第25話 金の意外な使い道

 ◆◇◆◇◆◇


「ただいま~」

「おかえり~って、どうしたんですかイザスタさん!? 今ディラン看守を手助けに行ったと思ったらすぐに戻ってきて」


 牢の入口で待機していたところにイザスタさんが戻ってきた。もう鬼みたいになったあの巨人種の人を何とかしたのかと思ったが、視線を移せばディラン看守が一人でまだ戦っている。依然としてこちらからは攻撃を仕掛けず、せいぜいが攻撃を躱しきれない時に拳で攻撃の軌道を変えるくらいだ。あんなデカい相手の攻撃を殴って回避するディラン看守も十分ものすごいのだが。


「それがね、最初は倒そうと思っていたんだけど、凶魔になっちゃったあの子を元に戻す手段があるらしくてね。アタシも協力には少し準備が必要だから一度戻ってきたの。トキヒサちゃんはもう動ける?」

「勿論ですよ。俺は何をすれば?」


 体のふらつきも大分収まってきた。これならいけそうだ。


「上出来! じゃあトキヒサちゃんは、そこに倒れてるエプリちゃんを牢の隅に運んで。女の子がうっかり巻き込まれたら危ないから」


 ……確かにこの状況では、眠っているエプリをほっとくとマズイ。牢の外に出して逃げられでもしたらことだが、かと言ってここで鬼に踏みつけられでもしたら問題だ。


「分かりました。他に何か手伝えることは?」

「そうねぇ…………これから準備には数分くらいかかるけど、アタシとスライムちゃんはしばらく動けなくなるの。何かピンチになったら守ってね! ……な~んて、鬼は看守ちゃんが抑えてくれているし、そんなに心配することはないけど」

「了解。任せてください」


 スライムも動けないというのは気になったが、俺は急いでエプリを牢の隅に運ぶ。幸い加護のおかげで腕力も上がっているようで、疲れていても女の子一人運ぶぐらいなら楽勝だ。まだ眠りの霧がしっかり効いているらしく、抱きかかえても身じろぎ一つせずにスヤスヤ寝息を立てている。ホント眠っていれば綺麗なのにな。起きたらあんな危ない奴と言うのが信じられないぞ。


「こっちは大丈夫ですよイザスタさん]

「は~い。……さてと、それじゃあ始めるとしましょうか。スライムちゃんこっちに来て」


 俺の声を聞いて、イザスタさんの近くで待機していたスライムを呼び寄せる。そのままスライムに手を触れると、目を閉じて動きを止める。一体何をするつもりなのだろうか? 俺も急いでイザスタさんの近くに駆け寄る。


「…………そう。受け入れてくれるのね。……ありがとう」


 そう静かに言ったかと思うと、イザスタさんは目を開いて訥々と何かを唱え始めた。


「“、イザスタ・フォルスの名において、ここに誓約する”」




 その瞬間、イザスタさんの周囲の雰囲気が一気に変わった。昔旅行先で見た、とある神様を奉っていた神殿を思い出す。厳かでどこか近寄りがたい感覚。イザスタさんの表情はとても真剣で、どこか鬼気迫るようにも神々しいようにも見える不思議なものだった。


「“私は貴方を我が眷属として迎えることを”」


 彼女はそこで自らの指を噛み裂いて、スライムの上にかざす。ジワリと染み出て珠になった血の雫が、一滴スライムに落ちて染み込んでいく。染み込んだ瞬間、ぶるりと一度大きく震えるスライム。だがそれ以上に動くこともなく、ただ次の言葉を待っている。


「“貴方の命は我が身のために”」


 次の言葉が終わると同時に二滴目。再びぽつりと命の雫が染みていく。それは先ほどと同じだが、スライムの方には明らかに変化が生じていた。少し身体が大きくなり、色も変化し始めている。これまではここの壁の色に合わせた灰色に近かったのが、今では少し赤茶色が混ざっている。


「“貴方の力は我が意のままに”」


 三滴目。スライムの身体はますます大きくなり、体中がプルプルと波打つように震えている。


 ……すごいなこれは。イザスタさんの血にはスライムを元気にする力があるとは聞いていたけど、これじゃあ成長と言うよりも進化に近い。


 良く見ればイザスタさんの額から汗が噴き出している。どうやらこれは傍から見るよりも相当の集中を必要とするようだ。一滴垂らすまでにも数十秒くらい間隔が開くようだし、もう少し時間がかかるようだ。頑張ってくださいイザスタさん。集中を途切れさせないように口に出さず、俺が内心そう応援していると、


「グオオオオォォ」


 牢屋の奥からものすごい咆哮が衝撃を伴って聞こえてくる。何だ今のは? ……まさかっ!?


 嫌な予感がして聞こえてきた方を見ると、そこでは鬼がディラン看守に強烈な打撃を加えているところだった。ついに躱しきれなくなったのか、強烈な一撃が直撃したディラン看守はそのまま反対側の壁まで飛ばされる。咄嗟に自分から後ろに跳んでダメージを減らしていたようだが、少し鬼との距離が開いてしまった。


 鬼は次にイザスタさんの方へ視線を向け、そのまま近づいてくる。よく見れば鬼の姿も少しだけ変化している。全身の筋肉の鎧はより膨張して禍々しくなり、先ほどよりも明らかに強そうだ。何あれ!? 相手も時間経過でパワーアップするなんて聞いてないぞ。ディラン看守がぶっ飛ばされたのもおそらくこのパワーアップのせいだろう。紙一重で躱したつもりが、急に強くなったから予測が乱れたとかそんな感じで。


 一歩一歩。ゆっくりとだが、鬼は一歩の幅が大きいのでこのままだとすぐに到達する。イザスタさんの方を見ると、極度に集中しているのかまるで鬼の方を見ていない。


「“貴方の思いは我が理の内に”」


 四滴目。自らの背後に危険が迫っているというのに、彼女はまるで見向きもしない。只々スライムに自らの血を注ぎ続け、スライムもまた血を受け入れ続けている。


「イザスタさんっ! 鬼がこっちに来てます。早く離れてください!!」


 スライムの強化はまた後にして、今は逃げるなり迎え撃つなりしないとマズイ。俺はそう思って呼びかけるのだが、イザスタさんはやはり動かない。気づいていないのかと思ったがそうではない。これは単に……途中でやめることが出来ないものなのだ。


 さっきイザスタさんは言っていたではないか。自分とスライムはしばらく動けないと。途中で中断できるものならばもうとっくに逃げているはず。それが出来ないってことはそういうことなのだろう。


「待ってろっ!! 今行くからな」


 ディラン看守が急いでこちらに走ってくるが、どうも鬼がイザスタさんの所に到達する方が早そうだ。いつものイザスタさんなら余裕で何とかなりそうだが、今の状況で襲われたら回避も出来ずにやられかねない。


 ……何をやっているんだ俺は。こんなところで。俺は頼まれたじゃないか。ピンチになったら守ってくれと。今がその時だっ!!


「うおおおっ」


 まだ身体は動く。まだ行ける。俺は声を上げながら鬼に向かって突撃する。ちなみに物凄く怖い。当然だろ? 自分の倍くらいある相手に向かっていかなきゃいけないんだから。正直逃げたい。


 だけどな。今俺の後ろにいる人を見殺しにするなんてのは、間違いなく一生後悔する。逃げなかったら死ぬかもしれない。逃げたら一生後悔。それなら話は簡単だ。


 どうだ“相棒”。バカだバカだと言われているが、考えて見れば至極シンプルな答えだった。俺もそういつもバカではないのだ。……違う?


 鬼は叫びながら走ってくる俺に気づいたようで、こちらに向けて殺意のこもった視線を送ってくる。とりあえずこちらに注意を引くことは出来た。しかし……なんかこのところ熱い視線を受けまくっている気がするが、それらはほとんどが殺意だの怒りだのとあまり精神的によろしくないものばっかりだ。もうちょっといい意味での視線はないものかね。


「ゴガアアアァ」


 邪魔者をひねりつぶそうと、鬼は右腕を大きく振るっての薙ぎ払いをかけてくる。力の差は歴然。あんなのと力勝負をしたら、間違いなく俺がぺちゃんこにされて終わる未来しか見えない。受け止めるにしても、それはディラン看守だからできたことであって俺には無理だ。ならば残る選択肢は一つ。躱しまくって時間を稼ぐことだ。……なんか今日は時間稼ぎばかりしている気がするな。稼ぎたいのは時間じゃなくて金だよ金。


 俺はスライディングで大きな腕の下をかいくぐる。頭の上の方が思いっきり掠ったみたいだが何とか無事のようだ。将来ハゲたらお前のせいだからなっ。そのままの勢いで右の脇をすり抜けようとするが、流石にそこまでは上手くいかずに突き出された足に引っ掛けられる。字面は可愛いが、実際は身体が膨張して三メートルくらいになった巨体から繰り出される足引っ掛けである。目の前にいきなり大きな丸太が飛び出てきたようなものだ。俺は足を強打してそのまま転がってしまう。


「~~っ!?」


 すぐ立とうとするが、足に激痛が走って動けない。見ると、右足のズボンの破れたところから血が出ているのが見える。今ので足をやってしまったようだ。鬼も勝利を確信したのか、俺に背を向けて再びイザスタさんの方に歩き出した。あいつめ。俺なんか眼中にないってか!! 


「“そして貴方の魂は、我が名と我が道と共に”」


 五滴目。いよいよ終わりに近づいたらしく、さっきからスライムがドクンドクンと心臓の鼓動のように一定のリズムを持って震えている。しかし、もう少しと言うところで鬼がイザスタさんの背後に辿り着いてしまった。


 俺は看守の方を見るが、その距離はイザスタさんまであと五メートル。短い距離だが、その五メートルが今はあまりにも長い。俺が駆け寄ろうにも足を怪我して動けない。


 ここまでなのか? いやまだだ。俺は服のポケットから硬貨を取り出す。銅貨。荷物を換金した時に手元に残しておいた硬貨の一つだ。少しでもいい。鬼の注意を引けさえすれば看守が間に合う。イザスタさんももうすぐ動けるようになる。鬼はイザスタさんを叩き潰そうと腕を振り上げる。このまま振り下ろされればイザスタさんは……。そんなことさせてたまるかっ。


 鬼がイザスタさんに剛腕を振り下ろそうという直前、俺は硬貨を鬼の後頭部目掛けて投げつけた。


 まだ旅は始まってもいないんだ。これからって時なんだ。俺はあの人にとてもたくさんの恩が有る。来たばかりの俺を幾度も助けてくれて、出所用の金まで用立ててくれた。俺はまだ何一つ恩を返していない。だから頼む。一瞬だけでいい。その腕を止めてこっちを向けよこの野郎っ!!


 そんな渾身の力と思いを乗せた銅貨は鬼の後頭部に当たり……そのままカンッと音を立てて真上に弾かれる。


 ……たったそれだけ。筋肉の鎧が硬質化してもはや金属に近い硬度となった鬼にとって、今の一撃は衝撃すら感じない程度のものだったらしい。鬼は止まることなく、高く上げた腕を振り下ろしてイザスタさんを叩き潰す……………………はずだった。





 


「………………えっ?」


 ぼんっと小さいながらも炸裂したその銅貨は、爆風で振り下ろそうとした腕を逆の方向に押し返す。当然関節とは逆の方向であり、そのまま跳ね上がって動きが硬直する。


「グ、グオオアアァ」


 鬼は何が起こったか分からなかったらしく、一瞬思考が停止したように呆然としていたようだった。心配するな。俺も何が何だかさっぱり分からない。なんで投げつけた硬貨が爆発? ここの世界の金は爆発物でも仕込んでいるのか?


 事態を理解しようとするその空白の時間。時間にして二秒にも満たなかっただろう。だが、鬼が再び気を取り直して腕を振り下ろそうとするまでに、


「今度は……間に合ったようだな」


 ディラン看守が鬼とイザスタさんとの間に割り込むには十分な時間だった。

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