死神は魂を愛せない

大宮 葉月

死神との邂逅

「雫、そこを退いて。貴女の兄はもう死んでるのよ」


 夕日が差し込む病室で、彼女は大きな漆黒の鎌を構えていた。

 闇夜を想起させるような艶のある背中まで伸びた黒髪が、時折パチっと電気のようなものが弾ける音と共に跳ねてうねる。

 ああ……彼女は本気だ。

 本気で唯一の肉親である兄の魂をあの世へと誘う為、そして自身の存在を証明する為、一切の躊躇無く、その大鎌を兄に向かって振り下ろすだろう。


 何処か非現実じみた、まるでアニメや映画のような状況で私の心は不思議と落ち着いていた。

 彼女に言われるまでも無く兄の主治医からは、このままでは脳死判定が下る可能性が高いことは既に説明を受けている。

 彼女の言葉を借りるなら、とっくに役目を終えた肉体に魂がしがみ付いているだけ……。


 なら、兄の妹である私はどうすれば良いの?

 本当に彼女に黒羽(くろは)に兄を委ねないといけないの?

 病室の机の上の花瓶にはこんなことになることを示唆していたのか、”彼岸花”が飾られている。

 ——いいえ、やらせない。

 たとえ、回復する見込みが無くたって私にとっては——もう一人しかいない家族なんだ。

 兄が横たわるベッドの前で大鎌を構えている黒羽の前に、私は両手を上げて立ち塞がる。


「そう……。それが貴女の意思ね? 雫」

「……ええ、そうよ黒羽(くろは)。死神に兄は連れて行かせない」


 私は一歩も引かない気迫を黒羽に直接ぶつける。

 黒羽も説得は無理だと悟ったのだろう。——大鎌を上段に構えた。

 そして一言。


 さようなら、雫。


 と、ぼそっと呟くと勢いよく大鎌を兄と私に向かって振り下ろす……。

 振り下ろした大鎌の切っ先が、病室の机にある彼岸花が生けられている花瓶を掠めた。

 私は魂を裂くその一撃を甘んじて受け止めるはずだった。

 

 ——いつまで経ってもその瞬間が来ない。

 恐る恐る目を開けると、大鎌を床に落とし荒い呼吸を繰り返している死神がいた。


「なんで、いつも出来ないの。——冥浄鎌(めいじょうがま)を振るうこと」


 黒羽が悔しそうに握り拳を何度も床に打ち付ける。

 夜を思わせる、ダ—クブラウンの瞳に溢れんばかりの涙を溜めていた。

 そんな黒羽を見て、私は彼女と初めて会った時のことを唐突に思い出すのだった。


 ∞ ∞ ∞


 深夜。

 そろそろ寝ようとしていた私のスマホに、知らない番号から着信が入る。


 ——兄が意識不明の重体で今、近くの病院に救急搬送されている。

 もしもしをいう前に、電話口から告げられた不吉な一報で眠気を訴えていた身体が瞬時に覚醒した。

 五つ年上で離れて暮らす兄は市内の大学に通いながら、夜遅くまでアルバイトに精を出す勤勉学生だ。

 

 大学の授業料は奨学金で免除されているとはいえ、一人暮らしでそれなりにかかる日々の生活費は、当然のことながらアルバイトのお給料から捻出することになる。

 確か兄は借りているアパート近くのコンビニで働いていた筈だ。人手不足のようで24時間営業ではないところと、この間会った時に話してくれた。


 搬送先の病院を聞き出すと私はパジャマを脱いだ。

 ……お洒落に気を使っている余裕は無い。

 とりあえず、壁にかかっていた灰色のパ—カ—とジ—ンズに手早く着替える。

 万が一の為に兄から預かっていた合鍵を持って、深夜の外へと私は飛び出して行った。


「あった、保険証」

 

 兄が借りているアパ—トについた私は手早く合鍵を使って、誰もいない兄の部屋にお邪魔しますとだけ断ってから室内に入る。

 念のため、アパ—トの大家さんにはここに来る前に連絡済みだ。

 普段からそつの無い兄のこと。

 私のことは既に大家さんにも話してくれていたようなので、話がスム—ズに進んだ。


 入院になるのは確実なので、寝巻きや肌着なんかも手早く旅行用バッグに詰めていく。

 一通り必要な物を回収し終えて、部屋から出ようとした時だった。

 ——誰もいない筈なのに視線を感じる。

 昔から私は他の人と見ている視界のチャンネルが違うらしく、見たくも無い物を見てきた回数は数える気にもなれない。


「……」


 ぼうっと薄暗い部屋の中に長い黒髪をゆらゆらと揺らす、長身の女性が立っている。

 幽霊にしては足がしっかりとあり、フロ—リングの上に黒っぽいロ—ファ—のような靴を履いているのがなんとなくミスマッチ……のようにも見える。

 どうしよう? 明らかに季節外れのお化け? だけど。

 私がそれを見て見ぬふりしようか逡巡していると、そのお化けは手を前に翳すと目を瞑った。


 何をしているのだろう? と興味本位で眺めていると、次の瞬間。

 その手に漆黒の大鎌の柄の部分が握られていた。


「ここが、今回の試験のタ—ゲットの部屋? よね? その割にはタ—ゲットの霊魂反応が感じ取れないけど?」


 しゃ、喋った?

 それもごく普通に私でも聞き取れる言葉でだ。 

 それにあの鎌——もしかして?


「無視しようかと思ったけど、貴女? 私が見えてるみたいね?」

「ひっ !?」


 まさか、お化け? が話しかけてくるなんて。

 長い黒髪の女性のお化けはこちらを訝しむように見つめている。

 まるで、蛇に睨まれたカエルのように、私の足は玄関に吸い付けられたようで離れない。

 そんな私の様子を知ってか知らずか、お化けはとうとう目の前にやって来た。


「へぇ? 貴女、タ—ゲットと血縁関係の子ね? 名乗りなさい?」

「い、糸川雫(いとかわしずく)……です」


 何だろう? さっきからこのお化けが言ってるターゲット? とは?

 雫か、良い名前ね? とクスリと笑ったお化けは恐怖で震えている私の顔を覗きこんだ。

 吸い込まれそうなダ—クブラウンの瞳に見つめられていると、まるで魂の中身まで覗き込まれているかのようだ。

 私は恐怖に抗う様にお化けに尋ねる。


「あなた、何なの?」

「死神よ。この鎌を見れば分かるでしょ?」


 死神? あの魂を刈り取るとかそういう物騒なイメージが付いてる、死神??

 ——何で死神が兄の部屋に?

 まさか——。


「察しが良いわね? ——貴女の兄の魂を迎えにきたのよ?」


 そう言って死神はクスリと笑う。

 何もかもが異常なこの状況下で、彼女のその仕草だけがやけに人間ぽいと思ってしまったのは、果たして気のせいだったのだろうか?


「それはそうと、貴女の兄はどこにいるの? ……霊魂反応が感じ取れなくて困っているのだけど?」

「……さっき、意識不明の重体で病院に搬送中だと連絡ありました」


 何で律儀に私は答えてるのだろうか?

 それに、仮にも死神であれば兄が何処にいるかなんて分かって当然なのでは? と疑問が湧いた。


「そんなの……聞いて無いのだけど。ねぇ? 雫? そのぅ、良ければで良いのだけど貴女の兄が運ばれた病院まで連れてって貰えないかしら?」

「は、はぁ?」


 どういうことだろうか?

 さっきまでの近寄りがたい雰囲気は何処へやら。

 一転して何とも情けないことを言い出す死神を、私は冷ややかな目で見る。


「死神なのに、兄がいる場所も分からないのですか?」

「だって、この冥浄鎌(めいじょうがま)で貴女の兄の霊魂反応が感じ取れないのだもの。

 と、とにかく案内しなさい!」


 ……何だろう。すご—く怪しいです。

 実は死神の格好をしている痛い女性(ひと)?

 それに兄を連れて行こうとしている死神と兄を引き合わせるとか、私がすることなの?


「すいません、急いでるので……。それじゃ」

「え? ちょ……ちょっと? ま……」


 何故か慌てる死神を兄の部屋に残してドアの鍵を施錠すると、ちょうど通りかかったタクシ—を呼び止めて私は病院へと向かった。


 ∞ ∞ ∞


 タクシ—から降りて救急外来で受付を済ませた私は、手術室の前の長椅子の上で油断すれば寝てしまいそうになるのを必死に堪えながら、手術が終わるのを今か今かと待ちわびていた。

 何でも、兄は橋の上から身投げした女性を助ける為、自らも飛び込み頭を強打したとか……。

 難しい手術になりますが、善処いたします。と、深夜にも関わらず快く引き受けてくれたお医者さんには感謝しか無い。


「ハァ、ハァ、やっと見つけた。勝手に先に病院に行くなんて酷いじゃない!?」

「あ、あなたここまで追ってきたわけ……?」


 呆れた。いや、死神と名乗ってるのだから空くらい飛べるかもしれないけど、にしては随分荒い呼吸を繰り返している……。

 まさかとは思うけど——ここまで走って来たの? この死神は?


「なるほど、この扉の向こうね? それじゃ早速……」

「待ってください! 今、手術中なんです! せめて、手術が終わるまで……」

「糸川さん? どうされました?」


 偶然、通りかかった看護師さんに声をかけられてハッと我にかえる。

 曖昧に誤魔化して何とかやり過ごすが気付いてしまった。

 この死神、私にしか見えていない?


「ようやく、信じる気になったかしら? 私は死神見習いの黒羽(くろは)。

 正式な死神になるための試験に受かる為、貴女の兄は力尽くでもあの世へと連れ帰るわ」


 死神……黒羽は先ほど見せたように漆黒の大鎌を顕現させる。

 まずい、このままじゃ本当に兄の魂をあの世に連れてかれる。

 慌てて黒羽の腕を掴もうとするが、その手は虚しく空をきった。

 私が諦めかけたその時、黒羽の持つ大鎌が鈍い輝きを放つ。

 その光を苦々しげに見る黒羽はきびすを返すと、病院の地下へと繋がる階段の方へ向かって行く。


「何処に行くつもり?」

「病院なら必ずある部屋よ。ちょうど良いわ、貴女もついてらっしゃい? 死神の仕事を見せてあげる」


 黒羽は階段の手すりに足をかけてそのまま地下へと飛び降りて行った。

 私も階段を急いで駆け下りて後を追う。

 深夜ということもあり、必要最低限の明かりしかついていない病院の地下は薄暗い。

 前を行く黒羽は黒っぽい装束を着ていることもあって、油断すれば見失いそうだ。

 

 非常灯の明かりを頼りに進んで行くと、前方に「霊安室」と書かれた部屋の入り口が見えて来た。

 病院で亡くなった方のご遺体を一時的に預かる場所だ。

 病院勤めでもなければまず、入る機会は無いだろう。


「反応はこの部屋からか。どうやら、たちの悪い悪霊が入り込んだようね」


 黒羽は何でも無いように霊安室の扉をすり抜けると、中に入って行ってしまった。

 入るかどうか一瞬迷ったが霊安室の扉に手をかけると勢いよく開く。

 腐敗を防ぐために、室温が低めに保たれている室内はかなり肌寒い。

 この季節にしては厚手のパ—カ—を着ていて心底良かったと思える一方で、目の前ではこの季節にはまだ早い怪談的なモノがいた。


 ぅぅぅぅぅうううううう……。


 ゾンビ映画のワンシーンかのように既に事切れている筈の遺体が、意思を持ったかのように蠢いている。


「何で、死体が動いているの?」

「さあね。まだ生きたいと思っているのか、それとも死んだことすらも忘れているのか。どちらにせよ現世(うつしよ)に居てはいけないモノよ。見てなさい、雫」


 黒羽は大鎌を上段に構えて、真っ直ぐ死体に向かって振り下ろした。

 死体に突き刺さった鎌は一層鈍い輝きを強めていく。

 黒羽と同じようにその大鎌も霊体とやらなのか、死体の身体を貫いてはいるものの、それで死体がバラバラになったりした訳でもない。

 けれど、大鎌に貫かれたその死体は筋肉など既に機能していないその顔で、苦悶の表情を浮かべていた。


「死して尚、現世に未練残す魂よ。あなたの現世に於いての役目は既に終わっている。何の憂いも無く、あの世へと向かいなさい」


 黒羽のまるで死者への手向けのような言葉が、届いたかどうかは私が知る由も無い。

 だが、苦悶の表情を見せていたその顔は徐々に穏やかな表情に変わり、まるで事切れたかのように四肢がだらんと伸びてその動きを静止した。


「既に死んでいる魂なら、いくらでもあの世へと誘えるのに。何で、寿命を迎えたばかりの魂には同じことが出来ないのかしら……」


 まるで奇跡のような御技を目の前でやってみせた黒羽の呟きが、耳から離れない。

 どういうことだろう? そういえば、死神見習いとか言ってたような気もするけど?

 それより……この状況、病院の人にはなんて説明すれば良いのかなぁ?

 遺体に悪霊が宿って勝手に動いたとか言ったところで、信じてもらえるわけも無いし。

 

 私がどう説明しようか悩んでいると、黒羽が大鎌を再度死体に突き刺す。

 すると、不思議なことに死体は一人でに動いて、自ら寝かせられていた台の上に戻って行った。

 アフタ—ケアくらい出来るわよ、とすれ違い様に告げられた彼女の後を追って私も霊安室を後にする。

 認めなければいけないようだ。彼女は本当の死神であると。

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