんとなくわかるぞ。


「そのとき、本当は小さい子好きなんだって、わかって、いつか自分も……って、本当は思って……」


 それな! それな!? さっきちら〜っと見せてくれたお前の顔ってそこにあるんだろ!?



 気分のたかぶったあたしはうつむき加減の蓮に覆い被さるようにして身を乗り出す。繋いだ手には更に力がこもり、もう片方の手にあるココアの熱も気にはならず、喉の奥からそれ以上の熱い想いが一直線に溢れ出る。



「つくるか! 子ども!!」



 ぶっ!! と隣のベンチの男性が吹き出した音がして我に返った。連れの女性はあんぐりとした顔でこっちを見てる。


(やっちまった〜)


 口を押さえてあたふたしてももう遅い。全く、興奮すると声がやたらデカくなる癖、いくつになってもなおらねぇな。


 イルミネーションの明かりで蓮の頬の色までがはっきりと見えて、やらかした感は一層増していく。今更ながらあたしらは揃ってベンチの端まで身体を寄せた。



「で、でも……」


 あたしのコートの腕をきゅっと握って今度は蓮が切り出す。おずおずと、顔の赤みも引かないまま。


「また……陸のときみたいになったら……」


 久しぶりに耳にした弟の名。危うげな心の断片を拾ったなら、真冬の冷気がゆっくりと、この喉へ流れ込んでくるのがわかった。


「怖いか?」


 そっと問いかけると小さく頷く。


「でもあのときはお前だって子どもだったろ? 兄弟と親子じゃまた立場が違うんじゃないのか? 障害や病気があっても子育てしたいと思う人はいるし、実際に親になる人もいるし、あたしらが共に望むならお医者さんにも相談してさ、前向きに考えてみてもいいんじゃねぇか……?」


 せっかくの可能性を逃したくないという思いもあった。2人で叶えられること、多ければ多いほど嬉しいんじゃねぇかって逸る気持ち。



 だけどあたしも思い知らされていく。



「僕、きっとまだ、親になる覚悟……足りない。望んでいても、難しいかも知れないって、思う」


「はは、それだけ命に対して誠実なお前なら大丈夫だと思うけどな」


「こんな体質じゃなければ……」


「蓮……」



 下向きの表情は儚げでもイヤーマフを握る片手には力がこもっているのがわかる。感じ取れる。穏やかに見える彼の中にも、苛立ち、やるせなさ、確かにあるんだって。




「本当に治らないのかな……聴覚過敏これ




 それは天から舞い降り頬へ冷たく染みる、ひとひらの雪のような音色だった。本当に雪が降ったんじゃないかって錯覚したよ。


 “子どものおかげで親は親になっていく”とか“みんな最初から親な訳じゃない”とか、所謂励ましの言葉は幾つか浮かんではきたよ。


 だけど多分、多分な、今の彼には意味を為さない。そういう問題じゃないんだよな。きっと望んでも望んでも叶わなかった、好きなだけじゃ駄目だった、そういう経験を積み重ねたきたからこそなんだろ?



「あ……」


 小さな呟きは唐突だった。悪夢から覚めたような顔がそこにあった。


「ご、ごめん、葉月ちゃ……僕……」


「どうした?」



「せっかく、楽しみに来たのに……僕、もう、弱音吐ちゃいけないって、そういうこと言わないって、決めてたのに、こんな……!」


 切なくなるくらい青白くなった蓮は自責を全身で示している。ああ、参ったな。



「どうして僕は、すぐに話を暗い方向に……」


(いや、それを言うなら……)



 それを言うなら。今までのこと、さっきまでのこと、煌めく光の1つ1つの中に浮かんで見えてあたしはついに堪えきれなくなった。


「はははっ」


 この状況には似つかわしくない笑い声が溢れ出す。キョトンを目を丸くしている蓮へ、自然と柔らかな笑みを向けていた。



「弱音を吐いちゃいけない? お前なぁ、そんなたいそうな決意をしてたなんて初めて知ったよ。この先一言も言わないつもりだったのか? 言っとくけどな、そんなのあたしにだって無理だぞ。人はポジティブとネガティブを行ったり来たりするもんだ。人によって割合や振れ幅は違うだろうけどよ、ともかく完璧に出来る奴なんていない」


「葉月ちゃん……」


「大体“場の空気が〜”とか言うんだったらあたしだって読めてないじゃねぇか。こんな大勢の人がいる場所で子どもつくろう! なんてでっけぇ声で言っちまってよ。ははは……」



 頬が熱を帯びていくのは笑ってるからなのか照れてるからなのか。蓮も同じようになっていくのはどんな気持ちからなのか。


 でもさっきより表情が柔らかくなった彼を見て思う。


(やっぱりこっちの方がいい)


 そっと頬に手を当て、ぬくもりを確かめて。


(この色の方が、いい!)



「なぁ、あたしはお前の抱えている問題を軽んじてる訳じゃねぇ。ただお前が思ってるほど世の中もそこに生きてる人間たちも完璧なんかじゃねぇ。間違いだらけだ。だから自分なら次からどんな工夫が出来るかって考えていくんだ」


「ん……」



「それにこれだけ正反対でも、お互いを大切に思えるあたしたちは、なんだかんだと相性いいと思うぞ? どうだ?」


「ん……っ!」



 よしよし、いい返事だ! そうやって満たされていく思いはあたしだけのものじゃないらしい。バッグの中から取り出した手袋をはめて、あのはるちゃんみたいにあたしの手を包み込む蓮。光をいっぱいに含んだ彼の眼差しに目を細める。


 一緒に再び頭上を見上げた。少し冷めちまったココアを時々口に運びながら。


 宙に浮かぶイルカやクラゲたちが、今日という日の思い出の残像みたいに、煌めき、ちらつき、夜色に染まったこの胸の奥深くを彩った。




 身体が冷え過ぎる前にとベンチを立ったあたしたちは、手を繋ぎ街路樹を歩いて、予約しておいたイタリアンのお店で夕食を楽しんだ。



 自宅マンションに帰ってきたのは20時頃。



「うはっ、やっぱりこっからだとよく見える! 今夜はタイミングがいいなぁ」


 帰り道で既に気付いてはいたんだ。夜空が一層晴れていく気配。もうちょっと地上の光から離れたここまで来ればより確かなものになるだろうって。


 ベランダに居るあたしは魚たちとの会話を終えた蓮に手招きする。彼も気付いていたのかな、うん、と小さく頷いて……



 生身の手と手が再び繋がる。



 満天の星空。天然のイルミネーションのもとで。



「綺麗……」


「だろ!?」



 なんであたしがドヤ顔なんだっていうセルフツッコミはともかくだ。あたしは伝えたい。天に願った。星々に願った。


 ありきたりかつ語彙力の無いあたしの言葉でも少しは説得力が増しそうなこのシチュエーション! 気障キザかも知れねぇ。自己満かも知れねぇ。だけどコイツに対する気持ちは本物だ。だから力を貸してくれと。



 スベッてたらそのときは爆笑でも失笑でも好きなようにしてくれ。なぁ、お星様たち。




「蓮、お前だから見つけられる光があるんだ」



 そう、静かな場所でやっと鮮明になったこの景色みたいに。



「そしてあたしたちだからこそ叶えられる夢もきっとある!」



 天が示してくれてるよ。なんたってこの世は無限大。輝き方も叶え方もそれぞれなんだって。


 こんな広い世界の中でお前を見つけることが出来た。お前もあたしを見つけてくれた。そんな2人だからこそ、きっと。



 蓮の細い肩をがっと抱き寄せた直後、顔面に吹き付ける微風がやけに冷たく感じた。あたしの熱が上がったからだろうな。いや、恥ずかしい。開き直って言ったけどやっぱだいぶ恥ずかしいぞ!


「葉月ちゃん……」


 それでもこのうっとりとした声。あたしの肩に頭を預ける仕草。ロマンチストな夫で良かったなぁ、オイ。こうなりゃとことん気分に浸るしかないじゃねぇか……。



 星の引力に引き寄せられるみたいに顔と顔が近付いていく。星の引力に満ち引きする海みたいに音を立てる血潮。きっと対で作られたシルエットになってる。あたしたちは対等だ。


 凍てつく空気の中でもあったかく感じた。互いの体温を確かめて。



「葉月ちゃんが、僕に、声をくれた」


 額がくっついたままの至近距離から柔らかく届いた彼の声。すっと自然に流れ込んできた独特のリズムに合わせてあたしもそっと教えてやったんだ。


「蓮はあたしに音をくれたな」


 魚たちの呼吸、鳥たちの戯れ、しとやかな雨、雪の訪れ……彼が連れてくるのはいつも



「優しい音を」



 あたしがずっと忘れていたものばかりだったこと。



 口にしてやっと気付く。見つめ合って確信する。貰ったというより甦ったんだと。きっとお互いがお互いの見失ったものを大人になっても大切に持っていたからだ。


(ったく運命的すぎてニヤけちまうぜ!)


 なんて調子に乗ったあたしの緩んだ口から勢いよく白い息が立ち上った。つられて笑った蓮からもふわっと。真冬の夜空で2つ分の綿菓子がくっついていく。




「そろそろ部屋に入るか。風邪ひいちまうもんな」


「ん……僕、紅茶淹れる」



 どれくらいか経った頃にあたしたちは一緒にベランダを後にした。雨戸を閉めて振り向くと蓮が自分のスマホを見つめてる。なんだか驚いてるような顔だけど?


「ちょっと電話、出る」


「ああ、大丈夫だぞ」


 でもどっからだ? 聞き返す前に蓮は電話に出た。うん、うん、元気、とかそんなことを言ってるからなんとなく察しはついていったんだけどな……



「葉月ちゃん」


 スマホを離してくるっとこちらを向いた彼から届いたのは思わぬ提案だった。



「クリスマスパーティー、今年はうちでどう? って、お母さんが」


「え……」



 シャンシャンと鳴り響くベルの音が頭の中に広がっていく。じんわりと、溢れてくる。いや泣いちゃいねぇけどよ、その寸前までだ。


 あたしたちが間違えてしまったことは無かったことにはならない。周りも巻き込んだ、大切な人たちに不安を与えた、それは事実だ。



 でも新しく作っていけるんだ。新しい時間を、絆を。



――時間は前にしか進まない――



 それは必ずしも絶望を象徴する言葉じゃない。それだけ成長していける、可能性を生み出していけるって、今、あたしは思うんだよ。



「葉月ちゃん、大丈夫」



 だから溢れ出す前に答える。きっと目を赤くしているあたしに微笑みで寄り添う彼。返事を待っててくれてるママさんにも心配かけないように。だっていま心配することじゃねぇんだからな。



 あたしらしく目一杯の笑顔、そして電話の向こうにも届く声で!



「もちろんです! ありがとうございます!!」



 一緒に踏み出して行こう。この人生一度きりの時間を、今を、これからを生きよう。



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 本編はこれで最終回となります。読者の皆様、ここまでお読み下さり誠にありがとうございます。応援とても励みになりました!


 次回からは、第4章の登場人物→ある人物視点の番外編(誰になるかはお楽しみに!)→エピローグの順に投稿致します。是非最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。



 七瀬渚

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