第54話

 ……俺の意識は、深海から浮かびあがった泡のように一気に覚醒した。


 さっきまでボンヤリしてたのが嘘みてぇに、頭の中と視界が澄みきっている。

 誰にもじゃまされずに、泥のように眠った翌朝のようだ。


 もちろんまわりにあるのはゴミの山なんかじゃなくて、愛しきモニター群と計器たち。

 そしてもはや愛着さえ湧いてきている、シートや操縦桿……。


 そう、ボーンデッドのコクピットの中だ……!

 俺は、悪ぃ夢を見ていただけだったんだ……!


 ……あれ? どっちが夢なんだっけ?


 まあ、ゴミだめの中に埋もれる夢に比べたら、こっちのほうがだいぶマシか……!

 なんたってコッチには……信じてくれるヤツがいるんだからな……!


 俺は洗濯板で心をゴシゴシされたようなスッキリとした気持ちで、モニターを見つめる。

 洗ってくれたのは他でもない……俺の嫁たちだ……!


 ルルニーとララニー、そして小さな子たちも起き出して、俺に向かって祈りを捧げている。


 そうだ……俺は、なにを悩んでいたんだ……!

 たとえどんなことがあっても、俺はこの子たちを守ってみせたじゃないか……!


 そしてこの子たちは、他の困っている子たちも俺が同じように守りきれると信じている……!


 だったら……だったら……答えはもう、ひとつしかねぇよなぁ……!


 俺は、石になったかと思うほどに凝り固まった腕を動かし、握りしめていた操縦桿を離す。


 ボーンデッドのマニュピレーターが指一本ずつ、ゆっくりと剥がれ……ついには掴んでいたグラッドディエイターの腕が外れた。



「……!?!?」



 グラッドディエイターのパイロットである、ルルロットの青い瞳がハッと見開いたかと思うと、捨てられたことを悟った子犬のような戸惑いで満たされた。


 湖に沈み込んでいくフェイスとともに、深くなっていく少女の絶望。

 逆に実況席からは、熟女の狂喜が急浮上してきた。



『ンンンンーーーッ! ンーッフッフッフッフッ!! やりました! ついにあのゴーレムがやりました! 手を……ずっと掴んでいた手を離したのです……! やはりこのヴェトヴァが睨んだとおり、聖ローのキャプテンを苦しめて苦しめて苦しめて、苦しめ抜いたあげくに、見捨てるのがあのゴーレムの狙いだったのです……! 聖ローのキャプテンは、きっとさんざん命乞いをしたことでしょう! それなのに見捨てられて……彼女はショックのあまり、二度とメルカヴァには乗れなくなることでしょう……! ンンンンーーーッフッフッフッフッフッ!!』



 解説のヴェトヴァは、ほれみたことか! と大喜び。

 口裂け女のように口角を吊り上げ、化粧が崩れるのもおかまいなしに破顔している。


 隣にいる実況のお姉さんは、まだ信じられない様子だ。



『そ、そんな……! 実をいうと私、あのゴーレム……ボーンデッドはそんなことはしないと思っていました……! で、でも……しょうがないんですよね……? 母大はこの大会で敗れると、廃校が決まってしまいますから……非情になるのも、無理はないことなんですよね……?』



 視聴者に向かってというより、自分に言い聞かせるようにつぶやき続ける。



『でも……ボーンデッドが聖ローのキャプテンを見捨てたということは……この後はやはり、ピンチの母大メンバーたちを助けに向かうということでしょうか?』



 実況席から切り替わった魔送モニターには、膝をつき、ぐったりとうなだれているサイラ機が映っていた。


 その背後から、ぬうと巨躯がフレームインしてくる。


 銀色のモンスター、鋼鉄の戦闘馬車チャリオン……!

 騎乗するは、剣を振り上げたグラッドディエイター……!


 もう相手は動けず、焦って追いかける必要はないと思っているのだろう。

 捕らえた敗残兵を斬首にする処刑人のように、祈りの時間を与えるように、ゆっくりと距離を詰めている。


 その気配を感じ取ったのか、突如サイラ機がのけぞり、大空を仰ぎながら両の拳を突き上げた。

 それはさながら、戦争映画のワンシーンのようであった。


 最後の時を前にした少女の、最後の雄叫びが天を衝く。



『せ……せっかく……せっかくここまで来たのに……! ボクはまだ……みんなと一緒にいたいっ……!! いっしょに勉強して、いっしょにスポーツして、いっしょに笑って、みんなで踊って……!! まだまだあの学校にいたいっ……!! 卒業まで、メルカヴァに乗り続けたいっ! お別れなんていやだ……! いやだいやだいやだ! いやだっ!! 廃校なんて……絶対にいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!』



 ……いま、ふたつの終焉が始まろうとしていた。


 まさに目の前で、水の中に姿を消し去ろうとしている少女。

 ほんの少し離れたところで、敗北を迎えようとしている少女。


 そのど真ん中に立っているのは、まぎれもない、俺……!


 どちらか一方を取った時点で、取らなかったほうは二度と手に入らなくなる……!

 そう、両天秤ってヤツだ……!


 だがそれは「普通のヤツならば」の話……!

 俺は……違うっ!


 俺は……どっちも手に入れてみせるっ……!


 ちょっとだけ迷っちまったけど……もう迷わねぇぜ……!


 決めた……! もう決めたんだ……!


 あのゴミだめに戻る前に……この力……この命……ぜんぶ使い切ってやるってな……!


 俺は静かなる気合とともに、コクピット内で拳を振り上げる。



 ……ガシャーンッ!



 ガラスが割れるような音とともに、『管理者権限スーパーバイザー』の発動スイッチを、カバーごと叩き押す……!



 ……ブォォォンッ……!!



 ボーンデッドの機体から白い息吹が吹き出し、武者震いのようにコクピットが震える。

 ミラーボールが跳ね回っているかのように、計器たちが極彩色の光を放ちはじめる。


 来た……来た……来たぁぁぁっ!

 これが、『限界突破《オーバーリミットフォース》』……!


 一夜限りの夢……!

 土曜の夜の、フィーバータイム……!



「さぁ……明日あとの事なんて忘れて……騒ごうぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」



 心臓がビートを刻む。

 操縦桿を通じて俺の鼓動が伝わったかのように、明滅のリズムがピッタリと合う。


 モニターという名のダンスフロアで、スキルウインドウの文字たちが踊り跳ねる。


 『ウインドアーム』の文字がスロットマシーンのように、ガシャン、ガシャン、ガシャンと切り替わっていく。



 ウインドアーム


 ハ インドアーム


 ハ リ ンドアーム


 ハ リ ケ ドアーム


 ハ リ ケ ーアーム


 ハ リ ケ ー ンーム


 ハ リ ケ ー ン アム


 ハ リ ケ ー ン ア ー ム



 『風を起こす腕』は限界突破により、『嵐を呼ぶ腕』へと進化する……!



「いくぜぇっ! ハリケェェェェェェェェーーーン!! アァァァァーーーーーーーーーーーーーーーームッ!!!」



 ……ドッ……!!



 ボーンデッドが高く掲げた腕を振り下ろすと、湖が爆ぜた。



 ズグワッ……シャァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!



 爆音とともに、竜巻が生まれる。

 それは水龍のように渦を巻きながら天に昇り、荒神のごとく大空を覆い尽くした。


 ひれ伏すように、あたりの木々がメキメキと将棋倒しになっていく。

 魔送モニターにも影響を与えているのか、空撮映像が歪みはじめた。


 でも、まだ『ハリケーンアーム』の全力ではない。

 これでも加減してるんだ。


 だって、全力を出しちまったらお嬢様まで吹っ飛ばしちまうからな。


 例のお嬢様はというと、空っぽになった湖の底で、飛ばされまいと必死になって愛馬にしがみついていた。

 これはケガの功名だ。もしメルカヴァだけだったら、湖の水といっしょに舞い上げられてたかもしれねぇ。


 どっかにヨソにやらなきゃいけねぇのは、いまは水だけでいいんだからな。

 さぁて、次はこの水を使って……!

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