遺書と一緒に


 これを読んでいるということは、私はこの世にはいないでしょう。

 今、思うと私の人生というのも、悪くなかったのではないかと思います。

 人に迷惑をかけたのは人並みだったと思います。

 私は極力、人に迷惑をかけないようにしてきました。

 それでも、人というのは人に迷惑をかけねば生きていけないもので、私は万引きをしたことも酔っぱらって誰かに迷惑をかけたことはありません。

 今、モノが倒れました。

 こんな物を書いていると不思議なことも起こるものですね。

 これはお迎えなんでしょうか。

 もう、私は疲れました。

 みなさん、さようなら。


 ここまで書いて私は遺書を封筒に折りたたんで入れました。

 作文は苦手だったが、遺書となると案外スラスラと書けるものですね。

 この遺書を誰に読んでもらおうかと考えます。

 私は親も兄弟も姉妹もいない。

 いわゆる、天涯孤独の身。

 友人もいない。

 さて、どうしたものでしょう。

 このまま机の上に置いたままにするのも良いのですが、せめて、死ぬときくらい後悔のないように逝きたいではありませんか。

 ああ。こんなとき、天涯孤独は寂しいものです。

 しかし、家族をつくるつもりも友達百人もつくりたいと思ったことのない私。

 今さら、人が恋しいなんて都合が良いと自分でも思います。

 なぜ、天涯孤独になったのか。

 それはもう、なってしまったとしか言いようがありません。

 まさか、二人連続ポックリ逝ってしまうなんて私にはどうしようもございません。

 友人もいないので同情を受けた事がありません。

 私より不幸な人なんてたくさんいます。

 どうか、その人たちのために動いて下さい。

 TVやニュースを見るたびに思います。

 なぜ、あの人たちが死んで私は生きているのだろうと。

 なぜ、神は私を死の対象に選んでくださらないのでしょう。

 いつも思います。

 なぜ、私は生かされているのでしょう。

 映画や本から答えを見つけようとしました。

 見た直後は生きる希望が湧くのですが、それもそのときしか保てません。

 私はそれを繰り返し、年間三百本の映画、三百冊の本を見ていました。

 それでも答えは出ませんでした。

 私は自分が生きた証を残すため、絵を描いてみました。

 表現したいものが無いのでダメでした。

 真っ白な紙に線を走らせても私の心は晴れませんでした。

 次に文章に挑戦してみました。

 最初に申し上げた通り、作文が苦手でした。

 そして、同じ文章でも遺書を選んだのです。

 遺書というのも自己表現のひとつではないかと思い至ったのです。

 毎日死にたいのであれば、毎日、遺書を書けば良いのです。

 今、これを読んでいるアナタ。

 実はこれも遺書なのでございます。

 遺書を毎日書く。

 いえ、私が書くものは全て遺書なのです。

 遺書というものは不思議なものです。

 一日の終わりに書いて眠ると一回死んだ気分になるのです。

 私は毎日死んで、毎日生き返っているのです。

 今日で何回目の転生でしょうか。

 部屋はいつのまにか遺書の封筒でいっぱいです。

 私が死んだとき、部屋に最初に入った人はビックリするでしょうね。

 案外、まとめられて本として出版されるかもしれません。

 死んでから私のファンが付くというのも面白ですね。

 遺書は今となっては私の可愛い作品であり、私自身なのです。

 さて、そろそろ眠くなってきたので今回の遺書はここまでにしましょう。

 もし、この遺書が最後になっていたら私は本当に死んでしまったのでしょう。

 読んでくださった方、読んでくださりありがとうございます。

 私は遺書として生き続けます。

 遺書と一緒に。

 あら、また、物が倒れましたわ。

     

                          了





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