閑話 長い長い月夜の終わり

◇◆◇◆◇◆◇◆


 トキヒサとアシュが影の嵐に突入してからしばらく経った。私は外側から入口をこじ開けるため、そしてこれ以上影が侵食しないように、ここに残って自身の“影造形”でセプトの影を抑えていた。


 魔力暴走を止めるのはとても難しい。使い手の力量にもよるが、荒れ狂う魔力の流れを制御することが必要になる。さらに言えば、相手と同じ属性持ちであることが望ましい。違う属性だと身体への負担がかかりすぎる。


 暴走直後であれば魔力もあまり溜まっていないので、爆発を力尽くで抑えられるだけの魔力があれば最悪止めを刺すという選択肢もあった。


 しかしそれではトキヒサが納得しないだろう。一応あんなのでも依頼主だ。なのでその場から離れる選択をしたというのに、彼はセプトを助けたいと言い出した。


 トキヒサは上手くセプトの元に辿り着けただろうか? まったく。トキヒサは本当にバカだ。たった今まで敵対していた相手を命がけで助けようというのだから。


 ……まあそれだけのお人好しでなければ、私のような者と一緒に居るなんてことはしないか。そんなことをつらつらと思っていると、


「………………んっ!?」


 少しずつ向こうの影の勢いが弱まってきた。どうやらセプトと上手く接触できたみたいだ。


 これまでは押し留めるだけで精一杯だったのだが、この機を逃さぬように一気にこちらの影で押し込む。少しずつ、少しずつ。焦らず、しかしそれでいて迅速に。





 ようやくある程度周囲の影が安定し、もう動かずに全力で抑えに回らなくても良いと判断した私は、影の抑えを一部解いて自らも中に突入する。


 内部にはまだ影の刃が予想よりも多く暴れまわっていたが、こちらも影を操って対抗しながら進んでいく。


 闇属性は出来れば使いたくないのだけれど、風属性ではやや効きの悪いこんな状況では仕方がない。幸いここなら目撃者は少ないだろう。


 混血とまではいかなくとも、使えると知れただけでヒト種からすれば迫害の対象になるものだ。知るヒトは少ない方が良い。


「…………あれは!?」


 そのまま進んでいくと、アシュが周囲の影を切り伏せている所に出くわした。まるで少し先の動きが見えているかのように、ほとんど全方位からの攻撃を捌いている。


 刀……獣人の国ビースタリア国で使われているという独特の形状をした剣を一振りするごとに、何故か影が数体まとめて両断されていく。


「ふぅ。……よぉ。そっちの首尾はどうだ? と言ってもここに来ている時点でおおよその想像はつくが」


 アシュは大体の影を一掃すると、軽く息を吐いてこちらの方に呼びかけた。身を隠していたつもりなのだけど気付かれていたらしい。……やはり侮れない。こういう相手は敵に回したくないものだ。


「……アシュの想像通りだと思うわ。外の影は侵食の勢いが目に見えて弱まっている。だからここに来たの。……トキヒサは?」

「ボジョと一緒に先に行った。セプトまではあと少しだったからな。俺はここで影にトキヒサを追わせないように殿だ。…………おっ!?」


 アシュも気付いたみたいだ。周りの影が次々に霧散し始めていることを。この調子ならもうまもなく完全に魔力暴走は収まるだろう。


「さぁてと。これならもうここで戦う必要はなさそうだな。俺はトキヒサと合流するが……エプリの嬢ちゃんはどうする?」

「……愚問ね。当然私も行くわ」

「だろうな。それじゃあ行くとするか」


 私達はさらに先に進んでいく。もう道中の影も襲ってくるものは少なく、またどれも霧散しかけているものばかりで簡単に撃退できた。そして影の中心部、まだ霧散していない影を辿っていって到着したその先には、


「…………アレね」


 そこには影で出来た大きな何かがあった。見ようによっては繭のようにも見えるし、あるいは殻のようにも見える。周囲の影が霧散しつつある中で、その影だけは確かな存在感を放っていた。


 微かに中に人影が二つ見える。横たわっている者が一人と、その傍に座り込んでいる者が一人。あれはトキヒサとセプトに違いない。


 しかしどうやって入ったものだろう。よくこの幕をトキヒサは越えられたものだ。


 周囲に張られた幕は簡単に破れそうではあるが、下手に触れれば手痛い反撃を受けるのは魔力の流れからハッキリしている。術者の周囲を守る強力なものだ。


 ……逆に言えばこれを破る程の魔力が内側から溜まり切った場合、それだけで大爆発の危険があるのだが。


「……アシュはあれをどうにか出来る?」

「斬るだけならな。だが…………その必要はなさそうだ」


 その言葉通り、その影の殻は急に消滅を始めた。まるでもう中身を抑える必要がなくなったように。影はそのまま空中に霧散し、中にいた人物の姿が露わになる。そして中の様子を見た時……。


「……トキヒサ? …………トキヒサっ!?」


 私の護るべき依頼人は、見るも無残な姿を晒していた。





 傭兵としては初歩の初歩である周囲の警戒も一瞬忘れ、敵であるセプトに見向きもせず、私はトキヒサに駆け寄った。……弱々しいけど息はある。まだ生きている。だけど……。


「これは…………酷いな」


 アシュも続けて駆け寄り、トキヒサの様子を見てそう言葉を漏らす。戦いの中で多くの怪我人を見てきた私やアシュであっても、ここまでのものはあまり見たことが無いほどに、トキヒサは傷ついていた。


 身体の傷ついていない所を探す方が難しいほどの大怪我。まるで内側から何か炸裂したのではないかと思われる裂傷で全身傷ついている。


 傷口のいくつかは布で縛って止血されているが、とても全てを止血できずに大量の出血が地面に流れて血だまりを作っている。


「…………トキヒサっ!? 起きてトキヒサっ!?」


 トキヒサは完全に意識を失っているようで、その顔色は大量の出血により青白くなっていた。


「ねぇ。ポーション持ってる?」


 その声をセプトが発したと気付くまで、僅かにだけど時間がかかった。


 反射的に臨戦態勢を取ろうとするが、セプトがトキヒサの止血に使われている布を持っている事と、トキヒサと一緒にいたはずのボジョが触手を伸ばして間に入っていることで踏みとどまる。


「私はこれくらいしかできないから。持ってるなら、助けてほしい」

「…………言われるまでもないわ」


 ここで一体何があったのか? 何故セプトがトキヒサを助けようとしていたのか? …………今はそんなことはどうでも良い。急いで止血しないとっ!


 私は手持ちの一番良いポーションをトキヒサの傷口に振りかける。値が張る品だけどこれくらいでないと効きそうにない。この瞬間に死んでもおかしくない酷い傷なのだから。


「……よし。効いてる」


 流石は一つで金貨一枚する上級ポーション。全身の傷が見る見るうちに塞がっていく。


 次に体力回復ポーションをトキヒサの口にあてがい、少しずつ湿らせるように流し込んでいく。途中でむせて少し吐き出してしまったけれど諦めない。


 そうして何とか半分ほど飲ませたところで、やっとトキヒサの息が安定し始める。


「…………良かった。峠は越したみたい」

「そうみたいだな。……となると残るは」


 アシュもどこか安堵したようにそう言うと、その視線をセプトの方に向ける。……そうなのだ。この状況で最も分からないのがセプトだ。


 見たところまだ首輪をしている。しかしそれなら自力で魔力暴走を止められるとは思えない。では魔力暴走を止めた後で首輪を着けた? 何のために?


 考えれば考えるほど分からない。目の前の相手がどう動くか。自然と緊張が高まり、互いに相手がどう動いても良いように身構える。ちょっとしたきっかけがあればその場で再び戦いになる雰囲気。だが、


「…………うっ!?」

「痛い」

「あたっ!? って俺もかよ!?」


 突如ボジョがその触手を伸ばし、私とセプト、そしてアシュの頭を順に叩いたのだ。勿論本気などではない。しかしそれにより、一瞬だけ場の緊迫した雰囲気が落ち着く。


「…………一つだけ聞かせて。今のアナタは敵?」

「……分からない。でも、トキヒサと約束した。話をするって。だから、起きるまで傍にいる」


 セプトは無表情ながらもポツリポツリとそう口にし、そのままトキヒサの方を見つめる。その目に敵意は感じられず、私も警戒を少しだけ緩める。


 ……緩めただけでなくしたわけではない。私はトキヒサのように理由もなくヒトを信じるつもりは無い。


「そう。……でもどのみちここに置いておくわけにはいかないわ。まだ峠を越えただけで回復しきった訳じゃないもの。出血も多いし、急いで拠点まで連れていかないと」

「よし。じゃあトキヒサは俺が運ぼう。…………よっと」


 アシュは意識のないトキヒサを軽々と背負う。……いくらトキヒサがやや小柄とは言え、人一人をあそこまで軽々と背負うなんて。優男然とした見かけよりも腕力があるようだ。


「そんじゃ行くとするか。ボジョも俺の肩に乗るか?」


 アシュの言葉にボジョはブンブンと触手を横に振り、そのままトキヒサの肩にぴょんと飛び上がる。定位置から動く気はないようだ。


「…………アナタはどうする? 一緒に行く? そうしたら色々と面倒があると思うけど」

「うん。それでも良い」


 セプトはこくりと頷いて同行する意思を示す。この分なら拘束して連れていくこともないだろう。


 色々と質問攻めにあうと思うがそこは仕方がない。何しろ王都襲撃犯の一味であるクラウンの情報が得られるかもしれないのだから。それにしても……。


 セプトはアシュの後を……正確に言うとアシュの背負っているトキヒサの後を無言でついていっている。一体何があれば先ほどまで敵だった相手がああなるのか?


「………………まあ考えても仕方ないか」


 相手が混血だろうと敵だろうと助けようとするバカのことだ。また無駄にお人好しっぷりを発揮して懐かれたのだろう。……ある意味これも才能だろうか? 


 何の気もなく空を見上げると、いつものように見慣れた三つの月が辺りを優しく照らしている。とても長く感じたこの夜ももうすぐ終わり、そしてまた朝が来るのだ。


「…………早く起きなさいよトキヒサ。私の依頼主。……助けられた礼も言えないじゃない」


 そう呟いた言葉は風に乗り、誰に届くでもなく消えていく。私は軽く頭を振って感傷を振り払うと、先に行ったアシュ達を追って走り出した。今度こそ護衛の役目を果たすとしましょうか。

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