第189話 風と影は夜に躍る


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 ザンっ!


 地面を切り裂くように、影凶魔の足元から黒い影が幾筋も伸びる。


 その一つ一つが狙うのは……いや、もはや執着と言って良いほどにまで求めるのは、倒れ伏したままシーメの治療を受けている時久ただ一人。


 だが、そうはさせじとばかりにエプリが強風でもって影の接近を阻む。魔力でもって伸びる影である以上、同じく魔力によって操る風であれば干渉できた。


「Aaaaarっ!?」

「アナタがそう成り果ててなおトキヒサを求めるのは……いえ。と思っているのは理解できるわ。……でもセプト。今のアナタをトキヒサに近づけるわけにはいかない」


 影凶魔が苛立ちのような声を上げる中、エプリはまるで駄々っ子を諭すように口にする。


 エプリは影の挙動から、まだセプトが程度は不明だが意識を残していると判断した。さっきから時久のみに影を伸ばし、それ以外には迎撃を除いてほとんど手を出していないからだ。


 しかし、だからこそ今のセプトは近づけさせるわけにはいかない。今のセプトはおそらく時久を傷つけかねないことを自覚していない。


 魔力で伸ばした影は凶器だ。もちろん精密な魔力操作によって影で物を持ち上げたり、人形のように操作することは可能だろう。だがそれは普段のセプトならの話。今の影凶魔と化したセプトではそこまでは難しい。最悪先ほどの仮面の男のようになりかねない。


 ここで影凶魔を仕留めるという選択肢もあったが、それは頭の片隅に追いやる。第一護衛対象が時久であることは間違いないが、セプトも一応同行者……優先順位はやや劣るが護衛対象の内だ。凶魔化を解ける可能性がある以上、仕留めるにはまだ早い。


 故にエプリのとった行動は、“時久の治療が終わって自衛ないし逃走が出来るようになるまで防御に徹して時間を稼ぐ”という、先ほど時久がやろうとしていたこととほぼ同じものだった。


「Aaaaarっ!」


 影凶魔が苛立って影の本数を増やすも、エプリはまるで影の動きが分かっているかのように全て“風刃”で相殺していく。


 いや、実際に分かっているのだ。既に周囲一帯は“微風”の影響下。魔力の流れがあれば大まかにだが感知できる。おまけに普段のセプトならまだしも、今の影凶魔は愚直に、直線的に時久のみを狙っている。


 これだけ揃っていれば反応できない道理はない。時折邪魔者であるエプリ自身に二、三本影が伸びてくるが、こちらは自身を強風で巧みに加速、減速を織り交ぜ回避していく。


「…………うぅっ!」

「……!? エプリ! トッキーもう少しで目を覚ましそうだよ!」


 治療中のシーメからの言葉に、エプリはそのまま影を蹴散らしつつザザッと時久達を守るように着地する。


 完全に状況はエプリの優勢……。だが、


(……チッ。やはりこのままじゃ長期戦は不利ね)


 油断なく身構えながら、内心エプリは舌打ちをしていた。


 実際に影と相対している身だから分かることだが、


 これが凶魔として身体が馴染んできたからなのか、あるいは他の要因があるのかは分からないが、このままでは下手をすると時久が起きるより前に厄介なことになりかねない。そして、


「アアアァaaaarっ!」


 エプリの懸念はすぐに現実のものとなった。今度は傍から見ても分かるほど数と威力を増した影が、やはり大半が時久と近くに居るシーメに向けて伸びてきたのだ。


「トキヒサっ!? ……くっ!? “風壁ウィンドウォール”っ!」


 エプリが咄嗟に時久達の正面に風壁を展開し、影を上から吹き降ろす風で釘付けにする。そして自身に伸びる影にも対処していくのだが、先ほどよりも動きに余裕がない。


 それもそのはず。影が増えて時久達の方に風壁を展開し続けている以上、その分自分の方に回せる魔法も限られてくる。微風で相手の出だしは察知できても、それを回避するために魔法をホイホイ使う訳には行かず、おのずと体術のみで回避を強いられる。


 スパッ。スパッ。


 エプリの頬が薄皮一枚影で切り裂かれて血が滲み、その拍子にフードがバサリとめくれる。素顔が露わになったがエプリにそれを気にする余裕はなく、その後も少しずつ、少しずつ戦闘に支障はない程度に肌や服が切り裂かれていく。


 このままではジリ貧。そこまで長くは保ちそうにない。エプリの額に冷や汗が浮かぶ。そこへ、


「“光壁ライトウォール”!」


 響き渡るのはシーメの声。エプリが自分へと向かう影を捌きながらチラリとみると、シーメは自身と時久を囲うようにまた光の膜を展開させていた。


「トッキーの怪我と毒はもう大丈夫! 目を覚ますまでこっちはバッチシ守るから、エプリはそっちをお願いっ! ……セプトちゃんを止めてあげてっ! 全部終わった後、また笑って会えるようにっ!」


 エプリは一瞬、ほんの一瞬だけ迷った。この影の刃はかなりの威力がある。防ぎ続けるのは自分でも厳しい。自分が風壁を解くことで、その分もまとめて向かうことになる。


 しかし、エプリはシーメの表情を見ていけると判断する。その顔には悲壮感はなく、ただ自分の出来ることを成そうとする決意のみ。エプリは意を決して風壁を解き、そのまま自身に強風をかけて纏う。


 もうこうなれば、なるべく後遺症を残さないように戦って戦闘能力をそぎ落とすしかない。


「……少し荒療治になるけど、我慢してもらうわよ」





「Aaaaarっ!」


 影凶魔は再度咆哮し、新たに増やした影を大量に伸ばしていく。その大半が時久に向かっていくが、これまでとは違う点がある。シーメの光壁だ。


「うわっ!? キッツ~。……だけど、まだ耐えれるよセプトちゃん」


 両腕を翳し、ガツンガツンと先ほどから影がぶつかってくる光壁を維持しているシーメ。連戦でやや疲労の色が見えているものの、シーメの光壁は揺るがない。


 シーメはセプトがこうなったことに責任を感じていた。そしてそれは同調の加護で大まかに察している他の姉妹も同じだった。


 セプトが着けていた器具。それは自分達が手伝い、敬愛するエリゼ院長が作ったものだ。これで凶魔化を防げるという自信があった物だが、それでもさっきの仮面の男によって無理やり凶魔化されてしまった。


 凶魔化の誘発なんて想定外だったということはある。それでもこれ以上目の前のセプトに、に、凶魔として誰かを傷つけさせたくなかった。


 だから防ぐ。いくら影が押し寄せようとも、自分もトッキーも傷つけさせない。シーメのその決意を背に、エプリはここで初めて防御ではなく攻撃に転じた。


 とんっと軽く地を蹴り、強風による追い風を受けて凄まじい速度で影凶魔にセプトが迫る。


 影凶魔はほんの僅かに驚いたように動きを止め、すぐに時久に向かう影以外をエプリに向かわせた。そして目前まで迫った影を、


「……やっ!」


 エプリは鋭く叫ぶとともに、風の勢いで高く跳躍して回避する。そのまま宙返りのように体勢を変えると、今度は自然落下しつつ懐から短剣を取り出す。


「Aaaaarっ!」


 影凶魔は落ちてくるエプリに向けて幾本も影の刃を突き出した。通常なら身動きできない空中に居る時点で直撃は避けられないだろう。だが、エプリの真骨頂はむしろ空中戦だ。


 エプリは僅かな強風の制動と、片手で振るう短剣で影の刃をするりするりと掻い潜っていく。そして弾丸のようなその勢いのままにもう片方の手で掌打の構えを取る。



 風の勢いを利用しての高速突撃。それは以前戦った時の再現。



 かつて、これで勝負の着いていた一撃。


 それを決め技に選んだのはどこまで行っても偶然だろう。しかし、


「Aaaaarっ!」


 。そして、今回はそれは悪い方に進んだ。


 影凶魔はエプリのやろうとしていることを察し、自身に残った影を敢えて伸ばさず自分の手前に剣山のように広げたのだ。


 速度を落とさずそのまま行けば串刺し。急停止をかけてもその動きの止まった隙を突く。一度受けた技だからこその対処法。


 ……だが、影凶魔はその思考の大半を時久への執着に割いていたので忘れていた。



 以前自分にクラウンが味方したように、今回はエプリの側に味方が居ることを。



「うおおおっ!」


 、手ごろな瓦礫で剣山に横から殴りつけた。


 影は衝撃で一瞬揺らぎ、その僅かだが致命的な隙をエプリがすり抜ける。そして、



「……はぁっ!」


 

 片手に溜め込んでいた魔力を掌打の形で一気に放出し、影凶魔が身に纏う影のドレスをこそぎ落とした。

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