傾国の魔女と亡国の竜②

著:フランジャス


 傾国の魔女キャストラ、十四歳。


 まだこの頃、彼女は魔女と呼ばれてはいなかった。

 ふとした表情に大人の気配を感じさせる年の頃。花も恥じらう乙女も盛り。

 キャストラは日増しに美しくなっていた。昨日より今日、今日より明日、すでに何人の男に告白をされたのか数えてもいられない。親友のビスティと一緒にキャストラ宛の恋文を燃やして暖をとったこともある。上質紙の手紙が読まれもせず景気よく燃える様はなんとも痛快だったのを覚えている。


 街の高台にある物見やぐらの上で、キャストラは暇そうな顔で景色を見ていた。

 微風が頬を撫で、豊かな金色の髪が揺れる。癖のない直毛は貴族の令嬢の証だと言われる。平民が湯を使って髪を毎日洗うのは難しいが、彼女のそれは天性のもので、特に櫛を通さずともさらさらと流れていた。もっとも、浴場には毎日足を運んでいる。美貌を保つためでもあるが、わざわざ自分で払わずとも浴場の利用券なんて男たちからいくらでも貰っている。ついさっきも一風呂浴びてきたところだ。値の張る石鹸で洗ったばかり、湯上りの彼女がどれほどかはもはや言うまでもない。

「ご機嫌麗しゅう、今日は黄昏の乙女かな」

それらの美辞麗句は耳にタコが出来るほど聞いたが、うんざりという顔はしない。基本的に誰にでもいい顔するようにしているが、今回は声の主がビスティだったからだ。

「長かったね、お風呂」

「まあ、滅多に入れるもんじゃないし、よーく味わっておかないとね」

「タダ券なんていくらでもあげるのに」

「前にも言ったろ? 貰ってばかりじゃ気が済まないの」

 ふぅん? とキャストラが横目でビスティを見る。少し拗ねたように唇をとがらせて、その表情、仕草の、なんと可愛らしいことか。人通りのあるところでこれを見せたなら五人は恋に落ちているだろう。

 昔はいがみ合っていた二人だったが、彼女たちは無二の親友と言い合えるくらいに仲を深めていた。

「お前はホントに、どんな顔してても可愛いな」

 恥ずかしげもなく容姿を褒めてくるが、キャストラにしたって褒められ慣れている。満面の笑みで「ありがとう」と言ってみせた。

「ビスティも十分可愛いわよ。わたしほどじゃないけど、この辺の女の子の中じゃ一番よ」

「そりゃあいくらか自覚もあるけど、あんたに言われてもしっくりこないな」

ビスティが照れながら頭をかく。キャストラと比べれば誰しも肩身が狭いものだが、一般的に見てビスティは整った容姿をしている。勝ち気で男勝りな性格なので損をしているが、もう数年もすれば活発な美人に成長するだろう。

「ピートとはどう? 仲良くやれてる?」

「まあ、ぼちぼち。もうちょっと男みせてくれてもいいんだけどね。器用で優しいのはわかるんだけど」

「いいじゃない。大切にしてくれるなら、それが大事よ」

まあ、ね。と恥ずかしそうにしながらビスティが頷く。かつてはキャストラに熱を上げていたピートだったが叶わぬ思いと知り、諦め、ビスティは傷心の彼を慰め、結果として恋人のような関係になっていた。「恋人のような」というのは彼が根性なしゆえにいまだ告白が済んでいないからだった。

「ま、わたしのことはいいんだよ。遅かれ早かれだしね。あんたはどうなのよキャストラお嬢様は」

「わたし? わたしかぁ、そうねぇ……。」

 うーん、と小首を傾げてみせる。

「ちょっとでもいいなって思うやついないのか? ほら、あの鍛冶師んとこの見習いの……ダイゴンだっけ? 見込みあるらしいじゃん。そのうち国仕えの鍛冶師に出世するかもよ?」

「あぁ、彼ね。でも才能があるだけじゃダメよ。せめてお金持ちじゃないと」

「才能があるなら金なんて後でついてくるだろ?」

「才能があって、すでにお金も持っている人なら、才能だけの人じゃ追いつけないわよ。見込みはあればあるほどいいの」

「生意気言ってるうちにオバサンになっちゃうかもよ?」

「それは困るわね。でも、高望みしてるわけじゃないの。才能、お金、容姿、家柄、権力、そういうところはあくまで断り文句よ。好きになれる人であればそれでいいの。いいえ、人でなくても、心から好きになれるなら魔物だってなんだって……」

 切なげに語るキャストラに、かける言葉が見つからない。何百何千と愛を囁かれてきた彼女だが、本心から好きといったことはない。言える相手はいつか見つかるだろうか。

 微風が変わって少し風が出てきた。湯冷めすると悪いので二人は帰路につく。

 キャストラと並んで歩くと、大抵の女はどうも居心地の悪さを覚えるものだ。道行く男がみんな彼女を一目見る。ビスティはもう気にしないが、いや応なしに見比べられているような気持ちになる。

 「そういや明日さ、城に登るんだろ? いいなぁ。わたしも一度だけ行ったことあるんだ。建物が高くてさー。衛兵さんがビシッと立ってて、ちょうど中庭で舞踏会やる日でさ、遠くから見ただけなんだけどキラキラしてた」


「あぁ、確か……わたしより可愛い子がたくさん居る舞踏会だっけ?」

 思わぬ台詞にビスティが面食らったあと吹き出した。

「お前、よく覚えてるなあ! そうそう、キャストラより可愛い子で溢れてたよ。あんまりたくさんいるもんだから樽につめて安売りされてたよ」

 キャストラも笑う。ビスティほど豪快ではないが、思わず高い声が出た。

「わたしも樽詰めされないように気をつけないとね」

また一段と二人の笑いが大きくなった。


 翌朝、キャストラは父に連れられて城へと続く目抜き通りを歩いていた。

 登城するのだからと、母に言われ念入りに髪を梳かし、爪を磨き、ほんの少しだけ化粧もした。どれもこれも本来は必要ではない。圧倒的な美しさの前では、あまりに小手先だ。ただ、城に登るのだという心構えは身についた。

 キャストラは珍しく緊張していた。人生初めての城、どんな世界だろうかと気にはなったが、それが一番の理由ではない。ただの父の付き添いで城を見物するだけだ。親の仕事のついでに子供に城を見せてあげたいという要望は多い。城の主であるダフネス公爵も民をよく思う人柄で快くそれを許していた。

 緊張の理由は、恐らく今日が、決別の日となるからだった。

 歩く、歩く。

 坂が増えてきた。城は小高い丘の上に立っている。

 お屋敷と呼べるような立派な建物が増えてきたあたりで、大通りの角を曲がると城が見えた。立派な門扉だ。その前に門番の衛兵が居て、鈍い銀色の甲冑は威圧的でお腹が少しキュッとする。

 自然と城を見上げていた。なんて高い建物だ。この街にいればどこからでもその姿を望めるが、近くでみるこの迫力といったら、ごつごつとした灰色の城壁、高くそびえる尖塔。なにか生きているみたいだった。

 「何用か」

 岩のような顔をした衛兵が固まったような言葉を吐いた。

 「銀細工師のヴァルナルドです。献上品を持って上がりました。」

 いつもの父の声が少し硬い。確かにぎこちなくなるのも分かる。

 わたしは、この場が少し柔らかくなればいいと思って、それから少しの実験のために、話しかけた。

 「お城って凄いのね」

 わざとかしこまることをやめた。子供の無邪気さを使おうと計算したためだ。

 「こんなに大きいなんて思わなかったわ、なんだかドキドキしちゃう」

 まだ見ぬ世界へ胸をときめかせる無垢なる少女。少なくとも外面は、神が見ていたとしてもそう判断しただろう。目の中に星を散りばめて、瑞々しさを衛兵に向ける。視線と視線が宙で交差する。透き通るような青い瞳が衛兵を吸い込んでいく。

 「キャストラ、失礼になる。言葉は丁寧に使いなさい」

 「……ごめんなさい、お父さん。」

 きらきらとした表情から一転、しゅんとしてしおらしくなる。ころころと変わるその表情がまた可愛らしい。全て計算付くの作られた顔だとしても、その可憐さは本物だった。

 「……。あ、あぁ!いや!大丈夫だ。子供は礼を欠いてこそ。元気でいいことだ」

 声が上擦っていた。見とれて返事をするのが遅れたのだ。信じられないといった顔でキャストラを見る。彼女の姿から目が離せない。こんなにも可愛らしい少女は他に見たことがなかった。貴族令嬢の護衛は何度もしてきた、城仕えをしていれば着飾った女はごまんと目にするが、この娘はそれらとは桁が違っている。思わず息をのんだ。他の門兵も同じだった。

 「ご苦労様です」

 検問はつつがなく進行し、城の領地へと入った。流石にキャストラのおかげとは言えないが、兵が明るく見送ってくれたのには一助ありと言えるだろう。

 「お前は本当に、どこでも可愛がられるね」

 父が金の髪を梳くように撫でてくる。

 「まあね。当然よ」

 父がくすりと笑う。傲慢な発言を咎めたりはしない。世間様に向ける顔をきちんと選べるくらいには、うちの自慢の娘は賢いのだ。いかに綺麗で可愛くとも、いや、だからこそ高飛車であれば嫌われる。娘の容姿が容姿なだけに、その辺は口酸っぱく教えてきたつもりだ。

 「じゃあキャストラ、お父さんはお仕事だからお前はこの辺を見て回るといい。ちょうど市のある日だし、大食堂で何か食べてくるのもいいかもしれないな。お前ならその辺の男に聞けば喜んで案内してくれるさ」

 と言って銀貨を一枚握らせてくれた。

 「その辺の男とはまた随分な言い方よね」

 父が行ってしまったあとでクスリと笑う。内に秘めた態度の大きさは父譲りかも知れない。握らせてくれた銀貨はロマニ銀貨だった。この辺で一番使われる上質な銀貨で、キャストラの欲しがる雑貨くらいならいくつも買えるほどだ。これは後で父に抱き着いてあげないとな、と頭に留め置く。


 さて、どうしようかと逸る気持ちを感じながら城を回ってみる。市を見てみようか、新しい髪飾りが欲しかったところだ。ダフネス公国の城下町は中々豊かなところらしいが、きっと城で開かれる市の品物のほうが上等だろう。綺麗な石のハマった胸飾りなんかもいい。買い物は程々にして食べるほうへ力を注ごうかしら。城の砂糖菓子を一度は食べてみたかった。これは悩ましい問題だ。

 足取り軽く歩いているとついに声をかけられた。

 彼女はただ歩くだけで人を引き付ける。城に入ってからというもの常に視線は感じていた。見られる視線には慣れているが、さすが城ともなれば街の無遠慮さと比べ慎みがある。それが少し気持ち悪くもあった。まあ何はともあれ話かけられたのだから応対しなければいけない。

 「失礼、お嬢さん」

 失礼、と来たか。街ではこんな洒落た始まり方で話しかけてくるものはいなかった。声をかけ慣れていそうだ。遊び人の貴族の子せがれといったところだろうか。

 「思わず花の妖精が城に迷い込んだのかと目を疑ったよ。僕の名前はデクミド・ラ・デーク・ゴーマン。以後お見知りおきを願います」

 ゴーマン! その名を聞いて驚かずにはいられなかった。ダフネス公爵と縁の深いゴーマン伯爵家の人間だ。キャストラは思う。あぁ、こんなにも早くその時が始まろうとは、わたしはあまりに目立ちすぎる。

 キャストラは簡単に自己紹介を済ませる。上級貴族たる伯爵様と銀細工師の家では正直言って格が違う。あまり紹介するところもないと思ったのだ。


 「驚いた……。君は、貴族ではないのか」

 デクミドはあまりに驚いたのか。ブツブツと独り言を漏らしている。

 そうか、だからか、君のその装いは……。等と聞こえてきた。

 「あまり裕福でもない家なので、このような服しか用意できなくて……」

 花が顔を下向けるような仕草で縮こまってみせた。父と母の用意した服にケチをつけるつもりなのか。貴族様ほどの装飾はないが、質素で質のいいこの白いドレスを馬鹿にしたのなら、いますぐ私のご機嫌をとらせてやる。さあ、諂え。

 「ああ失礼。君の着るものは素敵だよ。ただ貴族でない娘が化粧も宝石もなくここまでものの見事に輝けるのかと心底から驚かされてね」

 ……どうやら、本心らしい。服を馬鹿にしたのではない。飄々とした口調だが嘘はないように見える。貴族というのは皆デクミドのような感じなのだろうか。思っていたよりも嫌味のない生き物なのだろうか。キャストラの描いていた貴族感からは少し離れた印象があった。

 「城には不慣れだろう。案内しよう」

 言うが早いかキャストラの手をとって歩き出されていた。

 なかなかの手際だ。扱い慣れているんだろう。

 角を幾つか曲がったところで、思いついたようにデクミドから求婚された。

 「急なお願いで悪いんだが、僕と結婚してくれないか」

 さすがのキャストラも面食らう。今までの告白最短記録を大幅に塗り替えられた。まだ出会ってから小一時間も経っていない。

 「ありがとう。とても嬉しいです」

 内心はどうあれ、その笑顔と声に、引きつりは一つもない。

 「愛の告白に感謝では分かりにくい。「はい」か「いいえ」かを聞かせておくれよ」

 「あ、あまりからかわないで下さい。……街娘では本気にしてしまいます」

 顔を赤らめ、恥ずかしさのあまり言葉もたどたどしい。という演技。どうもデクミドを相手すると調子が狂うが、それでもこの一瞬で惚れこむなどあり得ない。自分に絶対の自信があるキャストラの芯は太い。

 「いいね。その仕草、場所が場所なら押し倒すところだ」

 さて、少し困った。城へ登れば遅かれ早かれこうなるだろうと思っていた。

 貴族からの求婚。キャストラ程の美貌であればただの一度の登城でやがてそれを成すだろう自分の未来を予想していた。だが、想像はここまで早くなく、そして相手方の地位が上級貴族とまでは予想がつかなかった。おそらく今日は褒めちぎられて一日を終え、後日改めて貴族様のお屋敷かなにかに招かれるだろうと踏んでいた。身分を気にしない男爵あたりの貴族がやってくるだろうと思ったが……。しばらくの沈黙のあと、キャストラは静かに口を開いた。

 「お気持ちは本当に嬉しいです。ですがあまりに急で……。まだお城の案内も済んでいないのに……」

長い廊下の次の曲がり角をちらと見る。美人の困り顔ほど構いたくなるものもない。

 「ふむ、まあ、それもそうか。では案内の続きをしよう。返答はそのうちしてくれればいいさ」

 これは、今日は大変な一日になるという予感がした。

 デクミドは城でなかなか顔の効く若者だった。睨んだ通り、ゴーマン伯爵家の跡取りで付加価値としては絵の才に秀でているらしい。

 見知るものすべてに話しかけるお喋り好きで、会うもの会うものに「僕の花嫁だ」とおどけて紹介してみせる。その度に恥じらう演技で訂正するのは正直骨の折れることだった。デクミドだけならまだしも、いつの間にか他の若い貴族までもキャストラの行く先について回るようになっていた。行く先々でお茶にお菓子を振舞われ、これ以上なく褒められる。褒められた慣れたはずのキャストラでさえ、貴族の言い回しには関心したし、それから褒められることに胸やけする日がくるとも思わなかった。


 騒乱の登城日から翌日、大変だった昨日を思い出しているとさっそく文が届いた。

「君を愛している。城に来るといい、もてなすよ

 ~デクミド・ラ・デーク・ゴーマンより~」


 口とは打って変わって簡素な手紙だった。変わった人だと、あの小ざっぱりした顔をキャストラが思い浮かべる。

 家を出て城へ行くことを両親へ伝える。今日限りではなく、近い将来、城か貴族の屋敷に住むことになることも伝える。父も母も思っていたより驚かなかった。けれど予想より遥かに祝福してくれた。わが愛娘の可愛らしさが多くの人に認められること、それが何より嬉しいのだと二人は言う。父が手によりをかけて作った銀の指輪を贈ってくれた。精緻な文様が彫られ、上質ではないが小粒の蒼玉もハマっている。

 「どうか一つでも多くの幸せを、わが子に」

 文様は古代シーク語でそう彫られているんだと教えてくれた。蒼玉のほうはキャストラの瞳に合わせて色を選んだが、お前の瞳ほど綺麗な色のは買えなかった、と父が言った。

 「大丈夫よ、お父さん。わたしの目はどんな宝石よりも綺麗だから」

 得意げに自信たっぷりに、キャストラは胸を張ってそう言った。

 父と母がからかって彼女の髪をくしゃくしゃにする。

 傾国の魔女は、まだ美しいだけの少女で、今はただ、笑いあう家族の姿があるだけだった。

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