第53話

『スーパーバイザーの一部、オーバーリミットフォースが使用可能となりました』



 例の間抜けな音とともになされた、システム通知。

 そしてオレンジのプラスチックカバーに覆われたボタンが、死に際のホタルみてぇにひときわ強く赤い光を放つ。


 一秒千秋の思いで待ち続けてきたものに、ついにゴーサインが出た……!


 あとはカバーを外してボタンを押すだけで、一定時間『オーバーリミットフォース』が発動。

 10倍の威力のスキルによって、カッパの池に引きずり込まれているようなお嬢様を、助け出すことができる……!


 ……だが俺は、ボタンに手を伸ばすことができなかった。


 なぜならば、部員たちの呼び声を聞いてしまったからだ……!



『ボーンデッドさん、どこへ行ったの!? 隠れてないで出てきてよぉ! このままじゃ負けちゃう! このままじゃ負けちゃうよぉっ!? ボクらのこと、見守ってくれてたんじゃなかったの!? 危なくなったら、助けてくれるんじゃなかったの!? お願い! 助けて! 助けてぇぇぇぇぇぇぇーーーっ!!』



 サイラの絶叫が鳴りやまない。

 いっそのこと鼓膜をブチ破られたほうがマシだと思うほどに、俺を責めたてる。


 ……このまま『オーバーリミットフォース』を発動すれば、いま手を握りしめている聖ローのお嬢様は助けられるだろう。


 だがその後しばらくは、ボーンデッドはガラクタと化す……!


 エネルギーのほとんどを使い切り、歩くのもやっとのジジイとなる。

 威力10倍となったスキルに耐えきれず、機体を構成するモリオンが一時的に破壊され、再構築が終わるまでは紙装甲となる……!


 これが意味するもの、それは……『母なる大地学園』の敗北……!


 助けたお嬢様のグラッドディエイターは戦闘不能になるだろうが、敵はもう一機残っている。

 部員たちが相手をしている最中だが、勝利は危うい状況だ。


 しかし、今から俺が駆けつければ、まだ間に合う……!

 俺がグラッドディエイターを倒してやれば、母大はAブロックの決勝へと進出することができるんだ……!


 オーバーリミットフォースを発動せず……コイツを……コイツを、見捨てれば……!


 メインモニターには、湖の水面から辛うじて顔だけ出しているグラッドディエイター。

 その頭上には、ルルロットお嬢様のフェイス。


 コクピット内は天井を残して水没しているので、もがいて浮かびあがり、ほんの僅かな呼吸をするだけでやっとのようだ。

 まるで脚をワニに食いつかれ、沼に引きずり込まれている子鹿のように、なす術もない。


 もはや助けを求める余裕すらもなくなっている。

 小さな手足で一生懸命ジタバタともがき続けながら、涙に溺れる瞳を俺に向け、ひたすらに訴え続けている。


 「助けて……!」と……!


 その無言の叫びが、外から飛び込んでくるサイラの悲鳴とあわさった。


 「助けて……助けてぇ……!!」と……!


 頭の中でわんわんと鳴り響いたふたつの号叫が、俺を責め立てる。


 「どうして……どうして助けてくれないの……!?」と……!


 ……俺は……俺はどうすりゃいいんだ……?

 どっちを……どっちを救えばいいんだ……?


 サイラを助けたら、ルルロットが死んじまうかもしれねぇ……。

 ルルロットを助けたら、サイラたちの学校が廃校になっちまう……。


 悠長に考えてるヒマはねぇってのに……!

 どうしても……どうしても、決められねぇ……!


 そして気づく。操縦桿を押さえ、ペダルを踏みしめていた俺の身体のほうも、もう限界が近いことに。


 これ以上は、とどめてはおけねぇ……!

 早く、早く、どっちを助けるか、決めないと……!


 でも、でも……何も思いつかねぇ……。

 考えることを破棄するみてぇに、頭がぼんやりしてきやがる……。


 ああ……とうとう、目までかすんできやがった……。


 ……どう……すれば……どうすれば……いい……ん……だ……。


 あきらめにも似た感情が芽生える。

 それは一瞬にしてツタのように伸び、俺の心を覆った。


 ……ああ、もう……わからねぇから……もう……どうでも、いいか……。


 ブラックアウトしていく視界。



 ……ああ、ああそうか。

 そうだったんだよな……。



 これってば、夢……夢だったんじゃねぇか……。

 最初は夢だって気付いてたのに……いつの間にか、忘れちまってた……。



 俺は、なにをマジになってたんだ……。

 これはたかが「夢」じゃねぇか……。



 でも、それもとうとう終わるようだ……。

 このまま眠っちまえば、次に目が覚めた頃には、きっとまた元の世界……。



 積み上がったゴミに囲まれ、一日じゅうモニターに向かって、『戦闘墓標ボーンデッド』を遊ぶ日々……。

 腹が減ったらゴミの中から飯を引っ張り出して、ペットボトルに小便して、気を失うようにしてパソコンデスクに倒れ込んで眠る……。



 って、今とそんなに変わりねぇか……。

 いま見てる、夢と……。



 ……視界がゆっくりと、薄暗さを取り戻していく。


 頬に、懐かしい感触を覚えた。

 これは……愛用のゲーミングキーボードだ。


 右手には、何かが手におさまっている。

 これは……マウスだ。愛用のゲーミングマウス。


 俺は、自分が突っ伏していることに気づき、身体を起こした。

 椅子が軋み、ビニールの擦れる音がそこかしこで起こる。


 あたりは暗くてよく見えなかったが、ツンとすえた匂いで、ここがどこだかすぐにわかった。



 ……ああ、ああそっか……。

 ここは、俺の部屋か……。


 つい、寝ぼけちまってたようだ……。


 ここがどこかなんて、わかりきってることじゃねぇか……。

 だって俺はもう何年も、ここから出てねぇんだから……。



 そう思うと、急に寂しい気持ちになった。

 そしてすぐに、悔しさがこみあげてきた。


 あれは夢だと認識していたはずなのに、あれはたかが夢だとわかっているのに、なぜかあふれてくるものが止められなくなっちまった。



 ……助けられなかった……!

 サイラも、ラビアも、シターも、カリーフも……! そしてルルロットも……!


 俺が迷っているうちに、みんな、みんな助けられなかった……!

 どっちか、せめてどっちか選んでいたら……! どっちも失うなんてことは、なかったのに……!



 気がつくと、顔がびしょびしょに濡れていて気持ち悪かった。

 だけど、すべてを押し流すようにあふれるそれの止め方を、俺は知らなかった。



 そんなことも……そんなこともわからねぇのかよ……!?

 四十年も……四十年も生きてきたクセして……!


 これじゃまるで……生まれたばかりの赤ん坊じゃねぇか……!

 俺はママに抱っこされなきゃ、泣き叫ぶことすらやめられねぇのかよ……!



 くそっ……くそっ……くそっ……!


 くそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっ……!!


 くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!



 俺は激情に任せ、両手をメチャクチャに振り回した。

 机に拳を力いっぱい振り下ろし、キーボードクラッシャーのように叩きのめした。


 飛び散ったキートップが、顔にバラバラと当たる。

 マウスを握り潰し、そしてモニターをブチ破ろうと、手をかけた。


 すべてを終わらせるつもりだった。

 パソコンを破壊しちまえばすべてが終わると思っていた。


 絶望すら覆い隠すほどの闇の中で、俺はひとり、雄叫びとともに振りかぶる。


 そして……光を見た。


 その光は、朝日が昇るように、どんどんとその強さを増していく。

 部屋は侵食されるように、移り変わるように白くなっていく。


 俺はあまりのまばゆさに、目を開けているのもやっとだった。


 すでに薄い膜のみで隔たれた、四角い窓のような世界の向こうには、祈りを捧げるふたつのシルエットが。


 静かなる仏殿に響き渡る神楽鈴のように、清らかなる音色が耳に届く。



「……大丈夫、大丈夫。わたしは信じています……! だってボーンデッド様は、すべての善き者の味方なのですから……!」



 祭舞踊で振り鳴らされる神楽鈴のような、賑やかなる音色が続く。



「あったり前です! ボーンデッド様は正義の味方……! なんたって、あたし達ふたりをチャッカリ助けてくださったんですから!」



 俺の身体は、純白に染まっていた。

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