第188話 その名を忘れてなお


 エプリは内心困惑していた。


 目の前の何かがセプトであることは見つけた時の状況からしてまず間違いない。だが、あの奴隷の少女と目の前の異形とがどうにも結びつかない。


 凶魔化したからと言えばそれまでなのだろうが……何かそれとは別の違和感を感じていた。まがりなりにもそれなりの時間を共に過ごした者として。


「……っ!? おい見ろっ!」


 ボンボーンが指差す先、そこに居るのは先ほど磔にされた鬼凶魔達。二体は必死に身体を捩って拘束から抜け出そうとしていたが、影の刃はそれぞれがガッチリと両手両足に食い込んでいてちょっとやそっとでは引き剥がせそうにない。


 そしてさらに追い打ちをかけるかのように、新たに地面の影から生成された刃がそれぞれの鬼凶魔に向けて伸びると、なんとそのまま幾重にも細かく枝分かれして胸元に食い込んだ。


「「グガアアァっ!?」」


 鬼凶魔達は苦悶の叫びを上げるが、その程度で刃は止まる筈もなく、ズブズブと音を立てながらドンドン潜り込んでいく。そして、


「「アアアァ…………あぁ」」


 ぐちゅりと嫌な音を立てて何かをそれぞれの身体から引きずり出したかと思うと、突如興味が無くなったかのように鬼凶魔達をその場に放り出す。


 鬼凶魔達は崩れ落ちるとそのままピクピクと痙攣し、みるみると縮んで元のヒトの姿に戻っていく。しかし、その顔色は明らかに悪く身体もあちこち傷だらけだ。


 抜き取られたのは凶魔化の原因、核となっていた魔石だった。魔石は妖し気な光を放ちながら脈動している。


「魔石を……抜き取っただと? いや、そもそもどうして!?」


 ヒースは驚きの表情を見せる。それもそのはず凶魔はヒトを襲う。モンスターも襲う。だが。無論明らかな敵対行動をとった場合は別だが、それが凶魔という現象であり常識だ。


 いきなり常識からズレた行動をとる新たに現れた凶魔……影凶魔に警戒を露わにするヒースだが、目の前のネーダに向けても構えを崩さない。


 ……だが、この後の影凶魔の行動によって一同はさらなる驚愕を味わうことになった。


 影凶魔は二体から抜き取った魔石を影で包み、そのままのだ。


『…………そうか! なるほどそういう事か! フハハハハ。これは実に珍しい!』

「……へぇ。そこのアナタ。何か知っているみたいね」

『ああ知っているとも。まさかとは思ったが……これはだ』


 仮面の男がつい抑えきれずという感じで肩を震わせて笑い出したのに対し、エプリがダメ元で尋ねてみる。どうせ先ほどの自分のように答える必要は無いと返されるかと思っていたが、意外にも仮面の男は普通に答えた。


 声を僅かに弾ませ、まるで喜びを隠しきれないように。


『凶魔の中でも数少ない変種。ヒトのみならず他の凶魔をも襲い、その魔石を取り込むことで成長していく生きた現象……いや、いずれにも成り得るモノ。実験では未だ数少ない偶然でしか産み出せていないモノが、まさかこんな所で見つかるとは! 素晴らしいっ!』


 仮面の男はゆっくりとした足取りでセプト……影凶魔の方に近づいていく。


『さあもっとよく見せてくれたまえ。君は貴重な検体だ。何故通常の凶魔化ではなく凶魔喰いとなったのか? それが素体に何か意味があるのかそれとも身に着けていた器具に原因があるのか、はたまた別の要因があるのか? それが君の身体を調べることで解き明かされるかもしれないのだ。さあさあ早く私の元に…………おや』


 どこか狂気を感じさせる勢いでまくし立てる仮面の男だったが、ドスッという音と共にふと自分の胸を見る。


 そこには、影凶魔から伸びた影が槍のように何本も束ねられて突き刺さっていた。そのワンシーンはまるで、自らが時久に対して行ったことへの意趣返しのようで。


『……ほぉ。これは驚いた。まさか凶魔避けの道具をものともせずに攻撃してくるとは。一瞬反応が遅れてしまった。……素晴らしい! 君は実に素晴らしい検体だとも! ますます欲しくなっ…………ゴハッ!?』


 話している途中だったが、仮面の男の言葉はそこで途切れた。なにせ身体の内部から影の槍がばらけ、そのままに向けて一斉に突き出されたのだから。


 仮面の男は身体の内部から幾本もの影の槍に貫かれ、そのまま一度大きくビクッと跳ねると動かなくなった。


「Aaaaarっ!」


 影凶魔は先ほどよりもぞんざいに仮面の男の身体を放り捨て、そこへさらに追撃とばかりに一抱えもある影の大槌がひとりでに振り上げられる。


 以前のハリセンのような非殺傷武器ではなく、完全に殺意を込めた一撃。それがぐしゃりと仮面の男の身体を叩き潰した。





「……おい。どうするよこの状況?」

「こっちに振らないでよボンボーンさん。それより今はトッキーの方! 大丈夫トッキー?」


 どうにか最低限の応急処置を終え、急いで時久とセプトの後を追ってみればこの状況。トキヒサが倒れていたことはまだ予想の範疇にあったが、セプトがああ成り果てていることまではボンボーンも予想できていなかった。


 しかしボンボーンが困惑している中、シーメは慌てて怪我人である時久に駆け寄る。だが、そこには既に先客が居た。エプリだ。


 エプリは時久の傍らで、未だ戦い続けているヒースとネーダ、そして今なお仮面の男の身体を執拗に壊し続けている影凶魔に警戒し続けていた。いざとなればどちらかに、あるいは両方同時に介入できるように。


「エプリ! トッキーの容体は? 見た所胸に酷い傷があるみたいだけど」

「……大丈夫。ざっと調べただけだけど外傷はごく僅かよ。のおかげね」


 エプリは、時久の服の穴からにょろりと覗く、ボジョを指し示した。


 時久が土の槍で貫かれる時、ボジョが咄嗟に触手で槍を受け止めていたのだ。


 だが、ボジョの力だけでは完全に防ぎきることは出来なかった。そこで地味に役立ったのは、今日買い物の中でエプリが時久に贈っていた革製の胸当てだった。


 時久がそれを偶然出発の前に服の下に着込んでそのままにしていたこと。衝撃に強く伸縮性のあるホッピングガゼルの革を使ったものだったこと。ボジョの力で槍の勢いが大分弱まっていたこと。


 そして時久本人の耐久力などの要因が重なり、実際は土の槍は時久の薄皮一枚を傷つけただけだった。


「トキヒサが気を失ったのは……まあダメージのためというよりさっきまでの毒霧のため。それで弱っていた所に、自分の胸に槍が刺さったのを見て勘違いした……といった所かしら」

「だとしても毒で弱っているのは間違いないから、私はトッキーの治療に移るね。……エプリはどうする?」

「私は……ちょっとやらなきゃいけないことが出来たようね」


 エプリは時久の治療を始めたシーメを手で自身の後ろに回すと、時久共々背に庇うように立つ。その視線の先には、仮面の男の身体を完膚なきまで破壊し、今度はこちら……正確に言うと視線を向ける影凶魔の姿があった。


「……こうしてアナタと戦うのは二度目ね。来なさいセプト」


 風が吹き抜ける。エプリの周囲にヒュルリヒュルリと。そして、エプリは挑発するように軽く影凶魔に向けて笑いかけた。不敵に。不遜に。


「……一応アナタも私が護る対象の一人だけど、護るべき誰かを見失ったというのなら……思い出すまで相手をしてあげる」





 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 ……暗い。とても暗い。そして寒い。


 私の主人が、××××が倒れてしまった。これ以上傷つけさせないと自分に誓ったのに。


 目の前が真っ暗になり、私の身体は影に……いや、それとは少し違う何かに包まれる。


 私は奴隷。奴隷は主人のためにあるモノ。自分で選んだ主人が居なくなってしまったら、自分の大切なヒトが居なくなってしまったら、私はどうしたら良いのだろうか?





 気が付いたら、周りにはよく分からないモノが沢山居た。暗いからか何なのか姿がよく分からない。


 壊せ。打ち砕け。食らいつけ。殺せと、自分を包むが囁く。今ならいつもよりも強く、早く、まるで手足のように影を伸ばせそう。


 言われるがまま、私は影を伸ばしてそこそこ大きい二つを捕まえる。これともう一つ……いや二つ? からは少し美味しそうな感じがしたからだ。気が付いたら私は酷くお腹が減っていた。


 美味しそうな所だけを引きずり出し、それ以外は要らないから放り出す。影に取り込み早速それを味わう。……そこまで美味しくなかった。変な苦みがある。


 はさっきからずっと私に囁きっぱなしだ。喰らうだけでなく殺せと。壊せと。


 いけない。これは私の主人じゃない。だから従ってはいけない。私は声を無視しようとする。だけど、


『~~~~~~』


 周りのモノの中の一つ、耳障りな音を立てているそれを見て反射的に思った。これは壊すべきモノだ。喰らう価値は無いが殺すべきモノだ。


 何やら近づきたくない何かを持っているようだが、それに構わずそのモノを影の槍で貫く。そしてそのまま槍をばらけさせて内側から串刺しにする。


 あぁ。だけど足りない。こんなものじゃ全然足りはしないっ! どこかから湧き上がるこの感情を影は形にしてくれる。


 剣で切り裂き、槍で貫き、大槌で叩き潰し、思いつく限りの武器で責め苛んだ。


 壊して、壊して、壊して、壊した。


 途中からこれはただの物だと分かったけれど、それでも影は止まることなく壊し続けた。そしてもう物としても形が残っていないと頭の片隅で判断し、気は晴れないけど影を収めた。





 私は何をすれば良いのだろうか?


 何かを忘れているような気がするのだけど、それも思い出せない。


 は相変わらず五月蠅いほど囁き続けている。だけど特に従う気も起きない。


 お腹はまだ減っているからまた美味しそうなモノを取りに行こうか? そうして視線を動かした時、



 ××××を見つけた。



 ××××は倒れ伏している。……そうだ! 私は何でこんな大事なことを忘れていたのだろう?


 早く。早く。××××の所に行かなくちゃ。その周りにまだよく分からないモノが居るようだけど、邪魔するのなら追い払うか壊してしまえば良い。


 今行くから。もう少しだけ待っていて××××。







 ××××って……誰だっただろうか?

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