第2話 日常【2】
裏口から家に入って二階へ上がる。
荷物を置いたら一階の更衣室に入り、店舗用の制服に着替えてエプロンとマスクを着けた。
三角巾を頭に巻いて、手を消毒。
厨房に入ると父が半分目を回していた。
「おかえりぃ、ラミレス〜。焼きあがってるから出して〜」
「はーい」
店舗のレジを高校生アルバイトのマクナッドが高速処理している。
笑顔を絶やさず、ミスもなく。
彼はこの街で有名な名士のご子息。
ふわふわの黄土色の髪。
右から左へ長い前髪を流しているせいでおでこが丸出し。
飲食店なので全然構わない。
しかもお母さんが女優というだけあってなかなかの美少年。
性格も真面目。
気配りもできる優しく純朴な子だ。
その横で会計が終わった商品の袋詰めを行う美少年は中学生のラウト。
この子はマクナッド以上に目を惹く美少年。
さらふわの金髪。
少し長めのもみあげは耳の上でヘアピンで留めている。
澄んだ翡翠の瞳は幼さを残していて、まだまだ中性的。
お客さんに品物を手渡す時の笑顔の「ありがとうございました」には絶対ハートがついている。
あんな美少年にあんな笑顔で「ありがとうございました」なーんて言われたら老若男女問わず胸キュン死してしまう。
あざとい。
実にあざとい。
だが、分かっていても胸キュンせざる得ない。
恐ろしい子である。
「おにーちゃんおかえりなさーい」
「ただいまー」
店に厨房から焼き上がりのパンを運んで来たラミレスへのこの一言!
店内から謎の「きゃーー!」という奇声。
気持ちは分からなくもない。
あんな美少年に満面の笑顔で「おにーちゃん」なんて呼ばれてみろ。
血の繋がりなんてなくても胸キュンしてしまう。
こいつは絶対また残り物を大量に持ち帰る気だ。
ラウトは両親が共働き。
彼はあまりよろしくない家計を少しでも助けるため中学生でありながら、ラミレスの家のパン屋でアルバイトをしているのだ。
もちろん八時には帰らせる。
しかしその時に売れ残って余っているパンを大量に持ち帰ろうとあざとくおねだりしていく。
捨てるくらいならそれでも構わないのだが、一応営業は十時まで。
あんまり大量に持ち帰られると店じまいも早まってしまう。
「デニッシュ、焼きたてでーす! そこの可愛いお嬢さん、色っぽい奥さん! いかがですかー?」
きゃーーー!
店内外から上がる悲鳴。
(…………なぜ?)
パンを並べて呼び込みしただけなのに。
なぜ女性客から、こんなに芸能人でも相手にしている時のような甲高い悲鳴があがるんだろう?
ラミレスは笑顔のまま、心の中で首を傾げる。
確かに調子に乗ってウインクはしてみたけれど、別に自分は芸能人でもなんでもないのだが。
「お兄さん! レジ手伝ってもらっていいですか!(訳:これ以上お兄さんの格好良さを乱用してお客さん増やさないでください〜!)」
「我が子ながら恐ろしい無自覚……」
「え? なに母さん?」
「なんでもなーい」
アルバイトの美少年コンビのおかげで今日も大繁盛。
やっぱり美少年コンビが揃っていると金曜日という曜日の力もあり、あっという間に完売の札が並ぶ。
最後の一個をサラリーマン風の男性が購入して立ち去ると、母が『close』の看板を扉にかけてカーテンを閉める。
「あーあ、売れ残り貰って帰りたかったのに」
「やっぱりそれ狙いだったんですか……」
「マクナッドさんだって一人暮らしなんだから、ここのパンは貰って帰りたいんじゃないの?」
「う! そ、それはまあ……。けれど、こちらのお店が儲かれば我々のお給料にも反映されますから! 我々が本来目指すべきはそこの筈です!」
「それも大事だけど目先の食料も大切じゃないか?」
シビア!
会話がシビアだよ美少年コンビ!
ラミレスと母の心の声が重なる。
……そもそもマクナッドは良家のお坊ちゃん。
しかし彼は家の力でなく自分の力で自立し、社会を学ぶべく高校生になってから一人暮らしを始めたんだそうだ。
どこまでも真面目な彼は、ラウトの言葉に肩を落とし「確かにそれでお腹は膨れませんけれど……」と呟く。
「でも! お兄さんにあんな媚びを売るのはいかがなものかと……」
「してないよ。ラミレスおにーちゃんのことは本当のおにーちゃんだと思ってるもん。マクナッドさんは違うの? マクナッドさんだってお兄さんって呼んでるじゃん」
「え、え……。そ、それはまぁ……ラミレスさんが本当のお兄さんだったらなーとは思いますけど……。で、でも僕はそんなつもりでは……」
(うちのバイトの子たちが今日も天使だ……)
「ラミレス、変な扉開いちゃダメよ? 変な性癖目覚めさせるのもダメよ?」
「分かってるよ?」
でも母が心配する理由はよくわかる。
そのくらい、バイトの美少年コンビは可愛い。
外見がいいのに中身もこれでは母だってラミレスの性癖に変に目覚めないか不安にもなるだろう。
なにしろラミレス本人が一番心配している。
(でもお兄ちゃん萌は目覚めたかな……)
要するに手遅れだ。
「お疲れ様〜。いやぁ、二人が来てくれると大体早く店じまいになっちゃうから助かります〜」
「お疲れ様です! いえ、そんな! 僕たちはお手伝いしか出来ませんから!」
「俺たちよりラミレスおにーちゃんがカッコイイからお客さんが来るんだと思う。おにーちゃんが来てからお客さんの入りがすごく増えたし……」
「え? いやいや、二人がかわい、いや、可愛いからだと思うよ」
「なんで可愛いって言い直したんですかぁ!?」
「俺たち男だけど?」
ほら、こんな可愛い反応してこんな可愛いこと言うんですよ。
と、誰もいないショーウィンドウに向かって思うラミレス。
マクナッドなんて箱入りが抜けきれていないせいか、二つ年下とは思えない反応ばかりする。
これが可愛くないならなにが可愛いと言うんだろう。
「なるほど、マクナッドくんとラウトくんが可愛くて、ラミレスが格好良いからお客さんが増えたんですね」
「父さん、それかなり親バカ発言だから」
やめて。
と手で制する。
朝に「イケてるよー」とか「決まってるよー」とか「かっこいいよー」なんて挨拶ついでに交わし合って入るけれど、今はマクナッドとラウトがいるのだ。
さすがに家族以外がいる時にそれは恥ずかしい。
「そ、そんな事ないですよ、お兄さんは本当に格好良いですよ……」
「あはは。ありがとねー。マクナッドみたいな可愛い子にそんな事言われるとマジ照れしちゃうな〜」
「……!」
「もう、本当に自覚ないんだから……」
はぁ。
四人から深い深い溜息。
「え? なんでそこで全員溜息?」
「お母さん、あんたのその性格ばかりは失敗したと思うわ。まったく、お父さんに似なくて良いところばっかり似て……」
「まさかの流れ弾……!」
「あれ? 店長さん、あの袋は? お客さまの忘れ物ですか?」
お父さんに流れ弾がクリティカルヒットしたところで、カウンターに置かれた大きな茶色い紙袋にマクナッドが気が付いた。
あれはこの店の袋。
一番大きい種類だ。
バケットをたくさん買った人によく使う。
はみ出したバケットは五本。
そんなバケットがたくさん入った茶袋が、二つも置いてある。
これが忘れ物なら相当ヤバイ人だ。
「あはは、違いますよ。お給料は値上げ出来ませんから物資給。はい、今日もたくさん働いてくれてありがとうございます。二人のおかげでうちの売り上げ、また上がったんですよ〜」
「ええ!? こんなにたくさん、いいんですか!? あ、あったかいです……! もしかしてわざわざ焼いてくださったんですか!?」
「わあ! ありがとうございます店長! これで土日は楽に生きていけるー!」
「……き、気になってたんですけどラウトくんのお家、そんなにヤバイんですか……?」
「……おとーさんまたクビになったんだ。あの人なんであんなに続かないんだろう? いろんな職種に手を出し過ぎて迷走してる感じ。おかーさんもストレスに弱いから、すぐに体調崩しちゃうんだ」
「あー、ラウトくんのお母さん美人だからスーパーで変なお客につきまとわれてたり、店長にセクハラされたりしてるらしいわよ!」
「げっ、か、母さん!」
そんな情報、息子に話すか?
特にセクハラの話は中学生の子には過激では?
ラミレスに怒られて口を手で覆ってももう遅い。
「……やっぱりそうなんだ……最近人妻ブームとか、熟女ブームで世の中おかしい」
「破廉恥な!? ラ、ラウトくん! そのような爛れた情報一体どこから!?」
「え? コンビニ」
の、エロ本売り場。
と平然と言われると押し黙るしかない。
教育問題でコンビニのエロ本売り場は騒がれていたが、思わず実感してしまった。
「は、破廉恥です! 不潔です! コンビニにはそのような穢らわしいものが!」
「マクナッドさん、まさかコンビニ行った事ないの? 嘘でしょ? あるでしょ?」
「各種お支払いの際はお世話になります!」
「ナブンナナブンのコーヒー安くて美味しいよね」
「! ラ、ラウトくん、コーヒーが飲めるんですか!? ま、まさかブラックで!?」
「まさかはこっちのセリフだよ」
(うちのバイトの子たちが今日も天使だ……)
和む。
「そんな、子どもの時からコーヒーやお酒を飲むと、喫煙と同じように背が伸びなくなりますよ!」
「コ、コーヒーも!?」
(天使かな……)
「多分カフェインの量が多いせいでしょうね。成長期中にコーヒーでカフェインを摂ると夜に眠くならなくなって、成長ホルモンが分泌されづらくなるとか、そんな理由ではないでしょうか?」
「本当にそうなんだ!?」
「テキトーにそれっぽい事言わないの!」
「あいた! ……わ、私はただ良かれと思った推察を……」
「それが余計な事だっつーの!」
しかも地味に説得力があるから手に負えない。
母に叩かれた父は二人にごめんなさい、と謝り「じゃあお店の中を掃除をして二人とも早いけど上がっていいよ」と話を変える。
二人は少し顔を見合わせて時計を確認し、嬉しそうに頷いて更衣室の掃除用具入れからちりとりや箒を取ってきた。
店舗の掃除や後片付けは二人に任せて、ラミレスは「じゃあ俺もお菓子作ろう」と腕をまくる。
「え、おにーちゃんお菓子作ってくれるの?」
「明日って出勤マクナッドくんだけだっけ? ラウトは食べに来れる?」
「来る来る! おにーちゃんのクッキー大好き! おかーさんにも食べさせてあげたいなって思ってたんだ! ねぇ、俺の分も作って取っておいて? お願いおにーちゃん!」
「ンンンン!」
口を結んで心で悶える。
わざとか?
わざとやっているのか?
この十五歳美少年まじこわい。
可愛過ぎて辛くなる。
なんと言うか、お兄ちゃんなんでもしてあげたくなる意味で。
「おにーちゃ〜〜ん」
「……〜〜あーもう、分かった分かった……仕方ないな……ラウトとラウトのご両親の分も作っておくから明日取りにおいでよ」
「やったぁ、おにーちゃん大好き!」
がば。
首に抱き着かれて一瞬硬直した。
本当に、一瞬。
近い。
綺麗で可愛い顔がめちゃくちゃ近い。
「引き取りたい……」
「ダメよ、戻ってきなさい」
ですよね。
「じゃあね、おにーちゃん約束だよ! 俺と俺のおかーさんたちの分! 楽しみにしてるから!」
「あの、ここまで送って頂き、ありがとうございます! バケットも、店長さんに大変助かりましたとお伝えください!」
「あ、俺も! これだけあれば土日は安泰だから。頑張れば一週間いけるかも」
「ちゃ、ちゃんと栄養のあるもの食べるんだよ? 二人の食生活どうなってんの? なんか超心配なんだけど」
特にラウトは、家族三人でバケット五本を一週間?
いやいや絶対どう考えても足りないだろ。
今度二人の食生活を見にお邪魔しようか?
なにか材料買って美味しいもの作ってあげよう。
心にそう誓う。
「わ、分かっています! 大丈夫です! では、お疲れ様でした。また明日、宜しくお願いいたします」
「うん、また明日宜しくね〜」
二人を家の近くまで送ってから店舗兼自宅へと帰宅する。
時間は九時半過ぎ。
今日は本当に早い店じまいになった。
二人とも男の子とはいえ可愛いし、ラウトは中学生。
マクナッドは隙が多いので高校生とはいえなんだか心配だ。
こうして家の近くまで送ってやるのは、お兄ちゃん的使命感。
「収穫祭は来週の土日か。……シャオレイ、来てくれるかな……」
明日明後日、なんの応答もなければ別な人を探そう。
けれど、出来れば彼がいい。
彼と仲良くなりたいし、彼にもっとこの国のことも自分の事も好きになって帰ってほしい。
吐いた溜息が真白なのに、一瞬「お?」と思った。
そうか、収穫祭って事は──本格化な冬が目の前に来ているって事か。
「もうすぐ二十歳か〜……」
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