11.壊してやりな


 久しぶりの戦闘態勢に入ったあたしを向かい風が宥めようとする。花鈴かりんちゃんと呼ばれた彼女にとっては追い風になる。佇む蓮は横から煽られるばかり。


 女同士のバトルを覚悟した。しかし流れに乗っているはずの彼女は落ち着いたもんだ。今度はあたしを吟味するみたいに上から下まで眺めていく。



「綺麗なおねーさんじゃない。良かったね、味方してくれる人がいて」


 どうやら蓮に言ってるらしい。あたし、相手にもされてない。


「アンタ顔は可愛いもんね。いいよね。なんだかんだ得してるのわかってる?」


「おい!」


 でも無視されたまま黙ってるあたしじゃない。言いたいことがあるんだ、振り向かせてやる。乱暴な口調は少し抑えなければと、ここから先は少し自重した。



「蓮の幼馴染ですよね。少しだったら話聞いてます。確かに蓮もはっきりしなかったのは悪いけど、いつか貴女にあのピアスを返したいと思って、ちゃんと謝りたいと思って持っていたんです。彼なりに勇気を出したんですよ。何も目の前で捨てなくたって……」


「少し、なんですよね。おねーさんが知ってるのは」


「え?」


「私の気持ちまではわかりませんよね? なら口を挟まないでもらえますか。これは蓮と私の問題です。彼氏の味方をしたいのはわかりますけど、過去はおねーさんの踏み込める領域じゃない。おねーさんには関係のないことでしょう」



 冷たく言い放たれてあたしはぎゅっと拳を握った。そんなのは百も承知なんだよと。


 一方でわからない訳じゃないこともある。花鈴ちゃんの気持ちだ。もちろん全部じゃないけど、ただ1つだけ間違いないだろうと思えることがある。



――遅いのよ――



 ピアスを放り投げる直前、彼女はこう呟いた。それでわかった。



 蓮はあれを忘れ物だと思っている。


 だけどよ、ピアスだぞ。不自然じゃないか? 片方ならまだしも両方揃って忘れていくなんて、そうそう起こることじゃねぇぞ。しかも綺麗に痕跡を消していった抜け目のない彼女がだ。



「困るのよね、本当。あんなもの大事にとっておかれてもさ、もう存在すら忘れてたっての」



 嘘だ。待ってたんだろ。蓮がピアスを持って追いかけて来るのを。


 気怠い表情で髪を搔き上げて見せても、同性の目は誤魔化せないってもんさ。花鈴ちゃん、アンタが本気で蓮を好きだったことくらいはわかる。だからこその怒りなんだってことも、早く再会できていればやり直そうと考えていたことも。



 そこまでわかっていながら彼女と睨み合っている自分がなんだかおかしい。彼女だってあんな態度だ。行こうと言って蓮の手を引き、ここを立ち去ればいいだけのことなのに。


 あたしは一体何をしているんだろう。だけど、このままじゃいけない気もするんだ。



「それに私が地元に帰ることにしたのも、父親の会社の経営が厳しくなったからだって説明したよね? ある程度貯金はしてたけどいちいち仕送りするの面倒くさいじゃん。だったら実家に住んでお金入れた方が楽。そんだけのことよ。別に何もかもアンタに振り回される訳じゃない。まぁどうせアンタのことだから、自分が被害者みたいなことをおねーさんに言ったんでしょ?」


「ちょっと待て、違うぞ。蓮は自分が被害者だなんて一言も言ってない! むしろ自分に非があると思っ……」


「もう。おねーさんもしつこい。そんなに私と話がしたい訳? 私、女同士の争いとかもうお腹いっぱいなんですよね。職場がそんな感じだから」



 あからさまにげんなりとした様子でため息をつかれた。


 で、でも、しょうがねーだろ! 蓮はあの通りフリーズしちまってるんだからよ。花鈴ちゃんはさっきから口調がキツ過ぎる。これじゃ話し合いにもならない。自分の恋人がやられっぱなしでいるのを黙って見てる訳にもいかない!



――いいわ。



 葛藤していた途中、びゅうと強めの風が吹き付けた。彼女の方から。



「そんなに相手してほしいなら、教えてあげるわ。おねーさん」


 ご丁寧に不穏な予感まで与えてくれた彼女が、荒んだ目つきをしながら続けた。



「そいつ……蓮はね、依存できる相手なら誰でもいいってタイプですよ。私と一緒に住んでたときもそう。その気も無いくせにダラダラ関係続けてさ、結局独りになるのが怖かっただけ。母性本能くすぐる男だって自覚してると思うわ。昔っから、可愛がられるのが当たり前って姿勢だもんね」


 ああ、と内心で納得した。彼女の話の内容じゃない。


 この子は多分、あたしと話したくないんじゃない。話せないんだ。何を言っても結局は蓮に対する攻撃になってる。


「馬鹿にして。自分の心細さを埋める為に私を弄んだだけじゃない」


 川の方を見つめたまま動かない彼へ、近くて遠い彼へ、切ない想いを放ち続けている。



 でも一応、彼女の身体はこちらを向いていて、これでもあたしに“教えた”つもりなんだろう。だからあたしも真っ直ぐ彼女へ返答する。


「貴女を傷付けたこと、蓮は悔やんでいます。こう言っては失礼ですけど、一緒に住んだのも同意の上ですよね? 貴女も彼に望んでいることがあったんじゃないですか?」


「…………っ」


 眉間にしわを寄せ、唇を噛み締める花鈴ちゃん。本当はもっとズバッと言ってやりたい。


 関係を持てばそのうち何か変わると期待したんだろって。女の色気を武器にして事実だけ先に作ったんだろって。


 そういうズルイやり方をしたんだろって突き付けてやりたい。大抵そういう場合は男が悪者になるもんな。



「蓮が恋をよく理解してないこと、本当は気付いていたんじゃないですか? それでも貴女は……」


「普通は! 気付くでしょう!?」



 ついに花鈴ちゃんがせきを切ったように叫んだ。うつむいた顔に陰がかかる。どんな表情をしているのかよく見えない中で、はっきり見えたものがあった。


「その気が無いなら無いって早く言ってくれれば良かったのよ。馬鹿みたい……私ばっかり」


 キラキラした光の粒が彼女の足元まで零れた。金平糖みたく鋭利に尖って見える光。


「蓮が働くのが難しいことも、私は知っていたのよ。それでも良かったの。多分おねーさん程じゃないけど私もそれなりに稼いでた。2人の未来の為と思ってたから頑張れた。でもいつまで経っても蓮の心は遠いまま。自分から求めてきてはくれない。だんだん虚しくなっていったわ。こんな金、大嫌いな実家の大嫌いな父親にでもくれてやるって思った」


「だったら……回りくどいやり方しないで言えば良かったじゃねぇか。好きだって」



「おねーさん、女のくせに女心がわからないのね。自分から言いたくないことだってあるのよ!」



 うっ、とあたしの喉が詰まる。女心の理解についてはなんかすまんとしか言いようが無い。思いっきりが出ちまった今の状況じゃ謝る気にもなれないけど。



「おねーさんも気をつけた方がいいですよ。一方的に養う立場でいいんなら、これ以上忠告はしませんけど」


「養うとかっ、そんなつもりは……!」


「好きじゃない相手とでも関係が持てるの、この男は! 事実、私のことだってこれっぽっちも好きじゃなかったんだから!!」


「アンタなぁ!! 何もかも責任転嫁してたら和解なんて出来ねーだろ!」


「はぁぁ!? 和解する気ありませんから〜!!」




「やめ、て!!」




 …………



 …………




 多分周りもドン引いてる女同士の争いの中に、一際悲痛な叫びが混じった気がして動きを止めた。向かい合う彼女もおんなじようにしている。


 そしておんなじ方を振り向く。



「すき、だった、よ。花鈴、ちゃ……」



 亀みたいに引っ込んだ首。震える狭い肩。今にも泣きそうに、だけど懸命に声を絞り出す蓮が居た。


(好きだったって……え、そうなの?)


 あたし、一瞬戸惑った。だけどすぐに思い出した。


「大好きな、友達。ほんと、は……今も、そう、思って……います」


 蓮の言葉は最後まで聞かなきゃわからないんだってことを。



――へぇ。



 花鈴ちゃんは低く呟いた。冷めた目をして彼の前へと歩み寄っていく。



「ただの友達と一緒に住めるんだ? ただの友達に求められて? それですんなり応じるんだ?」


「…………」



 だから。


 それはお互い様だろ! それにただの友達じゃない、大切だって今言ったじゃねぇか! アンタちゃんと話聞いてんのか!?



 って、言いたいところではあるんだけど。


 あたしはもう黙っておくよ。だって今やっと、この2人は向き合う姿勢になってる。それこそ今カノの出番じゃない。


 引っ叩こうとしたら止めるけど。それまでは大人しくしておくよ。



 フッ、と鼻で笑った花鈴ちゃんが続ける。瞬きの一つもせず。目は赤いままなのに。



「ねぇ、蓮」


「……はい」



「じゃあ教えて。このひとと私、何が違うの?」



 ああ、しかし何故若者ってこう……



「アンタのことだからまだわかってないんじゃないの? このひとも友達の延長なんじゃないの? そうなんでしょ。そうだよね?」



 わざわざ自分から傷付きに行くようなことをするんだろう。



 蓮は細い身体の横でぎゅっと拳を握った。しばらくしてから口を開いた。



「花鈴ちゃ、は、ずっと……出来れば、ずっと、友達で、いたい……人、でした」


 一度固く唇を結んだ。それからまた開いた。


 精一杯と思しき声で。



「葉月ちゃん、は……っ、ずっと、一緒に、生きていきたい人、です! 僕、もう……恋、わかり、ました。もう、間違えない……!」



 うん、壊してやれ。


 優しさが残酷になるときもある。いっそ壊してほしいときもある。



 音も立てず息を飲んだ彼女を横目で見て、その表情を確かめてあたしは確信した。



「……あはっ。やっと湧いてきたわ、失恋の実感」



 乾いた笑みの混じった声。やはりこれで良かったんだと。

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