第191話 襲う影あれば守る影あり


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 ガキンっ! ガキンっ!


 どこかから金属的な何かが壁にぶち当たるような音が聞こえる。


 夢から覚めるように意識が急速にはっきりとしていき、俺は温かな首元の感触と胸の鈍痛と共に目を覚ます。


「うん…………そう。お姉ちゃんの方は一応準備よろしく。エリゼ院長にもよろしく言っといて。…………うん。こっちの方で……って!? トッキーっ!? 良かった! 目が覚めたんだね」

「……んっ!? シーメ……って!? うわっ!?」


 俺は慌てて起き上がる。何せ俺が今まで頭を乗せていたのはシーメの膝。つまるところこれはいわゆる膝枕という奴じゃないか!?


「ひっどいな~。これでもそこそこ美少女なシスターの見習いだよ! そんな対応されると落ち込んじゃうじゃん」

「それはゴメン……って、今どういう状況なんだ?」


 わざとらしく頬を膨らませるシーメだが、その顔には結構な疲労の色が見えている。そして俺達の周りにはシーメが出しているらしい光の膜と、それに弾かれながらも執拗に向かってくる影の刃。この影って……まさかっ!?


 少し離れた所に見えるのは、こちらに向けて影を伸ばす人型の何か。そしてその影に応戦するエプリやボンボーン。さらに離れた所で戦っているヒースとネーダ。


「そうだね。今そんなに余裕がないから良く聞いてよ」


 シーメは俺の言葉を聞いて真面目に話してくれた。


 俺が胸に一発喰らって倒れた後、セプトが遂に限界を迎えて凶魔化したこと。そこに仮面の男や凶魔化したネーダ、ヒースやボンボーンさん、そして合流したエプリが加わって乱戦になったこと。


 仮面の男は倒したけど、今度は凶魔化したセプトが俺を狙って影を伸ばしてきたからエプリ達が抑えてくれているという。


「そんなことに……いてっ!?」


 触手が伸びてきて頭を叩かれた。見ると、土の槍が直撃して穴が空いた所からヌーボが姿を覗かせている。身体そのものには僅かに血が滲んでいるだけで済んでいることから、エプリに貰った胸当てとヌーボのおかげで助かったらしい。


「ああ。助かったよヌーボ。ありがとうな。シーメもありがとう」

「へへっ! 怪我したヒトを助けるのはシスターとして当然の事だよっ! ……じゃあ早い所ここから離れようかトッキー。今なら付き添うよ」


 シーメが言外に匂わせたのは、俺がある程度安全な場所に離れるのを見計らったらすぐさま自分がとんぼ返りするということ。なら、


「言っとくけど、トッキーが戻るのは正直お勧めしない。……というか反対。さっきだって私やボンボーンさんの制止を振り切って行った結果がこれじゃん」


 俺の考えていることを察したのか、やや強い口調でシーメが忠告する。


。エプリやセプトちゃんからちょっと話を聞いたりさっきまでの姿を見た感じだけど、ちょこっと頑丈で元気なヒトってだけ。それなのにこんな乱戦に向かっていくなんて危険すぎるよ」

「でも」

「でもじゃないっ! トッキーは皆を守ろうとするけど、自分もエプリやセプトちゃん達にこれまで守られていたって自覚ある? わざわざ危険に身を晒して、誰かが喜ぶと思う?」


 その時のシーメはどこか大人びて見えた。見た目こそ俺より少し年下って感じなのに、それだけ色んなことを経験してきたってことだろう。


って気にならないでよっ! ……だからトッキー。動けるなら早くこの場から離れよう」


 シーメの言うことは正しい。


 俺は強くなんかない。さっきの鬼凶魔達となんとか戦えたのだって火事場の馬鹿力的な奴だ。またやれと言われても難しい。


 セプトがあんな状態になっている以上、俺一人では特に出来ることは無いだろう。前に戦った時みたいに、銭投げで影を一時的に影を抑えたり伸ばしたりはできるかもしれないが、逆に言えばそれまでだ。


 なら邪魔にならないように、ここから少しでも離れた方が良いのは間違いない。……だけど、


「…………ゴメン。やっぱり俺はここから離れることは出来ない」

「トッキーっ!?」

「だって見ろよ! 


 起きたばかりの時はガキンガキンとうるさいばかりだったのに、今じゃまるで静かだ。見ると影の大半がまとめてエプリの方に向かって行ってしまっている。


 こちらの膜のすぐ近くまで二、三本寄ってこようとするのだが、何かに無理やり動かされているかのように引き戻されているのだ。


「いくらエプリでもあれだけの影を一人で相手取るのは難しい。

「それを自分がやるっての? だからそうやって自分の身を危険にさらして、エプリが喜ぶとでも」

「思わないってのっ!」


 それくらいは言われなくても分かる。絶対エプリはこんなことしたら怒る。ブチ切れる。……だけど、


「だけど俺はセプトを助けたい。そしてエプリも必ずセプトの事を助けようとする。なら俺が出来るのは、少しでも影の注意を対処できる範囲でこっちに向けて、エプリの手助けをすることくらいだ」


 凶魔になってもセプトが俺に執着しているなら、俺が近くに行けば確実に少しは俺の方に注意が行く。あとはその間にエプリが何とかするはずだ。


 ……そして、それは多分俺だけじゃできない。仮に影が殺到したとしたら、正直俺が何秒持つか分からないしな。だから、


「シーメ。手を貸してくれないか? 逃げるんじゃなくて、エプリもセプトもどっちも助けに」


 それを聞いた時のシーメは、呆れたような喜んでいるような何とも言えない顔をしていた。





「ゴメンっ! ちょっと寝てたっ!」


 俺が慌ててエプリの横に駆け付けて並んだ時、状況はかなり切迫していたと思う。


 セプトらしき凶魔は影を網のように伸ばしてエプリを包み込もうする直前だったし、エプリの方もまた周囲に目に見えるほど圧縮された風の塊を創っていた。あれって大分前に俺が監獄で食らった“竜巻トルネード”じゃないか?


 あんなもの至近距離で影の網に使ったら自分だってただじゃすまないってのに、エプリの方も相当ギリギリだったらしい。


 ボンボーンさんの方も、影を相手に直接殴ったらマズそうなので瓦礫を盾にしながら応戦していたし、ヒースは凶魔化したネーダと切り結んでいた。


「このバカっ! 何でこっちに来たのっ!? 今からでも遅くはないから早くこの場から離れなさいっ!」


 ほらやっぱり怒られた。エプリがいつもの……も無しで俺に怒鳴りつけてくる。


「足手まといなのは俺だって分かってるよっ! だけどエプリにばかり影が集中してヤバいと思ったから来たんだって! ……まあこんな風になっちゃうとは思ってなかったけどな」


 そう。それぞれで戦っていたのだけれど、俺が来たことで変化が起こる。


 いや、一部の影は今も刃として俺に向かって来ようとしているのだけど、それはどれもブルブルと震えながら動きを止めている。


 そしてセプトらしき凶魔はというと……何か俺の方に顔を向けてじっと見ていた。というかあの顔のっぺらぼうなんだけど!? 額に魔石みたいなものがくっついてるし。


「影の注意を俺に引き付けている内にエプリがどうにかしてくれるかと思って来たんだけど、これ一体どういう事だ?」

「……はぁ。アナタに言いたいことは山ほどあるけど今は要点だけ。多分あの凶魔は正確にはセプトじゃなくて、セプトの身に着けていた器具の魔石が凶魔化してセプトを包み込んでいる。……さっきあの影凶魔を覆っている影のドレスを削ったら、内部に少しの間だけ元のままのセプトの姿が見えたわ」


 エプリは影が止まっているとはいえ、油断なく構えながら話してくれる。見ればボンボーンさんも同じく構えながら止まっている。今下手に動いてこの膠着状態を壊したくないって所か。


 よく分からないが、セプトが無事だってことに少しホッとする。なら後はセプトを覆っているあの凶魔を何とかすれば良い訳だ。


「それにしてはアイツが影を操るのはどういう訳だ?」

「……完全な凶魔化こそしてないにせよ、セプトが何かしら凶魔と繋がっているということは間違いないわ。……そうじゃなきゃそもそもトキヒサに執着したりはしないはずでしょ」


 確かにそうだ。奴隷としてだからなのかもしれないが、セプトはやたら俺への好感度が高かったからな。それがちょっとだけ影響している可能性はある。


 待てよ? セプトの意識が僅かにでも影響してるってことは……よし!


「エプリっ! いざとなったら頼むな!」

「……なっ!? ちょっ!? ちょっと待ちなさいトキヒサっ!?」


 俺は意を決して一歩前に踏み出す。いきなりの行動にエプリも反応が遅れ、その間に俺はスタスタと影凶魔の下に歩いていく。


 その間影はやはり動かず……いや、ブルブルと震えていた影の刃が一つ強引に動き出し、そのまま俺にめがけて突き出される。だけど、


「よっと!」


 俺が何回セプトのこの魔法を見てきたと思ってんだ。一本だけ、それもぎこちなく突き出されたような奴なんか食らうかよっ!


 俺は貯金箱を取り出してなんなく……いや、ちょびっとだけ怖かったけどそれを受け止めて防ぐ。


 そのまま二歩、三歩と進んでいく内に、襲い来る刃はやはりぎこちないながらも少しずつ数を増やしていく。だけど、


 ガキン。ガキン。


 結局俺には一度たりとも届かなかった。何故なら、襲い来る影をのだから。


 どちらもさっきエプリと戦っていた時とはまるで別物のように動きに精彩がない。だがこれが、セプトが凶魔のようになりながらも未だ人であることを示しているように俺には感じられた。


 そして、





「Aaaaarっ!」

「何を言っているのかよく分からないけれど、待たせたなセプト! 


 俺は目の前でどこか悶えるように咆哮する影凶魔に対し、いつものように気楽に話しかけた。

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