第3章 寝るという行為=悪
睡眠発作と、特発性過眠症患者の朝
研修も終わり、あの入社式から二週間が過ぎようとしていた。
研修期間、毎日顔を合わせ共に切磋琢磨してきた同期達。
帰りには毎日、何処かへご飯に行き談笑を繰り返した日々。
その仲間達は皆各部署へと散り散りに配属され去っていった。
関東営業部、関西営業部へ配属された同期とはよほどな事がない限り会う事はもう無いのだろう。
名古屋の本社に配属になった同期なら会う機会もあるのだろうが、それでも年に数回会えれば多い方だと思う。
しかし、世の中 “縁” というものはやはりあるもので⋯⋯。
PM8時 寮内にて
「サキーーーっ!!ご飯いこーー!!」
あたしの部屋のドアの向こうから、もはや聞き慣れた声がする。
「はーーーいっ!!純さん先行ってください!!すぐ、追っかけます!!」
あたしは、お風呂セットを手に取ると部屋を飛び出し純奈さんの背を追いかける。
食堂で夕飯を済ませたら、その足でついでにお風呂へ寄るのが日々のルーティンになりつつあった。
結局配属はというと、あたしと波瑠が工場勤務。プラスチックの容器を作る ”成形課”。
そして、純奈さんも課は違えど同じ工場へ配属となった。
後で聞いたのだが、純奈さんは研修期間の間だけの仮住まいと言うことで寮にいたらしい。
研修最終日に “製造2課” つまり工場勤務と辞令を受けると、翌日の初めての休みに本腰入れてこの寮に引っ越してきた。
あたしもそこに駆り出された事は言うまでもない。
結局、寮暮らしは継続。
なので、時間が合えばこうしていつも誘ってくれていたのだ。
食堂に着くと、純奈さんがあたしの分も用意してくれていた。
「あっ!ありがとうございます。なんか⋯⋯すいません」
「いいよ。そんな事気にしなくて。ついで!ついで!それより、食べよ!!」
食堂には、昼の間に担当のおっちゃんや、おばちゃん達が作り置きして冷蔵庫にいれてくれている夕飯がある。
それを、温めて食べると言うスタイルだ。
おかずは弁当箱のようなものに入っており量には限りがあるが、ご飯とお味噌汁に関しては食べ放題になっている。
勿論、お茶だって飲み放題だ。
これで、一食150円と言うのだからもはや笑いが止まらない。
「ところで、どう?? 少しは、あの鬼瓦のような顔には慣れた??波瑠のやつ泣いてない??」
純奈さんがアジのフライを咥えながら聞いてくる。
と、いうのもあたしの上司は、あの面接の時にお世話になった鬼瓦のようないかつい顔をした課長だ。
ある意味、予想通りの配属先だった。
ただ、予想に反したのは波瑠もあたしと同じ課になったのだ。
あたしの場合、面接時の『じゃ~、若宮さん。これから、よろしくっ!!』と言う言葉である程度の覚悟と予想は出来ていた。
しかし、波瑠は違った。
配属先が決まった日の帰り道、かなり表情は沈んでいたのだ。
「なんとかやってますよ。上司も先輩達もみんな凄い優しいですし!!あっ、二人いる係長のうち一人は苦手ですけど。波瑠も、初日こそ怯えた感じでしたけど、今では笑顔も戻ってますし。ただ⋯⋯あの課長の顔からくるプレッシャーにはまだ慣れませんねぇ。って言うか、そもそも慣れる日が来るのかどうか⋯⋯」
フッと、笑顔でもいかついあの顔が脳裏に浮かぶ。
あたしは、慌てて首を横に振り記憶をかき消した。
「⋯⋯ははは。まぁ、波瑠の件に関しては安心したよ。いろんな人がいるんだから、一人や二人苦手な人だって出てくるよねぇ。出勤時間とかどう??うちの会社って相当ぐちゃぐちゃじゃん」
時差出勤に関しては、知った上で入社しているので覚悟は出来ていた。
とはいえ、現実はあたしの想像を遥かに超えていた。
「あたしの所は、早番(朝出勤) 昼出勤 夜勤と三交代ですね。昼だと15時出勤で、夜勤だと23時出勤で、早番に関しては6時、7時、8時とバラバラですね。たまに、5時出勤なんてのもあるみたいです。毎日、起きる時間が違うなんてザラみたいですし。」
あたしは豆腐とワカメの大量に入った味噌汁をすする。
「マジか!!私のところは、7時出勤と14時出勤の2パターンで夜勤もないからなぁ。って言うか、そんなの逆に先輩達よく遅刻せず来れてるなって思うわ。」
「ですよねぇ。実は、あたし朝起きるのがすっごい苦手で。正直、いつか遅刻するんじゃないかってビビってて⋯⋯」
「そっか⋯⋯。じゃー、遅刻せん為にも、とっとと風呂入って寝ますか!!」
あたし達は、チャッチャッと食べ終わると早々に食堂を後にし、お風呂場へと向かった。
「やっぱり、広いお風呂っていいですよね!!」
あたしは、自前のドライヤーで髪を乾かしながら割と大きな声で話しかける。
湯気で真っ白になった脱衣所。
隅っこには、まだ4月だというのに扇風機が置かれている。
おそらく、夏から起きっぱなしなのだろう。
それとも、換気に使っているのだろうか。
広めの洗面台には、コンセントが3つ程あるのだが、ただそれだけ。
聞くところによると、昔はドライヤーが常設してあったらしい。
だが、扱い方が雑ですぐ壊れてしまう事が続いた為、今ではマイドライヤー持参と言うことに変わってしまっていた。
「ホントだよね!楽々4~5人は入れる広さだからねぇ。もう、足を伸ばせるなんてレベルじゃないし!!幅、3メートルはあるんとちゃう??」
純奈さんは、バスタオルで髪を拭きながら湯気で霞む浴槽を覗きながら答えてくれる。
先程、対面で脚を伸ばしながらゆっくり湯船に浸かっていたのだが、お互いの体が触れる事はなかった。
スーパー銭湯とまでは言わないが、小さな昔ながらの銭湯ぐらいの広さはあるかと思う。
「足伸ばすどころか、浮かべますよ!!あたし、誰もいない時に試しましたから」
鏡越しにサラッと答えるあたし。
「はぁ??マジで??あんた、全裸でそんなことしてたの??⋯⋯ちょっと、今度やってよ」
ニヤニヤしながら突っかかってくる。
「⋯⋯嫌です」
あたしは、ピシャッと言い切った。
ガラガラッ
まだ、身体中から湯気が出ているのではないかと思うぐらいホカホカとした状態で脱衣所を出る。
「どう??タバコ寄ってく??」
「いいですね!!」
あたし達は、ガラス張りの応接室へと向かった。
入るや否や、部屋に染み付いている強烈な煙草臭が鼻をつく。
この部屋の匂いは、
ピッ!
あたしはすぐに暖房を “強” にして付ける。
玄関の近くだけあって、応接室内は廊下以上に冷えていた。
部屋の中がたちまち煙り始める。
とは言え、各々の口から出てくるのは煙なのか白い息なのかわからない状態。
「しっかし、冷えるなぁ~ここは!!」
身を縮めながら煙草を咥える純奈さん。
「ですね。まぁ、解っちゃいても吸うのをやめようとしないってのがヤニっ子の悲しい
「⋯⋯たしかに」
あたし達は、キンキンに冷えた革張りのソファーの上で体操座りの様な状態で吸い続けた。
壁面オールガラス張りのスケルトンルームの様な応接室。
その中で、風呂上りの若い女二人が縮こまりながら必死に煙草を吸っているのである。
「今、この部屋何℃になってる??」
そう聞かれたあたしは、壁に掛かっている温度計を確認する。
「⋯⋯5℃みたいです。」
「ちょっと、ほぼ冷蔵庫と変わんないじゃん!!」
「ですね。⋯⋯ふっと思ったんですけど、もしかして茹で上がった鶏肉さんって⋯⋯こんな気分なんですかねぇ??」
あたしは、寸胴鍋に入れられ茹でられた鶏肉の塊が頭に浮かんでいた。
茹でられ→常温で粗熱を取り→冷蔵庫へ
「はぁ??じゃ~なに?あたし達は、ついでにスモークまでかけられてんの??やっば!美味しそうじゃん!! ってか、ホントあんた、発想がバカだよね!」
「⋯⋯ほっといて下さい」
徐々に部屋が暖まってくる。
僅か4畳半の一室。室温を上げるにそこまで時間はかからない。
段々普通に座ることができる様になってきたあたし達は、自然と2本目に手を伸ばす。
スゥ~っと、煙を吸い込み身体中にニコチンが染み渡る感覚を感じながら、フッと今まで疑問に感じていた事をあたしは思い出した。
「あの~、鶏肉で思い出すのもなんなんですけど、純さんっていつも朝ご飯ってどうしてます??朝、食堂に食べに行ってもいっつもあたし一人で。他の先輩達も誰もみかけないんですよねぇ」
食堂では、寮生限定で朝食もやっていた。
昼に見かける食堂のおっちゃんが、早朝から元気に厨房に一人で立っている。
さすがに、朝5時出勤や6時出勤には対応してないが、6時には開いているので7時出勤以降であればあたしは食べに行けた。
そして、これもまた1食150円。
自炊が禁止の為、朝からご飯とお味噌汁が離せないあたしにとっては非常にありがたい。
しかし、ここでの生活が始まってから毎日、休日の日も食べに行っているのだが不思議と誰とも遭遇したことがない。
「あ~、私は、朝食べる習慣がないからなぁ。大学の時から食べたことないのよ。コーヒーだけ。他の人も、パンか食べないかって人が多いのかも⋯⋯
⋯⋯って、ちょっと!!サキっ!!こらっ!!聞くだけ聞いといて寝るなっ!!あんた、タバコ!火傷するよ!!」
あたしは、首を下にガクッと落としながら意識を飛ばしていた。
器用に、煙草を持ったまま。
持たれたソファーがかろうじて体を支えてくれている様な状態だ。
「⋯⋯⋯⋯っふぇ??えっ??あっっちょっっちょっ⋯⋯ふぅ。危なぁ。って、えっ?あたし寝てました??え~~っと⋯⋯なんでしたっけ??」
頭は、ボーッとしているが寝た記憶がない。
睡魔にでも、一瞬で意識を持っていかれたのだろうか。
「ちょっと!あんた、マジ??今の今まで喋ってたじゃん。私は、ここ何年も朝はコーヒーだけだよ。他の人も、パンとか食べないとかって人が多いんかもね。ってかさ、あんた慣れん環境や不規則な生活で案外疲れてんじゃない??自覚ないだけで。大丈夫なの??」
「えっ?まぁ、大丈夫っちゃ大丈夫ですけど。ちょっと、頭フワフワはしてます」
「あらま。じゃ~、部屋戻ろっか。早めに寝なよ。あと、寝タバコだけは気をつけなよ!!」
「⋯⋯はぁい」
部屋の明かりやエアコンを消し、火の始末をすると各々の部屋へと帰る。
あたしは、部屋に戻るとそのまま布団に倒れ、5秒とかからず落ちていった。
翌日 AM6:20
携帯電話の喧しいアラームが、あたしの意識を微かに刺激する。
今日はAM7:00出勤の為、朝食を食べるならすぐにでも動かなければ⋯⋯。
余裕を持つなら、AM6:30には食堂にいたい所。
(⋯⋯あさ⋯⋯起きなきゃ)
AM6:00にセットした二つの目覚まし時計は、既に起こす事を諦め沈黙している。
あたしは、なんとか体を起こしその場に座り込む。
しかし、頭が酷くボーッとし思考が働かない。
全身は非常にだるく、特に肩と首が酷く重い。
重度の肩こりになったかの様だった。
体が一向に動こうとしない。
目も半開きの状態で、夢と現実をうつらうつらしていると、首がガクッと落ちて再び微かに目が覚める。
いや、現実の比率が上がったと言った方が正確か。
そんな状態なので、時間への緊張感も全く持てないでいた。
AM6:30
(⋯⋯6:30⋯⋯⋯⋯そっか⋯⋯6:⋯⋯)
AM6:35
(⋯⋯⋯⋯ぁあ⋯⋯時間⋯⋯ご飯⋯⋯あさ⋯⋯行かなきゃ)
しかし、ここだけの話、朝食を作ってくれている食堂のおっちゃんには悪いが出勤前に朝食というワンクッションがあったおかげで、ご飯に遅刻しても仕事を遅刻するということは避けられていた。
だが、ここ最近毎朝こんな調子だった。
母の雷が懐かしい。
AM6:40
「おはよう⋯⋯ございま~す」
簡単に身支度を済ませたあたしは、食堂のドアを開ける。
「おうっ!サキちゃん、おはよう!!今日は食ってけるかい??それとも、また味噌汁ぶっかけてく??」
まだ、7時前だと言うのに、恐ろしい程大きな声が飛んでくる。
おっちゃんは、おそらく50歳を少し過ぎたぐらいだと思うが、あたしなんかより遥かに元気。
そして、あたしのシフトを把握している。
何日に、何人分用意しなければいけないか確認する為だ。
昨日の朝は寝坊し、ご飯に味噌汁をぶっかけてかき込みそのまま出勤した。
2日前は、がっつり寝坊し起きたのは出勤15分前だった為、挨拶だけ済ませ朝は食べず、そのまま出勤した。
そういえば、「これ、持って行きなっ!!」って、おっちゃんが “ゆで卵” 投げてくれたんだっけ。
その事を言っているのだろう。
「大丈夫です!!食べてきます!!」
毎朝思う事だが、この声は目が覚める。
「OK!数分で作るから待ってな!!」
そういうと、ウインナーを焼きハムエッグやらをテキパキと作り始めた。
「ごちそうさまでした」
高速でかき込み5分少々で食べ終わる。
あたしにとって、朝からの早食いなんて今に始まったことではない。
本当は、もうちょっと味わって食べたいところだがそこまでの時間はなかった。
「どうだい??目、覚めたかい??」
「はいっ!!お陰様で!!」
「そうかい。じゃー、行ってきなっ!!」
「はいっ!!行ってきますっ!!」
現在、AM6:47
会社のロッカー到着まで全力で走れば2分。
行けるっ!!
あたしは、踵にブーストを付けたかのように
加速し突っ走った。
「おはよーございます!!」
あたしは、工場の守衛さんに挨拶すると返事も待たずに突っ切る。
『あの子、朝からいつも元気だねぇ』
そんな声が、どんどん後方へ遠ざかっていく。
ーーーーーーーーー
「おはようございますっ!!」
着替えを高速で済ませ、無事事務所に到着する。
就業4分前
なんとか、本日も遅刻は免れることができたようだ。
まぁ、そもそも上司や先輩達はとっくに出勤していて、新人のあたしが一番最後というのはどうかという所はあるのだが⋯⋯。
時間ギリギリの生活は、社会人になっても結局なかなか変われないでいる。
ただ、ここで生活し始めて少しだけわかった事がある。
朝は、目が覚めても酷くボーッとして全く頭も働かなければ、体も動かない。
これは、実家にいた時と変わらない。
だが、他にも共通していることもある。
・朝から元気な人と話し、エネルギーをもらう。(実家で言う所の母。今回でいう所のおっちゃん)
・朝食をしっかり取り内臓を動かす。
・身体を動かし心拍を上げる。(実家で言う所のチャリ。今回でいう所のダッシュ)
注: 疲れ過ぎは逆効果
寝起きの倦怠感と、眠気の解消には恐らくこの3点が効いているのだろう。
あとは、この元気な人に少しでも早く会うまでの導線さえしっかりできれば⋯⋯きっと⋯⋯。
______________________________
次回予告
会社にて大変な事故が起こり、咲希の生活リズムが大きく狂い始める。
それに伴い、遂に会社内でも遅刻、居眠りが始まり⋯⋯。
注: 作中の寝起きの倦怠感と眠気の解消の改善方法については、主人公の現時点での認識であり、実際に解消されるものではありません。
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