第61話 君の心に触れていいかな?

 その後しばらくして、宴会はお開きになった。

 司会の人が終了を告げて、三々五々、参加した人たちが何か話しながらホールを出ていく。


「どうだい?片岡君。僕と一杯付き合わないか?二次会だ」


 宗片さんが声をかけてくれた。

 さっきから相当飲んでいるはずなんだけど、顔色一つ変わってないな。


「いえ……遠慮します。ていうか僕は酒飲めませんよ、高校生なんですから」

「そういえばそうだっけ……仕方ないな。早く20歳になってくれ」


 宗片さんが言うけど……魔討士のランクじゃないんだからそれは無理だろう。 


「そう言えば……ありがとうございます」

「何が?」


「あれは……稽古をつけてくれたんじゃないですか?」


 ミノタウロスの間での一騎打ち……実は戦いながら、心の片隅ではそう思っていた。

 殺気は感じたけど、それでも間違いなく全力ではなかっただろうし。それにあの時の戦いは今までのどんな実戦よりも訓練よりも実になった気がする。

 

「うーん。勘違いしてるね。僕はそんな大層なことをする人間じゃないよ……僕は単に君と戦いたかっただけさ。それ以上でもそれ下でもない」


 宗片さんが笑いながら首を振る。


「君が強くなったと思うなら、それは君が勝手に何かを得たってだけだよ」


 どこまでもはぐらかしたような感じだな。

 でも、なんというか前より強くなった感覚はある。それは確かだ。


「まあ君が強くなってくれる方が僕は楽しいからね。恩に感じてくれるならもっと強くなってまた遊ぼう」


 そう言って宗片さんが肩を叩いていつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。

 もう一度……いい経験にはなったけど、またやりたいかと言われるとかなり悩ましい。



 ちょっと探したけど、エスカレーターのそばの柱に寄り掛かるように檜村さんがいるのがすぐ目に入ってきた。


「いいですか?」

「ああ、片岡君。少しメールをしていただけだよ、どうかしたかい?」


 顔をスマホから上げないままに檜村さんが言う。


「帰りませんか、檜村さん」

「……いいのかい?今日の主役は君だと思うぞ」


 ちょっと拗ねたような感じがなんとなく伝わってきた。


「ああいう場所は僕はちょっと場違いですよ。行きましょう」

「そうだね、では行こうか」


★ 


 ホテルを出ると、もう真っ暗だった。

 オレンジ色の照明に照らされた長い道が左右に伸びている。新宿駅はどっちだろうか。

 三田ケ谷たちはいつの間にかいなくなっていたけど、車を出してくれるとかいう話だったからそれに乗っていったのかもしれない。


 長く伸びる道は人通りはない。

 昔はオフィス街だったけど、今は新宿ダンジョンのせいであまり人がいなくなってしまっていて、立ち並ぶビルにも明かりはまばらだ。

 僕等の足音だけが聞こえて、時々車が静寂を破るようにエンジン音を立てて通っていく。


「5位昇格おめでとう」

「ありがとうございます。もう少しで追いつきますね」


 檜村さんは会った時と同じ丁類4位。あの時は4位なんてはるか遠かったな。

 よくここまでこれたもんだと思う。


 檜村さんは4位のままだけど停滞しているわけではない。

 昇格に必要な評価点は段々増えてく上に、いわゆる雑魚狩りをしていても上がらない仕組みになっている。

 4位から3位になるためには、定着したダンジョンの深層での討伐がほぼ必須だ。

 僕や三田ケ谷達に合わせてくれているからランクが動いてないけど、檜村さんも銀座と新宿で戦ったから、そろそろ昇格は視野に入っているだろう。


「そう言えば……パーティがいるから、と言ってくれてありがとう。嬉しかったよ」

「でも檜村さんが3位になっちゃったら。僕がついていけないかもですよ」


 ランクは高ければ高いに越したことはないんだけど、3位以上は完全に上位帯で別格とみられる。

 ここまでたどり着ける人はそうはいないし、周囲の扱いも変わってくる。


「そんなことはない!」


 冗談のつもりで言ったんだけど

 ……檜村さんが強い口調で言って、静かな道にやけに声が大きく響いた。


「すみません」


「……君がどんどん強くなって認められていくのは嬉しいんだ……でも」

「大丈夫ですよ。僕等はパーティ。そうですよね?」


 そういうと、檜村さんが一つ息を吐いて頷いた。

 結構歩いた気がするけど。赤い街灯が規則的に並んだ道はまだ遠くまで伸びていて果てしなく長く感じる。

 ここは陸橋みたいになっているからどこかで下に降りれれば駅まで近いはずだけど。


「そういえば宗片さんはいいことを言っていたね……平常心」

「そうでしたね」


 平常心。

 師匠にもこれはよく言われるし、僕だって明鏡止水なんて言葉くらいは知っている。

 でもやってみると、怖かったり調子に乗ったり、気圧されたり慌てたり。なかなか実践はできない。


 宗片さんはミノタウロスと相対してもあの仮面の騎士と戦っても全く動揺とかは感じなかった。

 むしろ平然と切り殺しそうな雰囲気すらあったけど。


 勿論、本人が強いという自信の裏打ちもあるんだろう

 でも僕と戦ったとき、風で体勢を崩したときもまったく動じた様子が無かった。

 まさかアレまで読み切られていたわけじゃないと思う……でも、あの状況でも乱れなく最善の動きができるってのは、どういうメンタルなんだか、今の僕には想像もつかないな。


「でも私は……いまは少し平常心ではいられないな」


 檜村さんが足を止めて僕を見上げる。

 オレンジ色の街頭に照らされて、普段と全然違う服で、いつもと全然雰囲気が違って見えた。

 

「……君はどうだい?」

「……僕もです」


 オレンジ色の明かりの下でも頬がほんのり染まっているのがわかった。僕も似たようなもんだろうなって気もするけど。


「確かめていいかい?」


 檜村さんの手が僕の左胸に触れた……ワイシャツの薄い生地越しに手のひらの熱を感じる。

  金縛りにかけられたように体が動かなくなった。心臓が口から飛び出しそうになるという表現は聞いたことあるけど、まさにそんな感じだ。


「……君の鼓動を感じるよ」


 長い間のあとに檜村さんが口を開いた。

 訓練で全力ダッシュしたときより心臓が波打っている……そりゃ分かるだろうな、などとなんとなく思った。


「……私にも……触れてくれないか」


 檜村さんが小さく呟いた。

 ……言っている意味を理解するのにちょっと時間がかかった。金縛りに係ったような手を持ち上げるけど……触れていいのかよくないのか。

 檜村さんが黙って僕の手を取って左胸に当てる。柔らかくって温かい感触が手のひらに伝わってきた。


「私のドキドキが伝わっているかい」


 薄手のワンピースの生地越しに触れる肌から本当に鼓動が伝わってくる気がした。

 お互い触れている場所が熱い。

 波打っているのが自分の心臓の鼓動なのか、それとも檜村さんのものなのかわからなくなる。 

 

「目を逸らしてほしくない」


 恥ずかしさのあまり目を逸らしそうになったけど、機先を制するように檜村さんが言った。


「……私をみてほしい」

 

 どちらともなく顔が近づいて額がこつんとあたる。かすかな温かい吐息を感じた。

 時間が止まったんじゃないかと錯覚するくらいの長い時間が過ぎて、檜村さんがなにか小さくつぶやいた


「なにか……?」

「聞こえなかったらいいの」


 檜村さんが大きく息を吐いて、手のひらが離れる。僕もようやく金縛りが解けた。

 まだ熱いままの頬を冷たい風が撫でていく。いつもの顔で檜村さんが僕を見上げた。

 

「ずいぶんまだ歩かないといけないね、不便なつくりだけど仕方ないか」


 檜村さんが通りの向こうを一瞥した。

 すぐそばに新宿駅へと書いた階段の案内板が見えたんだけど……でも、それを指摘するほど僕も空気が読めないってことはない。


「さあ、何か食べに行かないかい?実を言うと堅苦しくてたくさん人がいる場はちょっと苦手でね、あまり食べてないんだよ」

「……そうですね」


 僕は結構食べたんだけど、コーヒーくらいは入るかな。檜村さんが歩き始めて、それに並ぶ。

 まだ長く続く道は僕ら以外誰もいなくて……二人だけで歩いた。






 

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