IFルート『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その三


 異世界生活十六日目。


「…………っと。ふぅ。これで大体終わりかね」


 今日の午前の仕事は城内の清掃作業の手伝い。割り当てられた通路をモップ掛けし終わり、俺はそのままググっと背筋を伸ばす。


 たかが掃除と言わないように。城内ときたらとにかく広い。俺に割り当てられた分だけでも相当なものだ。……まあ他の人は俺より割り当てられた場所が広いんだけどな。これが毎日とは実に大変だ。


「さあて。終わったことを報告して、昼飯でも食べに行くとするか」


 時間も良い具合だ。腹も減ってきたし、そうと決まれば善は急げ。さっそく行こうと掃除道具を抱えた時、通路の先の丁字路をメイドさんが数名何かを運んでいるのが見えた。……何やら美味そうな匂いがするな。


「すみません。それ何ですか?」

「……? ああ。こちらは『勇者』様のお食事ですよ。お部屋にお運びする途中です」


 つい気になって声をかけてみると、メイドさん達は隠すことなく気楽に話してくれる。へえ~これがねぇ。俺は料理をチラリと見る。


 鳥肉っぽい物のローストにソースを絡めたものをメインに、周りには品良く野菜を散りばめてある。横には魚の切り身を浮かべたスープに、瑞々しいサラダ。


 焼きたてであろうパンとデザートに果物の盛り合わせまである。実に豪勢だ。……使用人の分とはえらく違う。当然だが。


「凄く美味しそうですね。だけど四人分にしちゃあ少なくないですか?」

「これは御一方のものですから。それぞれ『勇者』様の好みに合ったお食事をご用意しておりますので」


 料理の内容は各自別々ってことか。使用人用の食事は、日によってメニューは違うけど基本同じだからなぁ。まあ美味いから良いんだけどね。


「こんなのが毎回食べれるとは『勇者』様が羨ましいですね。さぞかし『勇者』様も喜んでいるんじゃないですか?」


 俺の立場は雑用係。『勇者』を呼び捨てにするわけにもいかないし一応様付けする。あと『勇者』になりたいとはあまり思っていないが、食事に関して羨ましいのはホントだ。美味い食事は心に余裕を持たせるからな。


 そういった気持ちを素直に言ったのだが、何故かメイドさん達の表情が曇る。何か気に障ったのだろうか?


「そう……だと良いのですが。……っと。こうしてはいられません。急ぎ昼食をお運びしなくては」

「なら俺も運ぶの手伝いますよ。丁度仕事も終わったところだし、時間を取らせましたから」


 考えてみれば、毎日仕事ばっかりで肝心の『勇者』はまだ見たことが無かった。これを機にどんな人か見てみるのも悪くないかもしれない。……ちょっと日本が恋しくなって話を聞きたいと思っていることも否定はしないけどな。


 メイドさん達は最初そんな事はさせられないと渋っていたが、ここで時間をかけている訳にはいかないと思い直したのか了承してくれた。よっしゃ。荷運びならお任せくださいって!


 こうして俺は、メイドさん達と一緒に『勇者』に食事を運ぶのだった。





「……ごめんなさい。食欲ないんです。……持って帰ってくれませんか?」


 食事を運んだ俺達への対応は、扉越しに返されたその言葉のみだった。声からして女性のようだけど、姿すら見せないとはどういう了見だ?


「昨日もそのようなことを仰って召し上がらなかったではありませんか。食事を摂らなくてはお身体に差し障ります」

「そうですよ『勇者』様。お願いですから少しだけでも召し上がってください」

「…………あとで頂きます。ですから、今は放っておいてください」

「……分かりました。お食事は扉の前に置いておきますので、出来れば温かいうちにお召し上がりください。……失礼します」


 口々に説得を続けたメイドさんだったが、『勇者』が一向に出てこないので遂に根負け。持ってきた食事を扉の前に置き、静かにその場を一礼して立ち去る。……『勇者』は気になったが、俺もメイドさん達と一緒に下がる。


 それにしても何だアレ? 引きこもりか? 『勇者』が引きこもりなんて聞いたことないけどな。昨日『勇者』が精神的にまいってるって聞いたけどまさかここまでとは。


「この度は申し訳ありませんでした。折角手伝っていただいたのにこのようなことに」

「あの、俺『勇者』様って初めて見るんですけど、あの方はいつもああなんですか?」

「……襲撃の前はああではなかったのですけどね。子供を守って大怪我をなされて、やっと数日前に完治されたのですがそれ以来私共を避けるようになってしまって」


 メイドさん達が深々と頭を下げてくるが、どう見てもメイドさん達のせいではない。だけどその時『勇者』に何かあったのかね? 怪我でトラウマにでもなったとか。


「最近はめっきり食欲も無くなってしまって、私共もどうすれば良いのか」

「なるほど。……でも今回は扉の前に置いてあるわけだし、腹が減ったら自分で取りに来るんじゃないでしょうか?」

「それなら良いのですが」


 メイドさん達は皆本当に心配しているようだ。この様子からして、少なくともあの部屋の『勇者』はそれなりに慕われているみたいだな。


 俺はそのままメイドさん達と別れ、仕事の報告をすべく使用人用の詰め所に向かう。しかし報告の時、そこで掃除道具をさっきの通路に置きっぱなしにしていたことに気がついた。


 掃除道具を片付けないと仕事が終わったとは言えず、仕事が終わらないと昼飯にありつけない。早いとこ戻って探してこよう。


「え~っと、どこ置いたっけかな? ……おっ! あったあった!」


 急いでさっきの通路にとって返し、見つけた掃除道具を手に取ってふと先ほどのことを思い出す。


 扉の前においてちゃんと蓋もしてあるけど、食事を通路に置きっぱなしというのは何というか落ち着かない。そしてこういうのは、一度気になりだすとどんどん気になっていく。


「ちょっと様子を見に行くか」


 仕方ない。ちょっと見てすぐに帰ろう。誰か不埒な奴が盗み食いしないとも限らないしな。……俺みたいな丁度昼時で腹ペコの奴とか。そうしてまた『勇者』の部屋の前まで見に行ってみたのだが、


「…………まるで手を付けてないじゃないか」


 そこにあったのは先ほどとまったく同じ手つかずの料理。蓋を取って中身も一応確認してみたが、肉の一切れたりとも減っていない。スープもちょっと冷めている。


 なんて勿体ない。このまま放っておいたら捨てられ……いや。上手くいったらディラン看守の伝手で、牢獄の囚人達に特別メニューとして振る舞われるかもしれない。それならまだマシか?


 しかしこの一人分の量が行き渡るとは思えないし、そもそもこのまま捨てられる可能性の方が高い。目の前のこんな美味そうなものがこのまま捨てられるなんてことが許されるのか? いや、許されるはずはないっ!


 ならどうするか? 簡単だ。


 俺は周囲をきょろきょろと見渡し、念のため耳を澄ます。……近くに人影なし。誰かの歩いてくる物音もなし。ふっふっふ。人は居ないな。絶好のつまみ食いチャンスだ。


「……待てよ」


 俺はゆっくりと料理に手を伸ばしてそのままピタリと止める。


 ……さっきここの部屋の『勇者』は扉越しにあとで頂くと言っていた。もう既に三十分以上経ってはいるが、もしかしたらそのあとでが一時間ぐらいかかるのかもしれない。そうだとしたら食べるのはマズイ。


 これはあくまで、このままだと食べられずに捨てられる料理をその前に美味しくいただく為であって、人が食べようとしていたものを横取りするのが目的ではない。


 食べるという結果は同じでも、大義名分があるかないかはかなり違うのだ。……主に罪悪感の有無で。


「もう一度だけ聞いてみるか。……あのぉ。すみません。『勇者』様いらっしゃいますか?」

「…………何ですか?」


 軽くノックをして中の様子を伺うと、中から小さく返事があった。寝ているってことじゃなくて一安心だ。


「お加減は如何ですかね? どうやら食事にも一切手を付けていないようだし、もしや体調が悪くて食欲がないのかなあって」

「…………そうなんです。お腹が減らなくて。……食事を下げてもらっても良いですか?」


 やはり食べないか。……ならもったいないお化けが出る前に、俺が頂いちゃっても良いのかね? 俺は内心ちょっぴりルンルン気分でさらに訊ねる。


「じゃあ……すみませんが、俺がちょっと摘まんじゃっても良いですか? 実は昼飯をまだ食べてなくてもう腹ペコなんですよ。『勇者』様が食べる品なんてこんな機会じゃなければ食べられませんから。どうかお願いしますよ。この通りです」


 扉越しで見えないかもしれないが、俺は両手を合わせて拝むような仕草をする。その後数秒ほどの沈黙の後、


「……良いですよ。私は要りませんから」

「おうっ! ありがとうございます!」


 よっしゃっ! 言質取った。もうこっちのもんだ。俺は料理の蓋をゆっくりと取り、そのかぐわしき匂いを胸いっぱいに吸い込む。


 匂いだけで口の中に涎が量産されていく。空きっ腹に腹の虫がグルグルと鳴り、早く寄こせと催促する。まあもうちょっと待てよ。これから腹いっぱいになるまで詰め込んでやるからな。


 備え付けられているナイフとフォークを手に取り、まずはメインの肉を一口大に切り取る。……食べる前に分かる。これは美味い。口に放り込めばどれだけの至福の瞬間が味わえることだろうか。


「では遠慮なく……いただきま~」


 グゥ~~っ!


 至福の時間はどこからともなく聞こえてきた腹の虫の音で中断された。……一応言っておくが俺の腹の虫ではない。となると、


「……す、すみません」


 やはりと言うか何と言うか、扉の向こうからどこか恥ずかしそうな声が聞こえてきた。……ちくしょう。こんな状況で食べられる訳ないじゃないかっ!


 さようなら至福の味よ。俺はどこか諦観の境地に至りながら、ゆっくりと肉の刺さったフォークを下ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る