閑話 ある奴隷少女の追憶 その十五


『そう言えばヒース……さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、さっきボンボーンさんと話している時、雇い主に何か心当たりがあるみたいなこと言ってたよな? それって誰なんだ?』


 張り込みの途中、急にトキヒサが何か思い立ったようにそうヒースに尋ねた。さんと名前に付けないと機嫌を悪くするというのは面倒だと思う。


 ヒースが言うにはあくまで可能性の話で、多少政治的な話にもなるので軽々に話せないらしい。私はそういうことはよく分からないけれど、話さないなら話さないで良いと思う。トキヒサが聞いたら自分から危ないことに向かっていきそうだもの。


 その時、急に事態は動いた。張り込んでいた建物の中から、さっきまで話していたボンボーンが同じくさっきの二人を連れて外に飛び出してきたんだ。建物の中にはまだ誰か居る。その誰かがやったみたい。


 トキヒサはすぐに飛び出そうとしたけど、ヒースが相手の出方を窺いたいと引き留める。


『…………分かった。だけどこれ以上ボンボーンさんがやられるようなことになったら飛び出すぞ。……セプト。掩護を頼めるか?』

『大丈夫。出来る』


 張り込んでいるので明かりは控えめだけど、それでも僅かな月や星の光で影は出来る。その影に魔力を送り込み、私はいつでも動けるように影を揺らめかせる。


 そして、ボンボーンの後に建物の中から出てきたのは、


『やれやれ。先ほどの取引のように有意義な時間はおくれそうにないな』


 白い仮面を被り、妙な声をした謎の男だった。その姿を見た瞬間、待つと言ったはずのヒース自身が怖い顔で飛び出していった。そのまま切りかかるけれど、それは男の後ろから出てきた別の淀んだ眼をした双剣使いの男に阻まれる。


『……ようやく見つけたぞ。その仮面、その言葉遣い。あの時から何度夢に見たことかっ! 本拠地では逃げられたが今日こそは逃がさないっ! お前を捕縛し、あの時の罪を償わせてやるっ!』


 どうやらあの仮面の男がヒースの探していた相手のようだった。


『セプトはここに隠れながら掩護を頼む。俺はヒースを助けに行く。……シーメは』

『…………よし。緊急事態をお姉ちゃんとソーメに伝えたから、もう少しで到着するよ! 私はボンボーンさんと倒れているヒト達を見てくる。手当も必要だし、気を失ってちゃ危ないから叩き起こさないと』


 明らかに戦いになる雰囲気に、トキヒサは咄嗟に私に指示を飛ばす。本来ならトキヒサこそ安全第一でこの場に残ってもらいたいのだけど、先に行くと言われたら奴隷としては従わざるを得ない。


『分かった! じゃあ皆時間を稼ぎながら怪我しないよう命大事にで行こうぜ。……行くぞ!』


 そう言ってヒースの後を追ったトキヒサを援護すべく、私は魔力をさらに細かく制御し始めた。





『大丈夫? ボンボーンさん。痛い所はない?』

『ああ。悪いな。俺はもう大丈夫だ』


 私がここで待機していると、シーメがボンボーン達を連れてきて治療し始めた。……と言っても倒れていた二人は私が影造形で引っ張ってきたのだけど。


 トキヒサの援護が第一なのだけど、下手に近くで倒れていたら邪魔になるかもしれないと言われたら仕方がない。トキヒサならホントに倒れているヒトにまで気を遣いかねないし、シーメの方も援護しなきゃいけない。


『……よし。じゃああの野郎に仕返しに行くとするか。ありがとよ嬢ちゃん。この礼はいずれまたな!』

『あっ!? ちょっと! 出来ればもう少し安静に……行っちゃったよまったくもう』


 傷が大体治るや否や、回り込むように戦いの場に向かって走っていくボンボーン。どうやらあの仮面の男を狙っているみたい。


『ところで……治療に集中してて分からなかったけど、今どんな状況?』

『少し、悪いかも』


 ヒースは見る限りでは明らかに劣勢だった。


 一対一なら多分ヒースが優勢だったと思う。だけど相手は二人。仮面の男の土属性の魔法に体勢を崩され、その隙にもう一人のネーダというヒトに少しずつ押されていく。


 そして隙を突かれて致命的な一撃を受けそうになった時、


『諦めんなこのバカっ! 金よ。弾けろっ!』


 トキヒサの金属性で相手の目をくらまし、その一瞬をついて割って入ることで何とか防ぐことが出来た。それと同時に怪我を応急処置したボンボーンが合流し、三対二で向かい合う。


 私も行きたかったけれど、私のやることはここから皆(特にトキヒサ)の援護をすることなので我慢する。今もトキヒサが失敗してたら影で攻撃を防げるように伸ばしていた。


 直接相手を攻撃するということも出来たけど……何故だろう? あの仮面の男からは何だか嫌な感じがしてちょっと躊躇った。


『お前達……どうして?』

『どうしてもこうしても無いっての! お前何いきなり突っ込んでんだっ! 途切れ途切れに聞いただけだけど、あの仮面をつけた奴がヒースの追っていた奴だってことはなんとなく分かる。だからって一人で行くなよ! 付き合うってさっき言っただろうがっ!』


 トキヒサのこういう所は私にはよく分からない。だけど、トキヒサには独自の価値観やルールみたいなものがあってそれを守ろうとする。それこそ、ただの奴隷で敵だった私を命を懸けて助けることをしたりとか。


 だから今回の事も、きっとそういうことなのだろう。なら私は奴隷としてそれを助けるだけ。


『ふん。……付き合ったことを後悔するなよ。それと…………先ほどはありがとう。助かった』


 トキヒサに聞こえないよう後の方はそっぽを向いてヒースはそう言っていたけど、私の方には普通に聞こえていたりした。トキヒサにも聞かせてあげれば良いのに。


『あ~らら! ヒース様ったら素直じゃないんだから! それじゃこっちは他の二人を治療しよっか! セプトちゃんはもうちょっと付き合ってね』


 ……シーメにも聞こえていたらしい。意外と皆に聞こえてるね。





 その後数の上ではトキヒサ達が有利になり、普通に行ったらこのまま勝てるはずだった。私も特に援護する必要もなく。……だけど、


『うるっせえなどいつもこいつも。……お前らは黙って俺に刻まれてたら良いんだよぉ。この新しく手に入れた剣の試し切りになぁっ!』


 ネーダが服から取り出した二本の赤と青の短剣。それを見た時何となく寒気のようなものを感じた。使っている本人よりももしかしたら危ないかもしれない。そう思えた。


 そして、その予感は正しかった。


『……レッドムーン! ブルーム―ン!』


 その言葉と共に、赤い短剣からは強烈な炎が、青い短剣からは強烈な氷の粒がそれぞれ噴き出してヒースを襲ったのだ。


 なんとか回避するヒースだけど、ネーダは接近戦では不利だと思ったのか炎と氷で距離を取って攻撃するやり方を取り始めた。ヒースの方は遠くから攻撃する技が無いみたいで、近づこうにもなかなか届かない。


『シーメ。まだ?』

『もう少し…………よっし! これで大丈夫。さあ起きた起きたっ!』


 シーメは治療の終わった二人の頬を叩いて強引に叩き起こす。二人は怪我が治って気が付くと、そのまま何か喚きながらすぐに逃げていってしまった。まあ近くに居ても邪魔なだけだしこれで良いのかもしれない。


『この卑怯者め。こっちに来て剣で戦ったらどうだ?』

『はっ! わざわざ相手の間合いに入るバカが居るかよ! はこのまま丸焼きか氷漬けで決定だ!』


 いけないっ! 私が少し目を離したすきに、ヒースの挑発も聞かずにネーダは一緒に居たトキヒサまで攻撃してきた。ヒースと一緒に瓦礫に隠れるトキヒサ。しかし、


『ヒャ~ハッハッハ! オラオラ。さっさと出てきて丸焼きになんな! まあこのまま隠れてても良いが、その場合は蒸し焼きになるだけだがな!』


 ネーダは二人を燻りだすために、周囲に剣の力で火を放ったのだ。仮面の男とそれを追っていったボンボーンも近くには居ない。自分はもう一つの剣から出る冷気で火から護られ、このままじゃ焼け死ぬのはトキヒサとヒースだけ。


『助けに行かなきゃ!』

『いや、セプトちゃんはここで待ってて! ここは私が……マズっ!?』


 シーメが何かを見た様に叫ぶ。その視線の先には、剣の先から一抱えもある火球を幾つも空に打ち上げて嗤うネーダの姿。あんなのが一つでも当たったらトキヒサ達もただでは済まない。


 それを見て私の足は自然とトキヒサ達に向かって走り出していた。ほぼ同時にシーメも。


 ゴメントキヒサ。命令を破るのは奴隷失格だけど、ここからじゃ影で迎撃するのは届かないからそっち行くね。





『……“影造形”』

『魔力注入……障壁、展・開っ!』


 トキヒサに飛来する火球の一つを私の影で出来た槍が貫いて四散させ、ヒースの方に来た火球はシーメの翳した盾から出る薄青色の幕に弾かれる。


 これはシーメが言うには魔力盾というもので、魔力を注ぐ限りこのように攻撃を防ぐ幕を周囲に張ることが出来るという。本気を出したらちょっとしたものだよとシーメはさっき言っていたけど、実際かなり頑丈そう。


『やっほ~! 大丈夫トッキー? あとヒース様もご無事ですか? どこか火傷とかしてませんか?』

『トキヒサ。大丈夫?』


 途中で体力の違いからか追い抜かれてしまったけど、シーメの後から私もトキヒサの所に走り込む。怪我は……良かった。見た所してないみたい。服の裾からこっそり覗くボジョも元気そう。


『セプト! 隠れてろって言ったじゃないか! ここは危ないぞ』

『ごめんなさい。トキヒサが心配だから、隠れながら来た。近い方が、掩護出来ると思って』


 命令を破ったから怒られるのは当然だ。私は申し訳なく思いながら顔を伏せる。だけど、トキヒサはそのまま『来ちゃったものは仕方ない。危ないからなるべく俺から離れるなよ』と私に言いつけた。


 これは……つまり私に護衛をしろということなのだろう。なら何としてでもトキヒサの身を守らないと。私はこくりとその命令に頷いた。

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