閑話 もう一つの戦い


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 ノービスのとある一画。テローエ男爵の屋敷にて。




(何故だ? 何故こんなことに?)


 テローエ男爵は冷や汗を流しながら狼狽していた。


 事の始まりは約一時間前。この屋敷にドレファス都市長が一人の護衛を連れて訪問してきたことから始まった。


 事前の連絡もなく無作法なと思う男爵だったが、魔石の件で重要な話があると切り出されては迎え入れざるを得なかった。そして、


「男爵殿。貴殿がヒトを凶魔化する魔石の販売に一枚噛んでいたことは調べがついている。速やかに縛につかれることを薦めるぞ」


 その言葉に、男爵は目の前の相手を始末せねばならないと判断した。まだ証拠がなくカマをかけているだけということもあり得たが、どのみち都市長に疑われた以上いずれ真相は明るみに出る。


(いかに都市長とは言え、卑しい冒険者風情から成り上がっただけの男。由緒正しい貴族たる私が捕まるなどということがあり得て良いはずがないのだ)


 そんな単純な思考から、テローエ男爵は急遽部屋に入れられるだけの手勢を集めて襲撃した。不意を突けるよう一人はメイドに扮させ、トレイから都市長がワインを手に取った瞬間に切りかからせた。だというのに、


 ザンっ!


 剣が振るわれると共に、また一人ばたりと倒れる。剣を打ち合うこともなく、斬られた方は自身が斬られたことにすら気づかず一瞬で意識を刈り取られた。


 周囲に見えるは同じように斬り倒された計十九名。それも全員がまだため生きている。


 それを成した男。ジューネの用心棒にして一時のみドレファス都市長に付き従っているアシュは、一度大きく剣を振るってそのまま納刀する。


「……ふぅ。一丁上がりっと! 残るはアンタだけだぜ? テローエ男爵」

「ば、バカな!? 我が手練れの部下がこうもあっさりと」

「残念ながら男爵殿。少々部下の質が良くなかったようだな。見た所どれも精々冒険者で言えばD級。ぎりぎりC級が一人か二人といった所か。無論連携が取れていれば実力の底上げも出来ようが、それすら無くてはただの烏合の衆と変わらぬよ」


 そう冷静に戦況を観察しながら、ドレファス都市長はソファーに腰掛けたまま優雅にワインを傾ける。


 敵が襲い掛かってきたというのにまるで慌てるそぶりも見せず、あまつさえ受け取ったワインを一滴たりとも零すことなくじっくりと味わう都市長。まるで自分の身の誰かが刃を突き立てるなどあり得ないとでも言わんばかりのその態度。挙句の果てに、


「……ふむ。部下の質は悪いがワインの質は上々だ。その目利きがヒトにも使えればよかったのだがな」


 これである。まったく余裕を崩さない都市長の態度に、テローエ男爵はますます困惑の色を見せる。


「くっ!? 良い気になるなっ! この成り上がり者めっ! この場に集めたのはほんの一部よ。この屋敷にはまだ他にも手勢が」

「いや。だからさっきも言ったろう男爵様よ。……だって」

「何を……まさかっ!?」


 男爵は慌てて手元にあった連絡用の道具で、屋敷内に常駐している他の手勢を招集しようとした。だというのに相手からの反応はない。これが意味するところは、


 コンコンコン。


「失礼致します。都市長様。屋敷の大まかな部屋の制圧は完了致しました。こちらの死傷者はありません」

「そうか。報告ご苦労ベン。……聞いた通りだ男爵。とっくに部屋の外の貴殿の部下は衛兵隊によって拘束されている。下手に抵抗せず死傷者が無かったのは良い判断だったな」


 衛兵隊長の言葉を聞きながら、都市長は穏やかに笑いかける。


 ちなみにこれは少しだけ事実とは異なる。男爵の手勢は抵抗したが、士気も練度も数も衛兵隊の方が上だったので、怪我をさせることもなく普通に制圧されただけである。


 その事実に思い当たり、男爵はわなわなと震えながら都市長を睨みつけた。


「ふ、ふざけるなぁっ!」


 もはや冷静な思考力の残されていなかった男爵は、ただただコケにされた怒りをぶつけるべく壁に飾ってあった装飾剣を手に取って都市長に襲い掛かった。


 装飾剣とは言え一応刃はあり、男爵自身も最低限の武芸程度は身に着けている。実際勢いだけならこの瞬間D級冒険者と同格か上回っていたかもしれない。


 そしてアシュやベンもまたその動きを止めようとしなかった。動き自体は見えていても、仮にも相手は下級とは言え貴族位だ。下手に手を出せば問題になる。


 なのでこの時、都市長自身が男爵の剣を防いだのは当然の事だろう。


「…………なっ!?」


 使ったのがでさえなければ、もう少し絵になったのだろうに。


 男爵は唖然とする。それもそのはずただのトレイである。


 都市長が身に着けている剣であったとしても、或いはそこらに倒れている部下の剣を使ったとしてもそこまで驚きはしなかっただろう。しかし都市長が使ったのは武器でも防具でもなんでもない。


 耐久性も本気でそこらに叩きつければヒビが入るか割れるであろう程度だ。だというのに、


「ふっ!」


 都市長はトレイを盾のように翳して装飾剣に向かい、剣が表面に当たるか当たらないかギリギリの所でトレイをくるりと反転。剣を巻き込むように回転させ、その勢いに思わず男爵は剣を取り落す。


 その瞬間、都市長はもう片方の腕で男爵の腕を掴み、そのまま地面に引き倒した。


「ヒュ~! やりますね」

「友人から教わった技だ。……男爵殿。私は確かに元冒険者の成り上がり者だ。しかしながら、それゆえに修羅場を潜った数であれば……すまないな。貴殿とは桁が違うのだよ」

「ぐっ!? ……くそっ!」


 アシュが口笛を吹いて称賛する中、都市長は淡々とただ事実を口にする。


「……さて。調べは付いているが、一応確認しておこう。貴殿はヒトが凶魔化する魔石を、自身の管理する倉庫街、通称物置通りを中継して売買していた。それは認めるな?」

「な、何の事だ? 私にはサッパリ」

「とぼけてもらっては困る。ネッツの名前を偽装して門の審査を通っていた商人ギルドの職員が吐いたぞ。貴殿と結託して精製した魔石を大量にここに保管していることを」


 もちろんそれだけではでたらめを言っている可能性もある。しかし今日別の場所であった魔石の取引。そしてその際の魔石を運ぶ荷車を衛兵隊が追い、途中襲撃を受けて一度見失いかけたがすぐにまたのは幸いだった。


 そしてその男がこの屋敷に魔石を運び込むのを確認して確証に変わった。そこですぐさま衛兵隊の本隊を率いてこの屋敷に突入したというのが流れだ。


「それは……」


 床に押さえつけられている男爵は、必死に弁明しようと頭を働かせる。……だが、


 キイイイインっ!


「何だ?」


 どこからか、高い金属音のような音が聞こえてきた。都市長やベンはその音の発生源を探し、


「…………うぐっ!?」

「……っ!? 都市長殿っ! 押さえている男爵から離れろっ!」

「むっ!?」


 アシュの声に咄嗟に手を放して距離を取る都市長。見ると、男爵の身体から黒く妖しい光が放たれていた。


「がっ!? ば、バカな!? 何故これが勝手に作動を!? ……奴らめ。裏切ったなあアアァっ!?」

「これはっ!?」


 見る見る変貌する男爵の身体。遂には言葉すらただの咆哮に変わり、後に残るのは一体の鬼凶魔のみ。


「ガアアアアァ」


 そして、異変はまだ終わらない。


「「ガアアアアァ」」

「むっ!? 都市長様。倒れている者達の何人かも同じようなことになっておりますぞ!?」

「隊長っ! 先ほどまで拘束していた者達が、突然凶魔に変貌しましたっ! 現在応戦中であります!」


 ベンの言う通り、アシュが気絶させた者の数名も同じように凶魔へと変貌し、駆け込んできた伝令から伝えられるのは更なる混乱。素早くベンが窓から外を確認すると、そこには見えるだけで十体近くの鬼凶魔が衛兵隊相手に戦いを繰り広げている。


 まさに阿鼻叫喚。拘束されたままで凶魔化していないものは突然のことに怯え、迎撃している衛兵隊の面々も突然の事に隊列が乱れかけている。


 このまま行けば一気に戦線が崩壊しかねない絶望的な状況。だが、





 都市長の鬼凶魔の咆哮にも負けない、寧ろそれを上回る一喝が屋敷中に響き渡った。あまりの声のデカさにまさかの鬼凶魔すら一瞬動きを止める。


「凶魔がどうしたっ! 居る可能性は最初からあったはずっ! 諸君らは衛兵隊だっ! このノービスの秩序を守り、ヒトを守る盾であるっ! 凶魔ごときに後れを取るなっ!」


 都市長の一喝に、乱れかけていた衛兵隊も持ち直していく。


「ベンっ!」

「はっ!」

「直ちに中庭に出て指揮を執れっ! 対凶魔用の装備の使用を許可する。拘束している者達を守り、凶魔達を撃破せよ!」

「直ちにっ! ……しかし都市長様。この部屋の奴らはいかがしましょうか?」


 ベンの言うことももっともだ。この部屋には元男爵を始め、凶魔化したものが五体はいる。おまけに床には気を失っている者達が十人以上。それを守りながらはかなり厳しい。しかし、


「アシュ殿っ! 私は自身と気を失っている者達の守護に専念する。実質一人で仕留められるか? なるべく殺さずに」

「……そうですなぁ」


 アシュは軽く周囲の状況を見渡し、倒れている者達の位置取りなどを確認して結論を出す。



「二分……いや、一分あれば余裕ですな」



 スラっと剣を抜き放ち、アシュはそう事も無げに言って獰猛に笑った。





 まだこちらの夜は終わらない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る