恋はするものではありません

 次の日も次の日も、アイレさんの調べ物が終わるまで図書館に通い続けていました。

 アイレさんと会話している時間は短いのですが、一日の間に一緒にいる時間は相当な割合を占めています。

 今日も今日とて、わたくしは気になった事を聞きます。

 それくらいの気軽さで話せる間柄にはなったと思います。


「今日は何を読んでいるのですか?」


「《太古の宝玉》に関する文献だ」


――相変わらず、素っ気ない人ですね。


「それはどう言う本なのですか?」


「あぁ。……そもそもなんで、俺はこの本を読んでると思う?」


――質問に質問で返して来ますか。


「わたくしには分かりません」


「なら、まだ国内の問題点は探し出せてないみたいだな」


 どうして今の会話から分かるのでしょうか?

 熟考していると珍しくアイレさんから疑問が飛んできました。


「毎日のように来るけど……王女だよな?」


「寝室と塀の間に抜け道があるんですよ」


「脱走していると?」


「さぁ、どうでしょうか」


「……街中で聞いた印象と違うな。

 随分と腕白な王女様だ」


 アイレさんはそう言うと笑顔を見せてくれました。

 初めて見ました。

 本当に微笑というほどの小さな変化でしたけれど、わたくしはとても嬉しかったのです。


「王女って言うのは案外そんなものですよ?

 幻滅しましたか?」


「いや別に。ただ……高身長で美しく、気品があり、学業優秀。何と言っても聖母様のように心が広い優しい王女だ、と口を揃えて言ってたけどな」


――そんな風に……民の人たちは、わたくしを見ていたのですか。


「そんな立派な存在ではありませんよ。わたくしは」


 手にした本を止めて、表情を曇らせてしまいます。

 王女としての職務を果たしていない自分などは尊敬されるべきではないのです。


「人々はこうとも言ってた。王女は民の為なら献身的に身を捧げる方だと。でも結婚には消極的なんだってな。随分と心配してる人がいた」


「そう、ですよね。

 王女なら早く結婚しなければいけませんよね」


「? 献身的で理想的な王女だって言われてる。人望厚い王女だと思うが?」


「わたくしは民の皆さんが思っているような……王女じゃありませんよ」


 自分勝手に結婚を先延ばしにして、民の為だと言い、自分の為にしか行動できない。

 自己満足の為に意味のない事を続けて来たわたくしには、尊敬の眼差しがとても痛いのです。


「……そうか」


――そうですよ。わたくしは王女失格なのですから。


「そう言う所が人柄を良く表してると思うが」


「っえ?」


「民の為に苦しんでるお前がいる。城を抜け出して夜遅くまで資料を漁るお前がいる。両方とも立派だと思うが」


――アイレさんは、そう、見ていて、くれたのですか?


「結婚だってお前の人生だ。しっかり考えればいい。お前のためにな」


――どうして、いつも……素っ気ないくせに。


 わたくしは、込み上げて来る思いがありました。

 自分は生まれながらの王族。

 王族として責務を果たすのが、自分の役割だと本当に思っていました。

 自分の意思などは、全て無視されると思い続けるほかなかったのです。


 それしか……自分を守る方法がなくて。


 胸を押さえ、ギュッと握ります。


――あなたは……その瞳でどこまで見えているのですか?


 もう片方の手で、服の袖をギュッと握ります。


――その唯一無二の瞳で……あなたはどこまで見えているのですか?


 頬を伝う雫が一つ、二つと漏れ出します。


――無遠慮に批判して来るだけの人だったのに。


 唇を噛み、懸命に涙を堪えようとします。


――いつも核心ばかり突いて来ますね。あなたは。


 震える肩を抑えることが出来なくて。

 アイレさんはさっと本を傍らに移動させました。


――ここで本を心配しますか。涙が落ちたら大変ですものね。


 そんなあなたの行動一つ、一つに心が大きく揺らされて。


「一人で抱えても意味はないだろ。

 俺には共感できないが……辛かったんだな」


 そっと頭に置かれた手が大きくて、撫でてくれる手が優しくて。


「アイレさんは意地悪です。辛いとか言うの反則です」


 あなたの行動で一喜一憂する自分が嬉しくて。

 とても胸がドキドキするのです。


――あぁ……そうか。


 涙を払い、開いた瞳の先にいるあなた。

 ワインレッドの髪が月明かりに照らされて、白く霞みがかっていました。


――これが恋と言うものなんですね。


 わたくしの双眸を覗き込むオッドアイの瞳は、どこまでも綺麗です。


――最悪の出会い方でした。白馬の王子さまが良かったです。


 頭を撫でてくれるあなた。

 毎日無表情だけれど、以外と優しいあなた。


――その瞳は、どこまで見えているのですか?


 両手を胸の前に持っていきます。

 服をギュッと握りしめ、頰を紅潮させて。

 熱くなった瞳であなたを直視します。


――その瞳で、わたくしの恋心まで見透かしてはいませんよね?


 わたくしは、そっと手を退けて笑顔を作りました。

 ここに来て、運命の相手を見つけてしまいました。

 神様はとても気まぐれで、とても酷い方です。


――恋はするものではない。


 誰かが教えてくれたのか。本で読んだのか。

 不意にわたくしの頭に思い浮かぶ言葉でした。


――本当にその通りです。


 恋はするものであれば、あなたを好きにはなりませんでした。

 だって本当に酷い出会い方でしたから。

 自分の価値観を、自分の努力を全否定する人でしたものね。あなたは。


――あなたに……恋をしてしまったようです。


「ありがとうございます。アイレさん」


 アイレさんは手を引っ込めて、再び読書を始めます。

 分かっていました。

 素っ気ないあなたは知っていましたから。


――本当にどこまで見えているのでしょうか。


 わたくしは、全て見透かされていると思うのですが、気のせいですよね?

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