第141話 二人っきりのカミングアウト

 その日の夜。俺は何の気も無しに屋敷内をぶらついていた。


 ヒースの鍛錬も終わり、夕食も終わり、ジューネの勉強会も終わって時間は午後十一時。アンリエッタへの定期報告にはまだ少し時間がある。


 魔法か読み書きの練習でもしようかと思ったが、もうエプリもセプトも早々と眠りについてしまっているので明かりで起こすのは気がひける。


 トイレに行くついでに散歩でもしようかと、そんな軽い気持ちでこっそりと部屋を出、暗い廊下をなるべく音を立てないように歩く。


 流石にこの時間となると屋敷内も静かな物だ。廊下の明かりも最低限の物しか点いておらず、以前捕まっていた牢獄の通路を思い出す。


 まああそこは常時暗かったけどな。幸い部屋からトイレはそんなに距離も無い。すぐに到着した。


「…………ふ~。スッキリした。さてと」


 用を足したけれどすぐに戻る気にもならず、そのままぶらりと屋敷内を散策している内に、いつの間にか中庭にまで出ていた。


 少し夜風に当たるのも良いかもな。俺は中庭に置かれた長椅子まで歩いて腰掛ける。


 中庭は吹き抜けになっているので、上を見るとぽっかり空いた建物の隙間から夜空が見える。俺はそのまましばらく空を眺めていた。


「相変わらず月が三つ並んでいるのは慣れないな」

「…………そう? 私としてはこれが普通なのだけど」

「こっちの世界では普通かもしれないけど、元居た世界では月は一つしかなかったんだよ。……って!? いつの間に来たんだエプリっ!?」


 独り言のつもりで言ったのに普通に反応が返ってきた。驚いて振り向くと、長椅子の後ろにエプリが静かに立っていてさらに驚く。


 それなりに月明かりで姿は見えるのだが、フードを被った状態で急に出てくると心臓に悪い。


「……さっきからいるけど。部屋から出たっきり戻らないから探しに来ただけよ。……トイレかと思って待っていたけど遅かったから」

「ゴメン。起こしちゃったか」

「…………起こさないように気を遣って出たつもりだろうけど、私に言わせれば普通に歩いているのと大差なかったわよ。……隠密は向いてないわね」


 そうかもしれん。今日もヒースを尾行している時に危ないところも何度かあったし、自分でも実はこういうのは苦手だったのかも。逃げてもよく“相棒”に見つかってたし。


 ずっと立たせたままというのもマズいので、座るように言うとエプリは静かに長椅子に腰を下ろした。


「……それで? 何があったの?」

「何がって、いつもの定期報告にはまだ時間があるし、かと言って勉強をしようにも明かりをつけて起こすのも悪いし、何となくぶらついていただけだよ」

「…………そう」


 エプリはそう言うと、それきり静かになってしまう。俺も何となく声をかける気にならず、沈黙が少しの間続く。だが、


「…………やっぱりね」


 急にエプリの方からまた話しかけてきた。何かあったかな?


「やっぱりって何が?」

「……普段のトキヒサなら、ここで沈黙するってことはまずないわ。思うままにペラペラと喋って時間を潰すくらいのことはするはずよ。……それにわざわざこんな所で一人月を眺めてる。アナタがそんな柄かしら?」

「失礼な。俺だってこういう事くらいするさ。……多分」

「……思えば一度別れた後で、屋敷に戻ってきてからどこか妙だったしね。自分でも気が付いていなかったみたいだけど」


 そうかな? 自分では普段とそんなに変わらないつもりだったんだけど、どうやらエプリから見たら違和感があったみたいだ。


「参ったな。前エプリに対して同じようなことを言った身としては、特大のブーメランが返ってきた気分だ」

「…………意趣返しとしてはこんな所かしらね。……それで何があったの? 言っておくけど私は言いたくなければ言わなくて良いなんて甘いことは言わないわよ」

「そこはもうちょっと優しくしてくれても良いんだけどな」


 エプリの厳しい言葉に、ちょっと苦笑いが浮かんでしまう。と言ってもこう黄昏れている原因は自分でも大体察しが付いてはいるし、少し言いづらいだけで言えない訳じゃあないんだけどな。


「…………今日な。ラーメンを食ったんだよ」

「……私を置いてアナタ達だけで食べたという物ね」

「それは悪かったって。またその内一緒に連れてくから! ……話が逸れたな。実を言うと、俺がいた世界でもラーメンはよく食べていてさ。母さんの得意料理なんだ」

「…………母親……か。続けて」


 一瞬エプリの声のトーンが低くなったが、すぐに元に戻った。何だったのだろうか? いや、それよりも今はこっちか。


「もちろん今日食べたラーメンは以前食べていたものとは別物だ。だけど、食べてたら色々と考えてしまってさ。俺の世界のこととか」

「……トキヒサ」

「何だかんだあってこっちの世界に来てさ。気がつけばもう三週間にもなった。こっちに来たことに後悔はないし、いずれ必ず帰るつもりだ。だけど……なんというかこう、郷愁の念っていうのかな。寂しいって気持ちが出てきたのさ」


 たった三週間でって言う人もいるかもしれない。だけどこうした気持ちは時々何かのきっかけで不意に出てくるものだ。それには時間の長さはあまり関係が無いと俺は思う。


「…………そう。帰るあてはあるの?」

「……そうだな。そろそろ話しておいても良いかもな」


 ムードのせいもあったのかもしれない。あるいはホームシック気味で心が弱っていたからかも。誰かに話を聞いてほしい。そんな気持ちがあったことは否定しない。


 俺はエプリに自分のこと。自分がこの世界に来た時の経緯や、アンリエッタと話したゲームについて、自分の課題についてのことを話すことにした。


 アンリエッタの話ではあまり言いふらさない相手であれば話してもいいらしいし、エプリは間違ってもそういうタイプではない。というよりこんな話を信じるかどうかって話だけどな。


 異世界から来たってだけでも眉唾なのに、その上神様の手駒としてゲームに参加しているだの、一億円分稼がないと帰れないだのと、普通の人が聞いたら頭がおかしいと思われるレベルの話だ。そしてそれを聞いたエプリは、


「…………そう。分かった。信じる」

「そうだよな。いきなりこんな事言われても信じる訳が…………って信じるのっ!?」


 普通に信じるって言ったよこの人っ!? 俺の言葉を聞いたエプリは、少し考えて静かに首を縦に振った。


「……嘘なの?」

「いや。本当だけどさ。だからってこんな話普通信じないだろ。正直ここで信じてくれなかったら、月夜の晩の冗談ってことですませるつもりだったんだけど」

「……正直アナタ以外のヒトが言ったら距離を置くような話ね。だけど……私を騙そうとするにしてももっとマシな嘘を吐くだろうし、嘘を吐いている様子もない。となると結論は二つね」

「と言うと?」

「……全て本当の話か、アナタがそれを本当だと信じ込んでいるだけか。……どちらにしても信じて私に害があるわけでも無し。なら雇い主との関係を円滑にするためにも信じる。……つまりはそういう事ね」


 なんか聞いていると、信頼関係というよりも合理性で信じてくれたってだけの感じがするな。


「……それで、トキヒサの言葉を信じるなら、課題として一億円分……こちらのお金で言うと一千万デンね。それを稼がないといけないと。…………騙されてないそれ?」

「正直そこの所は俺も気にしてた。まあそこは信じるしかないよな。大前提だもの」


 エプリの懸念は実にもっともだ。課題自体が高難易度だし、仮に課題が完了したとしても帰れるかどうかはアンリエッタの匙加減次第という事になる。


 少しでも気が変わったらこの世界に置いてきぼりという事も十分あり得る訳だ。だけど、


「これは多分だけど、アンリエッタは約束は破らないと思う。自分自身が富と契約の女神だからってこともあるだろうけど、それ以前にこう……そういう所はしっかりしてるって感じなんだ。これまでに何度も話した感想みたいなもんなんだけど」

「…………そう。アナタの言いたいことはなんとなく分かった。だけど注意してね。……トキヒサはヒトの良い面ばかり見ようとする甘いところがあるから」

「そんなに甘いかな。……まあ肝に銘じておくよ」


 この世界ではただ甘いだけではいけない。そう言外に言われている気がして、エプリの言葉をしっかりと覚えていようと心に決める。


 こうして俺はエプリにいくつかの秘密をカミングアウトしたわけだ。イザスタさんにも話していないことだったけど、このことがはたして吉と出るか凶と出るか、今はまだ分からない。

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