第58話 その手を掴み取ったのは

 俺が落下する先。まるで底の見えない深い穴………………の手前に絶妙な形で引っかかっている網。あれは!? 俺がスケルトンを足止めしようと思って設置しておいた網!? 壁や階段の崩落により、固定していた一部が外れて、うまい具合に部屋に残った台座の一部に引っかかったらしい。それはトリックスパイダーの糸を加工した物だけに、この状況ではまさに一筋の蜘蛛の糸のように感じられた。


「あれだっ! あの網を救助ネット代わりにして引っかかろう!」

「……成程妙案ね。これだけの速度にただ引っかかっているだけの網が耐えられればだけど」


 名案に思えた申し出を、エプリはバッサリと切り捨てる。……冷静に考えればそうだ。いくらネットが有っても、このスピードではおそらく外れてそのまま落ちる。……ならスピードを落とせば良いんだ。


「エプリっ! 合図をしたら俺の落ちる速度を遅くできるか?」

「……可能だけど、その場合はこちらも速度が落ちるから追いつけないわよ」

「それでも良いっ! 足りない分はこっちで何とかするからな。俺を遅くしたら、エプリはそのまま急上昇だ。


 俺が何を言っているのか分からないって顔だな。意図したわけじゃないが、さっき相談もせずにいきなり飛んだ事への意趣返しになった。しかし今は迷っている時間はないと判断したのか、エプリはそのまま表情を引き締めてこくりと頷く。


 穴までの距離はあと僅か。もう十秒くらいで網の部分に到達する。やるなら今しかない。


「じゃあカウント三で行くぞ。…………三、二、一、今だっ!」

「“強風”」


 合図と同時に、俺は下から突きあげられるような感覚を覚えた。エプリが自分を飛ばしている風魔法の一部を、俺を下から押し上げるのに使っているのだ。だがエプリ自身が言っていたように、自身の加速に使っていた分をこちらに回したので向こうの速度も落ち、結果的には互いの距離はあまり変わっていない。


 そしてすぐにエプリは自分に掛けた風のベクトルを変更し、降下ではなく上昇し始める。……よし。次はこっちの番だ。俺は何とか自由に動く右腕をポケットに突っ込んで、ありったけの硬貨を掴みだす。


「頼むぜ。上手くいってくれよ…………どおりゃあぁ」


 俺はその体勢から穴の中に向けて、その硬貨を投げつける。元々加速していた俺から放たれた硬貨は、凄い速さでグングンと落下して網に迫る。そして、さらに落下していく。さっきボーンバットが何とか通れたぐらいの網の目だ。通らなきゃおかしいか。


 そして遂に俺は網の部分に到達する。しかしその直前、俺は穴の先にいる“何か”を感じて背筋がゾワリとした。ハッキリと見えたわけではないし、あくまで直感でしかないのだが、この先はとてもヤバい。この先にいるのは、さっき戦ったスケルトンなんかとは明らかに格が違う“何か”だ。底まで落ちたら仮に落下の衝撃を耐えきったとしてもまず勝てそうにない。


 網に体がぶつかり、その衝撃で網が大きくたわむ。流石丈夫さと柔軟性が売りだとジューネが言っていただけのことはあり、俺の身体がこの勢いでほぼ完全に沈み込んでも千切れない。しかし、偶然引っかかっていただけの網なので、許容しきれない重量がかかればこのまま外れてしまう。外れたら今度こそ下へ真っ逆さまだ。


「なら……落ちなきゃ良いだけだっ! 金よ、弾けろっ!!」


 俺は網が限界を迎えて外れる直前、先に落下している金を炸裂させた。とっさに取り出した硬貨。銅貨銀貨合わせて十枚ほどが一斉に真下の空間で起爆する。


 …………爆発による光で、穴の奥に一瞬チラリと見えたのだが、何やら重厚な鎧に身を固めたスケルトンや、法衣のような物を身に着けたスケルトン。極めつけは、見るからにサイズが他の奴の倍以上ある巨大スケルトン等が軍勢を成していた。…………絶対落ちたくないぞあんなとこっ!


 しかし爆発による爆風は、俺をそんな恐ろしい結末から遠ざけた。網が外れる直前。限界まで網がたわんだ瞬間に、下からの爆風が俺の身体を押し上げる。とっさに貯金箱をかざしていたため顔の部分は無事だが、それ以外に強い熱波が襲い掛かる。


「あちちちちっ!!」


 熱いっ! 念の為エプリを先に上昇させておいて正解だった。多少身体が頑丈になっていてもやっぱり熱い。だが…………この勢いなら行ける。爆風が網が元に戻ろうとする力と合わさることで、俺の身体はまるでロケットのような勢いで上空に跳ね上げられた。


 身体に強烈なGがかかるのを感じながらも、俺はこのまま落ちるはずだった穴の底を覗く。今の爆発にスケルトン達の一部が巻き込まれているように見えるが…………見なかったことにしよう。


『…………がとう。助……たよ』


 またもやどこからか声が聞こえた気がしたが、今はそれに構っている暇はない。体中に纏わりついていたボーンバット達は今の爆風であらかた振りほどくことが出来たようだ。俺の身体はグングンと上昇していく。しかし、その速度がほんの僅かに落ち始めたことで俺はあることに気がついた。


「マズイ。……この後どうするか考えてなかった」


 そう。考えてみれば今の俺の状態は人間を大砲で打ち出したようなものだ。打ちあがったのは良いのだが、打ちあがったものは放っておけばまた落ちるのが道理。少しずつ少しずつ勢いが弱まっていく。


「こんなところで落ちてたまるかっ! これでどうだっ!」


 俺はポケットの硬貨を次々に落として起爆させる。さきほどの要領で推進力がわりにしようと思ったのだが、それでも速度が遅くなるのが少しゆっくりになっただけ。遂にポケットの中の硬貨を全て使い切ってしまう。貯金箱から金を取り出して続けたとしても、このままでは直に完全に止まってしまうだろう。


 ……諦めるものか。俺は出口に向かって手を伸ばす。こっちはやることがまだまだあるんだ。一年以内に一千万デンを稼いで帰らないといけないし、イザスタさんにも借りた金を返さないといけない。交易都市群に行って物騒な呪いを解いてもらわないといけないし、事が終わったら青い鳥の羽をジューネに渡すのも忘れちゃいけない。それに、


「それに…………エプリと約束したんだ。俺が無事に脱出したら自分のことについて話すって。……アイツにわけにはいかないだろうがっ!!」





 しかしその叫びもむなしく、完全に推進力はなくなり、瞬間的に身体は無重力状態になる。誰に向かってでもなく伸ばした手は無情にも空を切り、再び暗い穴の底へのダイブが始まる。





「……当然ね。雇い主を守り切れないのはただの二流だもの」


 ……はずだった。エプリが戻ってきて俺の手を掴み取らなければ。よほど急いできたのだろう。その手は軽い汗をかいていて、呼吸も僅かに荒い。さっきの額の傷もまだそのままで、血が形の良い鼻梁を伝っているが、それも拭わずに俺の手を片手でがっしりと掴んでいる。


「……まさかこんなバカなやり方をするとは思っていなかったけど、念の為にすぐ戻ってきて正解だったわ。……何で私に先に行くよう指示したの? まさか私を巻き添えにしないためなんて言わないわよね?」


 エプリの目が怖い。フードが取れて顔が露わになったのは良いのだが、すこぶる綺麗系の美少女が怒りを込めながらこちらをにらんでくるのは心臓に悪い。冷や汗がさっきから止まらない。


 さっきまでひっきりなしに飛び回っていたボーンバット達も、こんな時に限ってほとんど飛んでこない。そしてそれでも飛んできたモノは、ことごとくエプリの“風刃”で切り裂かれていく。…………穴の中にいた奴らと今のエプリはどちらが怖いだろうか? 俺的にはこっちな気がする。


「いや、そのぉ…………実はその通りで」

「“風弾”」

「痛っ!」


 エプリは俺の額にまたもや風弾をぶつけてきた。前喰らったやつに比べれば心なしか痛くないように感じるが、それでもやっぱり痛いもんは痛い。……あと“風弾”を使ったことによって、一瞬だけ身体を受かせている“強風”が弱まって身体がガクッとなった。そこまでしてぶつけるほど怒っているらしい。


「…………護衛対象が護衛のことを気にかけてどうするんだっ! まず自分の身を護ることを考えろっ! 今のやり方も、あんな一か八かな方法を取らなくても私が最初から近くにいれば風属性で補助が出来た! それに成功したから良かったものの、一つ間違えばそのまま墜落していたんだぞ。分かっているのかっ!」


 喋っている内に興奮してきたのか、またもや口調が変わっている。時々荒っぽい口調になるのは何故だろうか? ついつい現実逃避でそんなことを考えると、それを目ざとく見つけたエプリに追加で説教をされる。俺は片手でぶら下がった状態でぺこぺこ謝り倒し、どうにかこうにか許してもらった。


「…………ふう。じゃあそろそろ上に上がって合流するわよ。この態勢を維持するのも大変だから」

「……じゃあわざわざこんなところで説教しなくても良かったんじゃ」

「何か言った?」


 再びエプリの目が鋭くなりそうだったので、俺は何も言わずにぶんぶんと首を横に振った。


「そう…………じゃあ行くわよ」


 エプリはそのまま“強風”を再び上に向けて吹かせ、俺達の身体を出口に向けて持ち上げていく。降ってくる瓦礫は風であらぬ方向に流され、スケルトン達ももう残った階段がほとんどないので大半が落下していく。ボーンバットもすでにあらかた撃ち落とされ、俺達は悠々と出口に向かって上がっていく。


「…………約束は守るわ」


 上に向かう途中、エプリは上を向きながらポツリとそう呟いた。……もしかしてさっきの聞いてたか? 半ば勢い任せで言ったことなので、聞かれていたとなるとちょっと恥ずかしい。俺は赤くなった顔を見えないように隠していたのだが、それはエプリには関係がなさそうだった。何故なら、エプリもまた何かを考えながら、ずっと顔を上の方に向けていたのだから。

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