穏やかな時の中で

 アイレさんと出会って以来、わたくしは昼間は国内を視察して行き、夜は図書館に行く生活になりました。

 足りないと感じた知識を収集するために図書館を利用するようになったのです。


「何を読んでいるのですか?」


「《運命を隔てた七日間》って知ってるか?」


「有名な童話ですね。もちろん、知っていますよ」


「今はそれを読んでる。国によって内容が違うからな」


 そう言って、童話と言うには分厚い本をわたくしに見せてきます。

 分厚革の表紙は、小さい頃に一回は聞いたことがある有名な物語の題名が刻まれていました。


――童話って呼ばれていますけれど……歴史書に近かったような。


 わたくしは首を傾げながら、真意を確かめてみました。


「またどうしてですか?」


「風光明媚な世界を後世に残すために」


――変なこと言う人ですね。わたくしが馬鹿だからって。


「からかっているんですか?」


「? 俺は本気だが?」


「そう、ですか」


 わたくしは溜息を溢して、自分も本を開きます。

 すると意外なことにアイレさんから質問が飛んで来ました。


「三十年前は雪に覆われた街だったって書かれてた本があったんだが、本当なのか?」


「っえ? あ、はい。お父様はそう言っていましたよ。ここからでも氷河が見えたとか。それがどうかしましたか?」


「……いや、何でもない。この国の問題は見えて来たのか?」


 あからさまに話が逸らされた気がします。

 自分の事には徹底的に触れられたくないようです。

 気になるのが、人としての性です。

 しかし、話の転換に乗ることにします。


「沢山ありますけれど、国が滅びるような問題は見えて来ません」


「そうか」と。

 アイレさんはそのまま童話に視線を落としてしまいました。

 教えてはくれないようです。

 ズルイ人です。

 ちょっとだけ、本当にちょっとだけイラッとします。


     ◇  ◇  ◇


 わたくしは毎日のように図書館に通い続けて、アイレさんと短い会話のやり取りをするようになっていきます。

 今日も公務が終わり、わたくしは寝室に戻って来ていました。

 王都ダールハーゲはフィヨルド地形の谷の下にあります。真ん中をアルヴ川が流れて、北側の斜面にわたくしが住むユーグリング城が立っています。

 ユーグリング城のわたくしの部屋は、大広間、読書の間、奥の間、寝室と言う構成なのですが、寝室には誰も入れないようになっています。もちろん許可がない限りですが。

 わたくしは、公務で疲れた、と王宮女官に伝えて寝室に入りました。


――足音は……大広間を出ましたね。


 立地的に寝室は角部屋になっています。

 それも都合が良いことに南東の角部屋です。

 隣には城壁が直ぐに見え、寝室は二階。


――準備をしましょうか。


 わたくしは、来ていたドレスタイワンピースを脱ぎ捨て、いつものロイヤルブルーのワンピース・ドレスに着替えます。上からフォレストグリーンの外套を着て、ココアブラウンの編み上げブーツを履きました。


「窓の外には……誰もいないですね。行きましょう」


 わたくしは窓の外に出ました。

 細い足場を慎重に進み、太い木へと飛び移ります。

 慣れた手順で木から降りたら城壁の抜け道をスラリっと通り、脱出成功です。

 この抜けた後が爽快で気持ち良かったりします。

 一気に風が吹き、別の世界に到着したことを自然が教えてくれます。


「とてもきれいですね。ここからの景色は」


 一面に広がるダールハーゲの街中。

 ガス灯の普及によって街は光を持ち、カラフルな家々を照らしています。

 空には星々が輝き、夜空の下で人々が街を歩きます。

 水面に反射したように星を映し出した街が広がっているのです。

 斜面に建っているからこそ、眺めが抜群に良いのがこの場所だったりします。

 最高です。


「まだ、工場は動いているのですね……あんなに煙がモクモクと」


 美しい景観を壊している物と言えば、南西に広がる工場地帯です。

 煙が空高く上がっていく光景をここからでもハッキリと見ることが出来ました。


「グレイウェグ教徒としては……自然が壊されている気がしますね」


 グレイウェグ教は自然の恩恵に感謝する地域宗教で、王族と一部の民が信仰しています。

 この国の民は大半がキリスト教徒のため、わたくしたちは少数派とも言われます。

 わたくしは、そんな事を思いながら王立グレイウェグ図書館に向かって歩き出しました。

 西へと歩いて行く途中に、奴隷と主人が揉めている光景なども見ることが出来ます。


――最近、トラブルが多いのでしょうか? 良く見ますね。


 この王国は天啓身分制度で奴隷と平民、貴族に分けられています。

 なので、別段不思議な光景でもないのですが、トラブルが多いのは好ましくありません。

 人々が不満を抱えて、ストレスになっている可能性があるからです。


――これも考えないといけませんね。


 わたくしは溜息を溢し、道を歩いて行きます。

 次に気になったのはアルヴ川でした。

 図書館がある公園に行くためには、川沿いを歩く地点があるのですが。


――少し透明度が落ちているでしょうか? 夜で分かり難いですけれど。


 自分の記憶と水の透明度に差異がある気がしたのです。

 気のせいでしょうか?

 わたくしは別段気にすることなく、公園内へと入って行きました。

 公園内の一角に聳える純白の建物。自然に関連のある装飾がされ、国章であり、王族の家紋でもあるスノーフラワーとグレイウェグオオカミが描かれた入り口で、いつも通り警備員に声を掛けました。

 もちろん警備員はわたくしの資産から少々お金を出し、口止めをしておきます。


「いつもありがとうございます。外から鍵を締めてください」


「了解しました。お任せください、王女様」


 わたくしは中に入る前に一つ、警備員に尋ねることにしました。


「すみません。わたくし以外にここにいる人はいますか?」


「いいえ、おりません。あ、そう言えば……変わり者の旅人が本を読んでいるとか言っていましたが、もう帰ったと思いますよ」


――残念ながらまだ中にいると思いますよ。


「ありがとうございます。では戸締りお願いしますね」


 わたくしは苦笑しながら図書館の中へと入って行きます。

 静謐な厳格ある本の世界をゆっくりと歩きます。

 反響する音は足音だけです。

 鐘が鳴り、閑散としているけれど、これは夢の時間。

 儚く消えてしまわぬように目を離せないけれど、心地良い鐘の音色と暗闇に浮かび上がる蝋燭の淡い灯火が現実世界から意識を乖離させます。

 当然と言えば当然なのですが。

 夜間の許可は取っていない様子のアイレさんが、いつもの場所に座っていました。


「今日もいたのですか、アイレさん」


「悪いか?」


「いいえ。でも許可はしっかりと取って欲しいですね」


 わたくしはアイレさんの反撃に対する策も練っていたのですが。

 微笑を浮かべただけでアイレさんは何も言う事なく、視線を逸らしました。


――素直に認めるって事が出来ないのでしょうか?


 自分が悪い事なんてしていないと言い張るように本に視線を落とすアイレさん。

 私が溜息を溢すと、足元から白い塊が飛び出して来ました。


「えっ⁉︎ なんですか、その動物は⁇」


 まだ数回としか会っていませんが、こんな子は今までいなかったと思います。

 わたくしも本に夢中になってしまい、周囲への注意が散漫になっていましたが……多分こんな子はいませんでした。

 本当ですよ?

 嘘はつきません。


「ブランだが?」


「ブランだが、じゃないです。それに答えになっていません」


「ホッキョクギツネのブラン。旅の相棒だ」


 机の下に顔を覗き込んで、ブランを見詰めます。

 真珠のような丸い瞳に真っ白でふわふわの毛。

 手足が短いせいで愛らしさが強化されている感じでした。

 癒し系です。

 可愛いです。


「ここは図書館なんですよ? 駄目じゃないですか」


「普段は外で待ってるんだが……待つのに飽きたらしい」


――またですか。答えているようで、答えていません。


 会った時からそうです。

 質問に答えているようで、少しズレた返答をして来ます。

 それを意図的にやっている節があります。

 本当に意地悪な方です。


――でもキツネって初めてです。


「おいで〜。おいで〜」


「噛まれるぞ」


 アイレさんが真顔で言うものですから顔が青白くなってしまいます。

 しかし、もう時既に遅しです。

 ブランがわたくしの手まで近づき。


「珍しいな。……そうか、王女はそう言う人か」


 ペロペロと舐めてくれた後、体を擦り付けて来ます。

 凄いです。可愛いです。


――ふわふわで柔らかいですね。


「珍しいのですか?」


「ブランは、いや、動物は人よりも感情を読み取ることに長けてる。ブランは特に敵意や負の感情に敏感なんだ」


「じゃあ、ブランがわたくしの性格を肯定してくれたのですね」


「……そう、だな」


 本当に意外だったのでしょう。

 アイレさんは鳩に豆鉄砲を食らった顔をしていました。

 アイレさんの予想外の顔が見られて嬉しいです。

 自分が認められた気分になりそうです。


「この子とはいつから旅をしているのですか」


「二年か三年前だったと思う」


「また曖昧ですね。アイレさんらしいですけれど」


 わたくしは夢中でブランを撫で回していました。

 頰をペロペロされていると、アイレさんが自分から話し始めました。


「ホッキョクギツネは目撃例が減っている種だ。だから保護したって言うのもある」


――珍しいですね。自分から話すなんて。


「どうしてですか?」


 わたくしが尋ねるとアイレさんは本を閉じました。

 そして、視線を合わせて言います。


「手首のミサンガは何から作ったんだ?」


――また質問とは違うことですか。


 わたくしももう学習しました。

 無視してしまえば、話はそこで終わってしまう事を。

 なので、そのまま話を合わせることにしました。


「これはグレイウェグオオカミの毛からですよ」


「それと同じだ」


「このミサンガと何が同じなのですか?」


「ホッキョクギツネが減っているのもそれが原因の一つ。材料になってるからだ」


 わたくしは目を見張ってしまいます。

 こんなに可愛らしい動物が材料として人に乱獲されていると言うのです。

 そんな知識は習っていません。

 誰も教えてくれませんでした。


「この国の問題点は見えたのか?」


「――っえ?」


「根本的な原因を考えた時、今の話も共通するものがあるぞ」


――それは一体どう言う……。


 わたくしがブランを抱いたまま、硬直しているとアイレさんは再び本を読み始めます。

 分かりません。

 この国の滅亡に関する問題なんてあるのでしょうか?

 戦争以外に思い当たりませんし、考えられません。

 一体何なのでしょうか?


「もったいぶらないで教えてくださいよ」


「王女であるお前が見つけないと意味ないだろ」


――何ですかそれ。実際そうかも知れませんけれど、ヒントも無いじゃないですか。


 わたくしは、頰を膨らませてジーっと睨み付けてみます。

 もちろん、アイレさんにはスルーされました。

 王女だと言うのに、こんなに自分の態度を変えない人は初めてです。

 アイレさんの心臓を一ミリたりとも動揺させられないと判断し、息を吐き捨てました。

 すると。


「初めて会った時より笑顔が増えたな」


 柄にもない事を言ってくるものですから、目をパチクリさせて耳を疑います。


「そう、でしょうか?」


「……なら、自分の心に聞いてみろ」


 アイレさんは表情を変える事なく言葉を紡いで来ます。

 感情が全く感じられません。眉一つ動いてくれませんでした。


――でも……確かに、こんなに気持ちが楽なのは久しぶりですね。


 朝早く起き、公務と言う貴族との面会、会談、パーティーと気の休む時間がありませんでした。

 気分が悪い時でも人の前では気丈に振る舞わないといけません。

 それが王女です。


――それにこんなに楽しいのも久しぶりです。


 最後に楽しいと思ったのは、妹たちと遊んだ数年前かもしれません。

 わたくしはブランを解放してあげ、アイレさんを凝視します。


――アイレさんの前だと気持ちが楽になります。どうしてでしょうか?


 答えなんて出ているのにわたくしは首を横に振り、雑念を振り飛ばしました。


「わたくしは、」

 

 自分の素を出せる環境が欲しかったみたいですね。

 

「何か言ったか?」


「いいえ、何も」


「口調も柔らかくなってることに、気付いているか?」


「……本当に意地悪です。わたくしの心も知らずに」


 わたくしは長年培って来た表情作りを利用して、平然とした顔で本を読み始めます。

 アイレさんの視線が向いた事に気が付きましたが、わたくしは本から視線を上げません。

 二人の間に静寂の時間が訪れます。

 しかし、沈黙など図書館では良くある事です。

 アイレさんは別段気にする事もなく、読書を再開しました。


――胸が、苦しいです。どうしてでしょうか。


 わたくしは真っ赤になった頰を隠すように、姿勢を前のめりにしました。


「アイレさん……」


 アイレさんが顔を上げて首を傾げます。

 わたくしは絶対に顔を上げません。


「次からはブラン、連れて来ちゃダメですよ」


「そう、だな。

 ホテルに置いてくる事にする」


――最初からそうすれば良かったのではないでしょうか。


「あんなに可愛がってたから見逃してくれると思ったんだが」


 相変わらず憎たらしい人です。

 遠慮や配慮という言葉はないのでしょうか。

 人のプライドをズタズタにするだけありますね。

 まったく酷いです。


「それとこれとは別問題です!」


 わたくしはパンっと勢い良く本を閉じて、次の本に手を伸ばしました。

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