第27話 お別れは笑顔で

「よし。動きの止まった今のうちだ。イザスタ。頼むぞ!」

「はいは~い。それじゃあ調べるわよん」


 俺達は倒れた鬼に駆け寄る。鬼は気を失っているが、念のためにヌーボが四肢を拘束したままだ。そのままの状態で、イザスタさんは鬼の身体に触れて目を閉じる。あれはスライムの気持ちが分かるだけではなくて、触れている相手の身体のことも分かるという。……前々から思っていたがイザスタさんってチート過ぎないだろうか?


「………………分かったわ。看守ちゃん! 右胸の上の方。およそ看守ちゃんの指先から手首位の深さにそれらしいものがある。だけどその場所だとその巨人種の人も結構ダメージがいかない?」


 十秒ほどそのままの状態だったイザスタさんが、目を開けるなりディラン看守に告げる。確かに考えてみればそうだ。身体の中にある魔石を摘出するにしても、それの位置によっては身体を切開しなければならない。大量の出血もあるだろうし、そこはどうするのだろう?


「その点は問題ない。このガントレットは武具であると同時に魔道具でもあってな、身に着けているだけで簡単な光属性の魔法が使える代物だ。これで摘出すると同時に簡単な痛み止めと応急処置をする。あとは牢の外に念のため呼んでおいた医療部隊に任せればいい」


 鬼の右胸に触れながら、おおよその辺りを付けるディラン看守。普通の手刀で身体を貫くのは難しいが、ディラン看守の力なら出来そうだ。


「了解! 一応アタシも簡単な治癒くらいなら出来るから、出血がひどい場合は任せて。トキヒサちゃんはこういうことの経験は?」

「俺っ? 俺は…………ちょっとした止血くらいしか……」


 イザスタさんが急にこちらに振ってきた。ただ、止血のやり方ぐらいは授業で習ったけどそれ以上は無理だ。こんなことなら陽菜からもっと色々教えてもらっておけばよかった。簡単な傷の縫合のやり方とか。


「そう……それじゃあトキヒサちゃんにはお姉さんの手が足らなくなったら手伝ってもらおうかしら。看守ちゃん。準備はいい? タイミングはそちらに合わせるわよん」

「分かった。では三つ数えたら始めるぞ」


 ディラン看守は一度呼吸を整えると、真剣なまなざしで鬼の右胸辺りに狙いを定める。手は親指をたたんだ貫手の形だ。


「三、二、一、はああぁっ!」


 三つ数えると同時に、看守は鬼の右胸に自らの貫手を突き立てた。意識を失っているが痛みは感じるのだろう。鬼が身悶えするが、四肢はヌーボによって拘束されているので周囲に被害が及ぶことはない。そのままずぶずぶと入っていく手刀。当然血が噴き出し、返り血がディラン看守に降りかかる。傍から見るととても恐ろしい光景だ。


「…………これだあぁっ!」


 何分も経ったかのように思えるが、実際は十秒くらいのこと。ディラン看守が鬼の身体から何かを掴みだした。さっきは遠目でよく分からなかったが、どうやらあれが魔石らしい。大きさは鼠凶魔の物が小指の爪くらいのサイズだったのに対し、こちらは看守の手のひらに何とか収まるくらい大きい。色もあちらが透明に近い白だったのに対し、こちらは禍々しく濁って黒ずんだ赤色。


 それを掴みだすと同時に、ディラン看守はもう片方の手を傷口に当てる。すると、手のひらから淡く白っぽい光が溢れだした。これが光魔法か。


「……よし。落ち着いてきたようだ。あとはこのまま元に戻るのを待てばいい」


 ディラン看守の言葉に鬼を見れば、暴れるのが収まって少し穏やかな顔つきになっている。光魔法で痛みが和らいだからだろう。体中を覆っていた筋肉の鎧も少しずつ元に戻っていき、この分ならもうすぐ元の身体に戻りそうだ。これで全て上手くいった。俺がそう安堵した時だ。


「……っ!? 看守ちゃんっ! 持っている魔石を遠くへ投げ捨ててっ!!」


 急にイザスタさんが今まで出さなかったような焦った声で叫んだ。


「何? これはっ!?」


 ディラン看守が掴みだした魔石に目を向ける。魔石はドクンドクンと生き物の心臓のように脈動したかと思うと、赤く強い光を周囲に放ち始める。ディラン看守もこれは危険だと悟り、素早く魔石を牢屋の奥の方に投げ捨てた。


 魔石は壁にぶつかって転がると、そのままふわりと空中に浮きあがった。なにやら危ないと警戒態勢をとるディラン看守とイザスタさんの前で、なおも赤い光を放ち続ける魔石。そして光が急激に強くなって皆が目を庇った時にそれは起きた。


 パリンと何かが割れるような音がしたかと思うとそれは現れた。


「…………空中に、ヒビ?」


 それは先ほどクラウンの奴が作った穴とは違った。あれが穴、もしくはゲートと呼ばれるものならば、これはヒビ、又は裂け目とでも言える代物だと直感的に感じた。同時に今のままここにいると危ないとも。


「マズイ。何かに掴まれっ!」

「ヌーボっ! お願いっ!」


 ディラン看守が叫ぶのと、イザスタさんが叫ぶのはほぼ同時だった。その裂け目はダイ〇ンもびっくりの凄まじい勢いで周囲のものを吸い込み始めたのだ。


 ディラン看守は咄嗟に地面に先ほどの要領で貫手を突き立てて踏ん張り、イザスタさんはヌーボが触手でキャッチ。ヌーボ自身は戻りつつある巨人種の男に絡みつき、自身の重さと合わせることで耐えている。俺もなんとか巨人種の人にしがみつく。


 ゴウゴウと音を立てて全てを吸い込んでいく裂け目。その吸引力に、牢屋内のあらゆる物が吸い込まれていく。戦いの中で砕けた床の破片。鼠凶魔の核となっていた小さな魔石。クラウン達にやられたここのスライム達の肉片等。そこには一切の容赦もなく、只々全てが吸い込まれていった。


「もう少し耐えろっ! これはおそらくクラウンの仕掛けたものだ。俺が魔石を摘出するのを予想して、魔石にどこかへの転移術を仕込んでおいたらしい。だがこれだけの規模、あの魔石一つではそう長くは続かないはずだっ!」


 ディラン看守が床に踏ん張りながら風に負けないよう怒鳴る。俺はそれを聞いて、クラウンの悪辣さにゾッとした。これらの騒動は、全てディラン看守をピンポイントで狙ったものだと気付いたからだ。


 本来ここにはディラン看守が多分一人で来るはずだった。それは今も他の看守が一人も来ていないことから予想できる。多分他の牢や入り口で鼠凶魔を抑えているのだろう。それにディラン看守の実力が信頼されているというのも多分ある。この牢に俺やイザスタさんが来るのは完全に想定外だったはずだ。奴も逃げる前に言っていたじゃないか。が到着したって。最初からディラン看守を待ち構えていたということだ。


 逃げたのも予想外のダメージを受けたからと言っていたけど、最初からあの鬼をけしかける予定だったとすれば辻褄が合う。自分がさっさと逃げてしまえば、鬼が狙うのは自然とディラン看守だけ。囚人を助けようとして、ディラン看守は確実に魔石を摘出しにかかると分かっていたんだ。そして消耗したディラン看守が魔石を摘出したところで仕込んでおいた魔法が発動。戦いで疲弊したディラン看守は長く踏ん張ることが出来ず、そのままどこかへ吸い込まれるという流れだ。


 だが俺とイザスタさんが来たことで流れが変わった。ディラン看守もそんなに疲労していないし、イザスタさんが気付いて魔石を投げ捨てるよう言ったから多少距離もある。あと問題は…………俺がもう保たないってことだ。


「ぐっ! このぉ」


 さっきはイザスタさんの手前、足の怪我は掠り傷だなんて言ったが、実際はまだかなり痛い。骨は折れていないようだが、ひどい打撲で右足にまともに力が入らない。今もこの吸引力の中、ほとんど腕の力だけで巨人種の人にしがみついている。腕力が上がっているおかげで何とかなっていたが、それももう限界のようだ。さっきから腕も痺れてきた。そして、


「…………うわっ!?」


 遂に掴まっていた腕がずるりと滑り、一瞬の浮遊感の後に俺の身体は空中に投げ出された。そのままの勢いで裂け目に吸い込まれようとした時、ガシッと何かが俺の腹部辺りに巻き付いてギリギリで静止する。よく見れば、ヌーボが触手を伸ばして俺に巻き付けていたのだ。ナイスキャッチだヌーボ!!


 しかし身体の大部分を巨人種の人に絡みつく分とイザスタさんを固定する分に回しているため、こちらの方には多くを割くことが出来ない。伸ばされた触手はピンと細く張り、僅かにブチブチと何かがちぎれるような音も聞こえる。長くは保たなそうだ。


「トキヒサちゃんっ! しっかりっ! こっちに手を伸ばしてっ!!」


 イザスタさんが必死な顔でこちらに手を伸ばす。自身も下手をすれば飛ばされかねないってのに、身体をヌーボが固定できるギリギリまで移動させて。


「イザスタさんっ!!」


 俺も裂け目の吸引力に逆らって何とか手を伸ばす。しかし、限界まで伸ばしてもまだ二メートル近くの距離がある。何とかこの距離を縮めるには…………くそっ! こんな状況じゃ頭が回らない。


 しかし、どうやら運は俺達に味方をしたらしい。少しずつだが裂け目の吸引力が弱まってきたのだ。視線だけ後ろの方に向ければ、最初に比べて裂け目の大きさ自体も一回り小さくなったような気がする。これなら行けるか?


「こ、のおぉぉっ!」


 俺は最後の力を振り絞ってヌーボの触手を掴み、そのままそれを手繰って近づいていく。もう少しだけ頑張ってくれ俺の腕。吸引力が弱くなったとは言え、ヌーボの触手もいつちぎれてもおかしくない状態だ。ならイチかバチかこっちから近づく。


「もう少しっ! もう少しだっ!!」


 ディラン看守も俺を励ましてくれる。イザスタさんが伸ばしている手までもう少し。一瞬でも力を抜けば一気に吸い込まれそうな極限の状況で、俺は本当に少しづつではあるけれど着実に進んでいく。あと一メートル。……八十センチ。……六十センチ。……ここならギリギリ届くっ!!


 俺は片手でヌーボの触手を握りしめながら、もう片方の手をイザスタさんの方に伸ばした。その距離、あとほんの僅か。互いの指先が触れるか触れないかまさにギリギリ。


「もうちょっと。もうちょっとだけ手をっ!」


 互いに互いの指先を掴もうとするも、あとほんの数センチが足りない。……仕方ない。もう少しだけ触手を手繰り寄せて……えっ!?


 俺がそれを見てしまったのは全くの偶然だった。それを見るのがあとほんの数秒遅ければ、あるいは見ないふりでもできれば、話は大きく変わっていただろう。何せ、


「……っ!?」


 そして、さらに最悪のタイミングでもう一つトラブルが。消える前のロウソクの火が最も明るく輝くように、裂け目も消える寸前にグンッと吸引力が増したのだ。当然エプリの身体も一気に引き寄せられ、完全に宙に浮いて勢いよく裂け目へと引っ張られる。


 ここでそのまま放っておければ良かったのだろう。元々他人だし、この騒動にも一枚噛んでいることはまず間違いない。おまけに俺のことを殺そうとした奴だ。助ける義理なんてない。ああそうとも。助ける義理なんてまったくない。









「…………あぁもうっ!!」


 だけど、気付いたら俺は手を伸ばして飛んできたエプリのローブを掴んでいた。何でだろうな?


「目の前で困っている人を助けるのに理由なんていらない」と言うのは陽菜の口癖だった。陽菜だったら間違いなくコイツを助けるだろう。


 “相棒”だったらそうだなぁ。この状況なら「簡単だ。助けた方がメリットがあるなら助ける。それ以外なら見捨てる。当然だろ?」とか何とか言ってやっぱり助けそうだ。


 で、俺が何でこんなことしてるか考えるが………………うん。気が付いたらやってたとしか言いようがない。強いて言えばそう、美少女だったからだ。目の前でピンチの女性、特に美少女をほっとくなんて俺にはできない。


 ……“相棒”から常日頃バカだバカだと言われているが、これは自分でもそう思うよ。折角イザスタさんが手を伸ばしてくれたのに。もう少しで掴めるって所まで来ていたというのに。咄嗟にその手をエプリに使っちゃったからな。あとは触手を掴んでいる手のみだが、エプリの重量が加わったことで一気にブチブチという音が大きくなった。もう少しで多分ちぎれる。


「トキヒサちゃんっ! 待っててっ! 今からそっちに行くからっ!!」

「待てイザスタっ! お前は動くな。俺が行く!!」

 

 必死に吸引力に耐えながら、ヌーボの触手を命綱代わりにしてこちらに近づいてくるイザスタさん。そして、なんと床に貫手を繰り出して身体を固定しながら少しずつやってくるディラン看守。どちらも危険を冒しても俺を助けようとしてくれている。そのことがたまらなく嬉しく、そして……残念だった。





 ブチっ。一際大きな音がしたと思ったら、掴まっていた触手が半分近くちぎれるのが見えた。もうあと一分も保たない。そう直感した俺は、ここで言っておかないといけないことを思い出した。


「……ディラン看守。出所のために骨を折ってくれてありがとうございました。あと俺の加護の情報も」

「気にするな。それにまだ出所は終わっていない。貰った金の分の仕事はしていないぞっ!!」


 ディラン看守は無念そうに吠える。そう言えばこの場合は払った料金はどうなるのだろうか? 予定の出所はしていないが、いろいろしてくれたのは事実だもんな。……おっと。ディラン看守には悪いが、今はそれよりも重要なことがあった。


「……イザスタさん。短い時間でしたがお世話になりました」

「トキヒサちゃんっ! 諦めないでもう少し粘って!! まだ何とか……」


 イザスタさんはまだ諦めていない。再びこちらに手を伸ばしているが、こっちにはそれに掴まる手がもう残っていない。


「一緒に出所して『勇者』のお披露目に行くのはちょっと無理そうです。すみません。…………でももう一つの方、イザスタさんの仕事を手伝うのは必ず守ります」


 俺はそこで、イザスタさんの目をじっと見る。何処までも俺の身を案じてくれた恩人の目だ。この状態になってもなお、諦めずに俺を助けようとしてくれている人の目だ。俺はこの目を忘れない。次に会う時まで必ず。


「ちょっと遅くなるかもしれないけど、必ず探してまた会いに行きますから。約束ですっ!!」


 そこで俺は、とびっきりの笑顔を作って見せた。こんな状況だからうまく笑えたかは分からないが、一時とは言えお別れは笑ってするものだ。


「…………えぇ。こっちからも探すわ。それで次に会えたら…………お祝いにデートしましょうね!! 約束よん!!」


 ブチンっ!!! その言葉を最後に、それまで辛うじて繋がっていた触手が完全にちぎれた。俺はエプリの服を掴んだまま、凄まじい裂け目の吸引力に引っ張られていく。


 そして、俺が裂け目に飲み込まれて意識を失う前に最後に見たのは、俺に合わせてとても眩しい笑顔を向けてくれるイザスタさんの姿だった。それは、俺にもう会えないという諦観の混じったものではなく、必ずまた会おうという強い意志を感じさせるものだった。









 その後、俺がイザスタさんと再会するのは大分先の話。そして、その再会が元でまた一波乱あるのだが、それもまた大分先の話だ。





 アンリエッタからの課題額 一千万デン

 出所用にイザスタから借りた額 百万デン

 合計必要額 千百万デン


 残り期限 三百五十九日

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