12.大きくなった彼


 蓮にバッサリ斬られた後、花鈴ちゃんは見事な開き直りを見せた。一度鼻を擦ったかと思えばツンと顎を上向きにし、腰に手を当て仁王立ちになる。


「私、蓮と同い年なの。24歳。年齢にしては若いと思いません? 告白してくる男だって未だに絶えないわ」


「は、はぁ……」


 高飛車を絵に描いたような姿に唖然となった矢先だ。今度は彼女がサッと真顔になる。高い鼻の下までどんよりとした陰が落ちる。


「でもフラれたのとか初めてよ。え、ちょっと待って、思った以上にダメージ来てるかも。何かの冗談よね、マジで」


 ついに額を手で覆ってしまった。大きく見開いた目。“愕然”という言葉がよく似合う姿だ。そしてこんな状態のときになんだけど、早速訂正したいことがある。



「いや、でも。ルームシェア解消した時点でそれは」


「あのときは! 私がフッたのよ! いい? おねーさん、わ・た・し・が! フッたの!!」



(フッたも何も蓮にその気は無かったんじゃねーか)



 もはや突っ込みどころしかないんだけど、こうなるとさすがに不憫になってくるな。プライドの高いモテ女も辛いってのが今わかったよ。


 かける言葉が見つからないあたしの横へ、蓮がすっと並んできた。


 涙すら流せないでいる彼女に向かって深々を頭を下げる。あたしの口角はひく、と引きつった。嫌な汗が流れてくる。



「ごめ、なさい」


 よしよし、偉いぞ蓮。


 だけどな、今はちょっと〜様子見たほうがいいんじゃねぇかな? 確かにあたし、再会できたら謝ってやれって言ったけど。


「ごめん、なさい、花鈴、ちゃ……ごめんなさい、ごめ……なさい、ごめん、なさい」


 あああ! まずい、これはまずい。プライドズタズタになってる相手に謝罪の連呼。ダメージの音がはっきり聞こえてくるよ。蓮はこうすることくらいしか思いつかないんだろうけど、もはや逆効果としか思えない!



「蓮、謝り過ぎだ」


 焦るあまりつい口にしちまった。すぐにやべぇと思って凍り付いた。


 今あたし、火に油を注いだかも。多分、いや間違いなく。


 彼女の方から殺気が漲っているような気がして顔を上げられなかった。蓮はあたしの声さえ届かなかったのか未だに謝り続けている。どんどんマズい状況に……!



「そうよ」



 だけど意外な言葉が返ってきた。



「そうやって私を悪者にするの、いい加減やめてよね! アンタは地元から逃げる為に私を利用した。私は自分の生きやすさを優先してアンタを見捨てた。お互い様じゃん。もうそれでいいじゃん」


「花鈴さん……」



 イキナリあたしから名前呼びされたからなのか、花鈴ちゃんはちらりとこっちを見たんだけど、すぐに腕組みをし川の方を見つめ、尖った唇から更に早口で言い放つ。


「私、今仕事のことで頭いっぱいなの。やっと夢を掴みかけたの。うちの職場じゃ私はオバサンだし、親父の会社はいつどうなるかわからない。これがラストチャンスなのよ。もう過去のことなんて引きずってられない」


 おいおい、その歳でオバサンかよ。一体どんな仕事なのか知らねぇけどさ。


 唖然とするあたしにはお構いなしに彼女は続ける。傷だらけになった自分の心を守ろうと必死になってるみたいだ。



「だから蓮も過去のことなんて忘れてよ。大体あんな安物のピアスなんていちいち取っておかないでしょ、普通は」


「あのさ」



 そんな彼女に対して、あたしは1つ言っておきたいことがある。気怠い視線がちゃんとこちらへ向くまで待ってから言った。



「“普通は”ってさっきも言ってたけど、アンタの考える普通もそんなに普通じゃねぇぞ」



 声はしなくても花鈴ちゃんの顔は“はぁ?”と言っている。そんな心底訳がわからないって反応の相手に伝わるかどうかもわからないけど、少しでもいい、届いてほしい。



「例えば、付き合ってもいない男にルームシェアの話を持ちかけるとか。アンタにとっては恋人関係に持ち込む為の自然な誘い文句だったかも知れねぇけど、あたしは不自然なやり方だと思った」


「何言ってるの。今時そんなの珍しくな……」


「あたしにとっては、普通じゃなかったんだ。アンタの主張する“普通”はあたしには通用しない。それはアンタにとっての普通でしかない。わかるか? そんだけのことなんだよ」



 花鈴ちゃんは猫のような目を大きく見開いたまま、はんっと嫌味なため息をつく。これだからオバサンは、とでも言いたげな顔だな。いいよ、笑いたきゃ笑え。


 これじゃあたしがジェネレーションギャップに驚いたことくらいしか伝わらないかも知れないけど


「蓮は人の忘れ物を黙って捨てるなんて考えられなかった。それが普通だった。大切な幼馴染のアクセサリーなら尚更なんじゃないかな」


 これじゃあたしが蓮をとことん可愛がってることくらいしか伝わらないかも知れないけど


「普通ってのはそれぞれの中にあって、全部が全部、他人と共有できる訳じゃない。暗黙で了解させようとするのも本来はおかしな話なんだ」


 すげぇ説教くさいババアに見えるかも知れないけど



「普通は、って、言う方も辛くないか? 相手が自分の常識に当てはまらないことがどんどん辛くなる。当てはまらないことこそが自然なのに……って、あたしはそう思うよ」



 あたしはいつの間にか切なさまで感じていた。頑なな彼女を案じていた。上手に甘えたり弱音を吐けない性格ならなおのこと、そんな固定観念はさっさと捨てた方が楽になれるんじゃないかと思った。


「……だからもういいって言ってるでしょ」


 同情の眼差しを向けられることに耐えられなかったのか彼女はふい、と背を向けてしまう。サラリと揺れるアッシュの髪は、深さを増した空と同化して今にも消えてしまいそう。悪いな、あたしもわざとそんな顔をした訳じゃねぇんだ。


 隣の蓮もようやく頭を上げた。向かい風が彼の髪を後ろに押しやって半泣き状態の顔を露わにする。



「ピアス、ありがとう。でももう要らないものだから捨てたの。ただそれだけよ」


 おう。わざわざ川に捨てた言い訳にしちゃあ苦しいし、川に物を捨てるなんて行為は全世界の良い子にとって悪い見本でしかないけど、一応礼は言ったな。やれば出来るじゃねぇか。


「花鈴、ちゃ…………し、仕事、頑張って。僕も……頑張る」


 そうだな、蓮。きっとそれでいい。お互い前を向いて行こう。


 きっと2人は、今まで出来なかった会話をしてる。もっと早く素直になれたなら、未来も違ってたのかも知れねぇな。



 って、なんで現在の彼女がこいつらの仲を応援するみたいなこと考えてんだ。おかしいだろ。


 こんなときにまで発揮されてしまうお節介っぷりに自分で可笑しくなっていたところへ、背を向けたままの彼女の声が届いた。



「蓮を宜しくお願いします……おばさん」



「おう! 任せとけ」



 スタスタと足早に去っていくジャージの後ろ姿を笑顔で見送った後に気が付いた。



「って、おいコラ! 誰がおばさんだッッ!!」



 こんの〜……去り際まで憎たらしいガキ!!


 だけどなんだろう。振り向かないままだったけどやっと素顔を見せてくれたような気がして、妙に清々しい笑いが零れてくる。



「はは、あの子といいあたしといい、お前は気の強い女と縁があるみてぇだな。なぁ、蓮……」



――――!?



 あたしがちら、と横を向いたとき、ちょうど蓮がヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。丸まってるというよりも腰を抜かしちまってる。顔は放心状態といった様子で。


「お、おい大丈夫か!? 顔が真っ青だぞ!」


 あたしはすぐに同じ位置までしゃがんで彼の身体を支えた。浅い呼吸を繰り返す彼の顔を覗き込み、背中をさすりながら深呼吸をするよう促した。



 よく考えてみたら無理もない。


 いくらイヤーマフがあるからって、女の甲高い喚き声を同時に二人分も聴いたんだ。しかも原因は自分。怖かっただろう。いたたまれなかっただろう。



――ごめん、なさい、花鈴、ちゃ……ごめんなさい、ごめ……なさい、ごめん、なさい――



「蓮……」



 空気読めないとか思ってごめんな。


 あの混乱した状況の中、お前なりに一生懸命、誠意を示したんだよな。


「よく頑張ったな」


 いくらか呼吸が整ってきた蓮に微笑みかけ、そっとその腕を引っ張り上げた。立ち上がったところで頭を撫でた。



 まさか立場が逆転するとは思いもせず。



「葉月ちゃん」


「わっ!?」



 突然引き寄せられた驚きで、あたしの手からペットボトルが滑り落ちた。


 イヤーマフが顔面に直撃してくるかと思ったらそんなこともなかった。彼が直前で外したらしい。



「蓮……苦し……」



 そしてさすがに恥ずかしい。


 今、ヒューって冷やかす子どもの声が聞こえたぞ。だよな、公衆の面前で抱き合ってりゃそうもなる。


「葉月、ちゃ……僕……」


 強く圧迫されて息は苦しいけど、なんで蓮はイヤーマフを外したんだろうって、やけに冷静になって考えてた。


 ああ、きっとあたしの顔にぶつからないようにする為。でも今までにもハグくらいしてたよな。あんときはなんでぶつからなかったんだろう。


 そうだ。


 いつだって蓮の頭はあたしの下にあった。


 あたしたち、身長はそこまで変わらないはずだ。だけど蓮は猫背がちで、自信が無さそうで、申し訳なさそうで、彼女のあたしに対してでさえ下からな姿勢だったから……



 でも今はどうだろう。



「葉月ちゃん、の、こと、幸せに……します……!」



 長い腕。強い力。少しだけ男らしい声。


 あたしより大きい。そうだ、本当は前からだったんだ。蓮はやっと背筋を伸ばしたんだ。



 紫色した夕空のもと、彼が少し大きくなったこの日。



「ありがとう。一緒に幸せになろう」



 あたしの声は少し女っぽく響いたような気がする。




 一時はどエライ修羅場になるかと思ったけど、まぁひと段落して良かった。蓮もいくらか前向きになってくれたし


――葉月ちゃん、の、こと、幸せに……します……!――


 ああ言ってくれたし。


「んふふ」


 自然と顔がニヤけてきちまう。アラサーのあたしだってまだまだイケるんだぜ?


 つー訳で、ちったぁ女磨きでもしますか!




 あたしは後日の休みに美容室へ行った。


 席に案内され、目の前に3冊の雑誌が置かれる。在庫がこれしかなかったのかな。あたしの年代が見るにはちと若い内容のような気がするんだけど、参考に出来るところも少しはあるだろうと上機嫌で手に取った。


 直後。



「あーーーーっ!!?」



 後ろに立ったばかりの美容師さんがびっくりしたであろうことにも構わず、その煌びやかな表紙に見入った。


 正確には中央にデカデカと写っている人物。



二宮にのみや花鈴かりん



 名前もバッチリ載ってる。こりゃ間違いない。



(蓮の幼馴染ってモデルかよ!!)



 手を腰に当て、誇らしげに微笑む彼女が「私を超えられるかしら?」と言っているような気がした。

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