第182話 生まれつつある絶望


「ぐっ!? ……ぁあああっ!」


 カランっ!


 胸元の傷はやや浅いが左肩の傷は深く、力が入らずに左手の青い短剣を落とすネーダ。しかし必死で右手で赤い短剣を振るいヒースから距離を取る。


 だが、ヒースはそれ以上追撃をしようとはしなかった。まるでこれ以上はその必要が無いとばかりに。


「クソっ! このクソ野郎がっ! 殺してやる……殺してやらぁっ!!」


 ネーダは怒りと殺意の入り混じった目でヒースを睨みつけ、近づかなくても良いようにもう片方の炎を操る短剣を振りかざす。だが、


「爆ぜろぉレッドムー……あぎゃあああっ!」


 先ほどまでと違い、炎が噴き出してヒースに向かうと同時に、


 ヒースに届く前にネーダが集中を乱したため、荒れ狂う炎は途中で霧散する。これは一体どうなってんだ? なんでまた急に制御が?


「見たところ、その赤と青の魔剣は二刀一対の物。で、持ち主への負担を無くしていたと見える。つまり……片方だけではお前ではその魔剣を扱いきれない」


 ネーダが自らの炎で右腕を焼かれて転げまわる中、ヒースはただ冷静に理由を語る。なるほ……ど? どういう原理だそれ? ただ実際にネーダは炎を上手く扱えなくなっているようだし。


「……諦めて投降しろ。その傷では剣を片方振るうのがやっとだ。魔剣も片方だけでは真価を発揮できず、傷を塞ごうとポーションでも使うそぶりを見せたらその瞬間斬るっ!」

「ちっ……くしょぉっ。俺が……俺が、こんな所で……」


 息も絶え絶えのネーダは、残った赤い魔剣を火傷だらけの右腕で必死に握りしめながら、恨みがましい目でヒースを……いや、隠れている俺達も含めて睨みつける。


 その時、


『ふむ……これはまいったな。なんとも面倒なことになっているようだ』

「お前っ!?」


 ネーダの後ろにどこからともなく仮面の男が現れた。ヒースが現れた因縁の相手に敵意をむき出しにする。だけど、さっきまでボンボーンさんと戦っていたはずなのに。


「待ちやがれこらっ!」


 あっ! ボンボーンさんも来た。身体の所々に擦り傷や軽い痣が見られるが、どうやら大きなけがは負っていないようだ。仮面の男はボンボーンさんから逃げてきたらしい。


『こちらもそろそろ片付いた頃だろうと見に来てみれば……誰一人仕留めていないとはな。ネーダ。予想以上に使えない奴だ』

「使えねぇだと……まあ良い。俺を助けろっ! お前なら俺を連れて逃げられるはずだ。そして傷を癒したら今度こそこいつらを」

『何か勘違いしているようだが、私がネーダ、君を助ける理由はないな。むしろ護衛がこの体たらくとは実に嘆かわしい話だ。……そうは思わないかね?』

「なっ!?」


 ボロボロのネーダを助けに来たのかと思ったがそうでもないようだ。傷つき助けを求めるネーダに対し、仮面の男は素っ気なく返す。


「て、てめぇ。……元はと言えば、全部てめぇのせいだっ! 何が『これは英雄と呼ばれる者が持つにふさわしい武器。これを使えば君は英雄になれる』だっ! よくもこんな欠陥品を押し付けやがったなっ!」

『心外だな。私は嘘は言っていない。確かにそれはかつて英雄と謳われた者が使っていた武器であり、使その者は間違いなく英雄と言われるだろう。実際それの以前の使い手は、片方だけだろうが溢れ出る熱も冷気も制御してみせたという。制御できなかったと言うなら単にそれは……君が英雄の器ではなかったというだけの話だ』


 淡々とただ事実を述べているといった風の仮面の男に、ネーダは怒りのあまり唇を噛み切ってしまったらしく血が流れる。


 だがすでに身体はズタボロで言う事を聞かず、掴みかかろうにも片腕はまともに動かない。ネーダにあと出来ることと言えば、まだ動くその舌で目の前の男に対する罵詈雑言を浴びせかけることくらいだったようだ。


 少なくとも、本人や俺達はそう思っていた。……





「てめぇのことを欠片でも信じた俺がバカだったよっ! 何が英雄の武器だ。全部嘘っぱちじゃねぇかっ! どうせアレも嘘なんだろうっ? てめぇがあの『始まりの夢』と繋がりがあるって話もよぉっ!」


 始まりの夢? 一体何のことだ? この言い方だと何かの組織みたいだけど。


『私は嘘は吐かない。私は確かにその』

「いい加減にしてもらおうかっ! ……お前がネーダを助けようが助けまいが関係ないっ! もう逃げられないぞ。速やかに縛に着けっ!」

『ほお。威勢の良いことだ』


 遂に我慢が出来なくなったのか、ヒースが仮面の男に対して剣を突きつけながら叫ぶように告げた。


 ……もう少しボロボロ吐いてくれるのを待つべきだと思ったが、それは捕まえてじっくり聞けば良いだけかと思い直し、こちらも隠れながら硬貨を握りしめる。何かあったら煙幕ぐらい張れるように。


 といっても実際一対一であればおそらくヒースは仮面の男に後れを取らない。あとはもう捕まえるのみなのだが。


『ふむ。……ネーダ。最後に君は身を挺して護衛としての任を果たそうとは思わないかね?』

「やなこった! むしろてめぇも道連れに捕まれや。……ヒャーッハッハッハ!」


 そこには依頼人への信頼も敬意もまるでなく、ただ恨みを込めて相手も酷い目に遭えば良いというネーダの歪んだ思いがあった。


 まあある意味恨むのは当然かもしれないが、うちのエプリの爪の垢でも煎じて飲ませたい奴だ。エプリは身を挺してでも護衛としての仕事をこなす奴だぞっ!


『やれやれ。では仕方がない。使うつもりはなかったが、このままでは私が捕まってしまうのでね。使わせてもらうとしよう。……出てきたまえ』

「な……何を?」


 その言葉と共に、先ほどまでボンボーンさんが居た倉庫の中、そこでずっと動かないでいた人影がこちらに向かって歩いてきた。


 歩いてきたのは二人の男だった。一人はまるで浮浪者のようなボロボロの姿。もう一人はそこらに居そうな町人風の男だった。


 どちらも目の焦点が合っていない上に、何やらブツブツと独り言を喋っている。……うんっ!? あの浮浪者風の男どこかで見た気がするな。でもどこで見たのか思い出せない。


「この二人がどうしたと言うんだ? こんな明らかに正気を失っている奴らに僕が後れを取るとでも?」

『それは当然だな。二人共魔法と薬の併用で思考力を極端に低下させている。そのような者で君をどうこうできるとは思っていない』


 何かまた物騒なこと言い出したぞコイツっ!? 薬と魔法で思考力をってコワ~っ!


 ……ただ本人も言ったように、二人共見るからに反応は鈍いし歩みも鈍い。これなら下手すると俺でも勝てるぞ。それを今更なんで?


『さて、そろそろ私も行かねばならないのでね。……ここまで面倒をかけてくれた君達にせめてもの礼だ。僅かながらの敬意と悪意を残しておこう』


 そう言いながらローブの下に手をやる仮面の男。その言葉に、目の前の仮面の男に以前戦ったクラウンの姿がだぶる。


 ヒースは危険物だったら即座に斬るとばかりに仮面の男の一挙手一投足を油断なく見ている。そして取り出したのは……何だアレ? 音叉? 


 ここで取り出されていたのがはっきりと分かる危険物、何かの武器や薬と言ったものであれば、ヒースはためらうことなく突撃して仮面の男に斬りかかっていただろう。


 しかし取り出されたのは、用途のよく分からない代物。ヒースから見ればただの持ち手の先がUの字型に曲がった金属の棒である。


 鋭く尖っている様子はないので刃物ではないし、鈍器にしても形状が妙過ぎる。なのでヒースは一瞬攻撃をためらった。


 ……その一瞬こそが仮面の男の必要な物であるとも知らずに。


「な、何をっ!」


 仮面の男はその音叉らしきもので近くの瓦礫を軽く叩いた。振動と共にキーンという音を周りに響かせる音叉。そして次の瞬間、後からやって来た二人組に変化が起こる。


「がっ!? あがあああっ!?」

「何だっ!?」


 二人が急に苦しみだしたのだ。そして口から泡を吐き、白目を剥いたかと思うと、その身体に変化が起きる。その肉体が膨張し、着ていた服が内側から張り裂けんばかりに張り詰める。


「……おいおい。ちょっと待ってよっ! この状況って!?」


 


 この世界に着いたばかりの頃、監獄の中で起きた大騒動。そこでクラウンが逃げる際に、巨人族の男に魔石を埋め込んだ時と同じ。


「「あああアアアァっ」」


 遂に服がはじけ飛び、二人の肌が赤黒く染まっていく。鎧のような筋肉で身体が覆われ、背丈は一回りも二回りも大きくなる。


 瞳は爛々と赤く輝き、それぞれ額から角のようなものが伸びる。……そう。これは、


「凶魔化……だとっ!?」

「ぐっ……ああアアァっ!?」


 それと呼応するかのように、ネーダの持っていた赤い魔剣に取り付けられていた黒い宝石。それが怪しい光を放ちながらネーダの腕を侵食し始めたのだ。


『ネーダがまだその剣を片方とは言え身に着けていて助かった。……まだ触れる程身近でないと起動しないのでね』

「てめぇっ!? てメェアアァっ!」

「ネーダっ! 早くその剣を捨てろっ!」


 ヒースが何かに気づいてネーダに捨てるように促すが一足遅く、もう浸食は肩のあたりまで達している。


 ちくしょうっ! このままだとまたあの時みたいに皆凶魔になってしまうぞ。一体どうすればっ!





 そして、絶望はまだ終わらない。


「トッキーっ!? セプトちゃんがっ!!」


 シーメの慌てたような叫びに俺はハッとそちらを振り向く。


「うっ!? ……うぅっ!?」

「セプトちゃん? ……しっかりしてセプトちゃんっ!」


 セプトが急に胸を押さえて苦しそうにうずくまり、シーメが心配そうに声をかけている。俺は慌てて駆け寄って様子を見る。


 ……セプトの胸部から、がネーダの魔剣の宝石と同じく怪しげな光を放っていた。

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