星を見る少女
シラビト サクナリ
第一話 I am not a hero
俺――
中学までは同じ学校でそれなりに付き合いがあったけれど、高校は違うから、それ以来一切付き合いがなくなるような、よくある付き合いだ。幼なじみと呼べるような、仲の良い関係ではなかった。
高校に入って、中学と同じ部活に入った。その部活には学校のマドンナと呼ばれるような、一つ上の先輩がマネージャーをやっていると入部してから知った。なので、決して『マドンナと呼ばれる先輩と、少しでも繋がりが出来るといいなぁ』などという不純な動機で入部したわけではない。
いつも『お疲れ様』と笑って声を掛けてくれる先輩に、惹かれているのは確かだ。けれど、最近は近所の女の子のことが気になってもいる。女の子が綺麗になっただとか、最近また付き合いが出来はじめたとかそんなものでは決してない。そこに純粋で甘酸っぱい青春の気配など感じ取ることは出来ないだろう。
その女の子に惹かれる理由は、最近の俺の悩み事でもあるからだ。何故か最近、唐突に文字が見える。それは風景の中にふわふわと浮かぶような、SFだとかファンタジー系の作品のようなものではなく、意識がほんの一瞬、何かにジャックされるような感覚だ。
あまりにも短くて、その浮かんでくる文字が読めないときもあった。最初は幻覚だと思って無視をしていたのだけれど、だんだんと鬱陶しく思えてきて家族に相談したのだけれど、その返答は『勉強嫌いなアンタのことだから、嫌いな文字が浮かんできたんじゃないの』とケラケラと笑われて終わってしまった。その後ちょっとだけ優しくしてくれたけど。
正直、俺も家族がそんな冗談みたいな現象を相談してきたら『変な夢でも見たんじゃないか』と一笑しながら、そう言って終わるだろう。その人が疲れているのかと思いながら、相手をちょっと気遣って。大丈夫そうなら、そこでそう言っていたことも忘れて。
けれど、その文字のジャックは終わらなかった。質が悪いことに、それは毎日起こるようなことではなく、本当に時々起きて一瞬で終わるのだ。そうなってくると、気持ち悪さとかよりも浮かんでくる文字が気になってきてしまう。もはや慣れだった。
慣れてくるとそれが起きた時に『あ、始まったな』と感じ取れてくるようになり、そこで浮かんでくる文字を読み取ろうと必死になった。
そうして、浮かんできた文字を読み取ったら、内容はこうだった。
『
――それは、最近付き合いのない、近所の女の子の名前だった。
◇◇◇
それ以来、その女の子の玉緒ちゃんが気になって仕方がないのだ。最初は、俺自身が玉緒ちゃんに対してそんな風に思っていたから、そういう風に文字が浮かんでくるものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
というのも、俺自身玉緒ちゃんのことをそこまで知っているわけではないのだ。それこそ、親同士がご近所付き合いと子供が同級生同士であるから関わってる程度のものだ。それ以外で玉緒ちゃんのことで思うことは『真面目な優等生だなぁ』ということだけだ。
成績が優秀だとかそういった意味ではなく、俺とは違い、親に怒られるような印象がないのだ。小さい頃、母親同士が遊んでいる子供を放っておいて、井戸端会議で話している会話を聞いたことがあるけれど、ウチの母親が俺はやんちゃで、手の掛からなさそうな玉緒ちゃんが羨ましいわぁと笑いながら話していて、玉緒ちゃんの母親も本当に手の掛からない良い子なのよーと笑っていた。
たしかに、玉緒ちゃんは大人しくて、落ち着いた雰囲気をもった女の子だ。同時に悪いところでもあるが、我が弱いとも言えて、学校でも目立つような女の子ではなかった。そういったところは、マドンナと呼ばれる先輩とは対照的だろう。
そんな彼女が死にたがっていると思えなかった。玉緒ちゃん自身も家族と仲よさそうに話しているところをよく見かけたので、家族仲が悪いとは思えない。かといって、同じ学校に通っていた時期に、学校で問題があるようにも見えなかった。
同じクラスになった時もあって、その時もクラスの中心に居るわけではないけれど、仲の良い友達と楽しそうに話しているのを見た。
それなのに、何故彼女が死にたいと思っていると俺が思うのか。一度疑問が吹き出せば連鎖的に吹き出してきて、それが彼女のことが気になるということに繋がっていく。
――だから、今の彼女を一度見たいと思った。もしもだけど『俺がどこかのヒーローのように超能力に目覚めて、今苦しんでいる彼女を救う。なんて、なって物語のヒーローのようだろう!』と勝手に気分が高揚して、ドキドキするような気持ちになった。
けれど、学校も違うし、俺には部活もあった。それに彼女の方にも色々とあるだろう。彼女と俺の時間が重なり合うことはなかった。家の近くで待ち伏せをすることも考えたけれど、それはストーカー染みてて気持ち悪いと考えて止めた。
そうして会えない間も文字が浮かんでくる現象が止むことはなく、恋ではないというのに、彼女のことが気になって気になって仕方がない、という事態に陥ったのだった。実に気持ち悪いな、俺。
長く、長く時間が過ぎた。その間にも現象が止むことはなかったが、生活自体は順調で、一つ上に進学して、部活でレギュラーになった。そうすると部活に関わる時間も増えて、先輩と関われる時間も増えて、年頃の男子としてドキドキした。
俺の勝手な妄想かつ勘違いでなければ、先輩とイイ感じになることが多かった。俺自身も可愛くて優しい先輩に惹かれていて、実に甘酸っぱいこれぞ青春と呼べるような、学校生活をおくっていた。
そんな学校生活を送っている寒い冬の帰り道。俺は学校に自転車で通っているのだけれど、その日は部活で遅くなって、すっかり周りは真っ暗になっていた。
元々遅くなる日は多かったけれど、ここまで空が真っ暗になるまで時間が過ぎた日は初めてだったので、よく憶えている。
寒さで吐く息が白く見えて、剥き出しの耳が寒さでかじかんでいた。かじかんだ耳が、冷たい風で痛みになり、その痛みを感じながらさっさと帰ろうと思って、自転車のペダルを回していると、その途中で見知った人を見かけた。
玉緒ちゃんだ。冬にしては少し薄着かな、と思うけれど、学校でオシャレを優先してスカートの丈を短くしたりする女子のことを考えれば常識的な服装だった。それに、歩いているようなので、あまり厚着だと暑く感じるのかもしれない。
そんなことを考えながら、つい昔なじみの仲の友人に声を掛けるような気軽さで、彼女の名前を呼び止めてしまった。当然、彼女は驚いたようにビクリと跳ねて、声を掛けた俺の方へ視線を向けた。
そんな彼女の反応にしまったな、と思いながらも、彼女をなるべく気付かれないように全身を見つめた。何か大きな変化があるのではないかと考えたからだ。
服装の感じも昔の彼女の印象を再現したような、真面目で悪くいえば地味な印象の服装だった。顔も化粧などをしている様子もなく、本当に中学卒業した時の印象のままだった。
真面目で、やんちゃな俺とは違う良い子な彼女をそのまま体現しているようだった。
「驚かせてゴメン! 見知った人を見かけるの珍しいから、つい声をかけちって」
「う、ううん。突然暗い中で私の名前を呼ぶ声が聞こえたから、ビックリしちゃっただけ。久しぶりだね、鏑木君」
「うん、久しぶりだね梛杜さん」
心の中では玉緒ちゃんと呼ぶが、それは親が彼女を下の名前で呼ぶからだ。普段、彼女と会話をするときは、名字で呼ぶ。ご近所付き合い程度の仲でしかない関係の呼び方など、こんなものだろう。
そんな挨拶を皮切りに、自転車を降りて、ちょっとした立ち話をすることにした。文字が浮かぶ現象の真実を確かめるためだ。
と言っても、さすがにそのまま直球で『梛杜さんは死にたいっておもってる?』などと聞くつもりはない。俺は推理ドラマであるようなプロファイリングをするような心持ちで、彼女との会話を始めた。
「こんな寒い日にどうしたん? 制服姿じゃないみたいだから、学校帰りとは思えないし」
「うん、学校帰りじゃないよ。一度家に帰って、今は散歩しているところ」
「散歩? こんなに暗いし、寒いのに」
「日課にしてるんだ。どうしても学校から帰った時間に、日課の散歩しようとすると、暗くなっちゃうのは仕方がないからね」
そう言って彼女は困ったように笑った。なるほど、日課なのか。寒くてもやろうとするなんて、真面目な彼女らしい考えだ。
けれど、何故散歩を日課にしているのだろう。そんな疑問を口にすると、彼女からの返答は大人しくて真面目な彼女らしい返答だった。
「私、運動得意な方じゃないし、中学も文化部で運動部じゃなかったじゃない? それで体力つけようと思ってウォーキングを始めたの。ただそれだけの理由だよ」
「こんな寒い中でも? すごいね、俺じゃサボっちゃいそうだ」
「けど、鏑木君は部活をやっているんでしょう? しかもレギュラーになったっていうのを、鏑木君のお母さんから話を聞いたって、うちのお母さんが言ってたよ。それは、鏑木君が練習をサボらなかった結果でしょう? 私と違って全然すごいことじゃない」
「いやぁ、そんなに褒めないでくれよ」
そんな謙遜したような言葉を言いながら、内心は鼻が高々な心境だった。褒められて嬉しくない人間がいるだろうか。いや、いまい。ましてや女の子から褒められているのだ。
でれでれとした気持ちを隠しながら、さらに会話をしてみたが、なんら昔と変わらない感じだった。
とても『死にたい』と思っているような人間の言動とは思えず、なんだ、あの現象は俺がヒーローである証じゃないのかと少し落ち込みながら、寒い中立ち話もなんだったので、会話を終わらせた。
もう暗いので送っていくと彼女に言ったが、彼女はまだ日課の散歩コースの途中だったらしく、断られてしまった。それでも女の子を暗い中で一人にさせるのに抵抗はあったけれど、ここでたいして親しくないのに粘るのは気持ち悪いだろうと思い、そこで別れを告げた。再び自転車を漕いでいると発生する風に、耳が痛いなぁなどと感じながら、家へと帰った。
家に着いて、ご飯や風呂を終えて、寝ようと思ってベットで寝転びながら、まるで物語のヒーローのような現象が起きているのに、なんらそれらしいことが起きなかったことを残念がりながら、そのまま寝てしまった。
◇◇◇
玉緒ちゃんと会ってからしばらくしてもその現状は続くが、もはや慣れてしまっていて、鬱陶しいものでしかなかった。別に物語のヒーローのような事態が起きるわけでもないのに、こんなものはいらないと感じながら、学校生活を送っていた。
その間に先輩とイイ感じになって、彼女から告白を受けるという名誉を受けた。その事実に俺は単純なもので、鬱陶しいと思っていて憂鬱だった気分が、一気に舞い上がった。
その返事を受け入れてから、その文字が浮かぶ現象が消えたので『これは俺と先輩を引き合わすための能力だったんだ!』と実に都合の良いことを考えていた。今にして思えば、嬉しいことがあったとはいえ、浮かれ過ぎだと思う。
先輩とお付き合いすることになってから数日後、その日は休日で母親や近所の騒がしい声で目が覚めて、自室からリビングに向かうと、いつも口うるさい姉が心痛な面持ちで、リビングのソファーにしなだれるように座っていた。
ただ事ではない周りの声や音と、姉の様子に何かあったのかと問いかけると、思いも寄らない返答が返ってきた。
「――……梛杜さんちの玉緒ちゃんが殺されて、犯人が警察署に出頭してきたんだって」
――その日、その時。俺はヒーローにはなれなかったのだと知った。
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