第10話 僕等の関係は一体何なんだろう

「あの!」


 と、突然声を掛けられたのは、代々木のチェーン系カフェでのことだった。



 今日は檜村さんと新宿のダンジョンの再挑戦に来た。

 何体かルーンキューブを倒せたけど、まだあそこは僕らにはハードルが高い。たまたま複数と遭遇しなかったけど、複数と戦うと危ない。


 今日最後に遭遇したルーンスフィアなるモンスターは生物の教科書で見た細胞分裂する胚のような文様が入った球状のモンスター。

 ルーンキューブとは違って不意に体当たりを仕掛けてくる上に、細胞分裂するかのように二体に増えて、前後を挟まれかけた。 


「やはり……」

「なんですか?」


 アイスカフェラテを飲みながら檜村さんが誰に言うともなく言う。

 黒を基調にしたオシャレな店内はかなりにぎわっていて、ちょっと聞き取りにくかった。


「ああ……もう少しパーティ要員がほしいな、とね」


「そうですね」

「君に当てはないかね?」


 檜村さんが聞いてくる。


「居なくはないんですけどねー」


 放課後退魔倶楽部の部員は全員が丙類か丁類だから、今は編成的に加わってもらっても微妙だ。

 現状の編成なら、三田ケ谷が入ってくれると一番ありがたい。僕と三田ケ谷で檜村さんの詠唱の時間を稼ぐ形だ。

 檜村さんの魔法は威力だけならルーンキューブを倒すことは難しくないんだけど、その詠唱の時間を一人で稼ぐのが難しい。

 それにあいつがいれば万が一複数に挟まれるような時でも対処できる。ただ、三田ケ谷はこの間の感じ誘っても来てくれる気がしない。


「なるほど、ぜひ一度……」


 その声がかかったのは、檜村さんが言いかけた時だった



 声の方を見ると、いたのはかわいらしい感じの制服姿の女の子だった。

 茶色っぽいふわっとしたウェーブの長めの髪にぱっちりした目が印象的だ。芸能人っぽい華やかな雰囲気の顔立ち。嬉しそうな笑顔で僕を見ていた。

 白のラインが入った紺色のブレザーに、薄緑のチェックが入ったミニスカートとリボンはオシャレだけど……見たことがない。

 思い出そうと思ったけど、見覚えは全然ない。少なくとも制服を見る限り同じ学校の人ではない。


「覚えていませんか?」


 その子のかわいい感じの顔が悲しげに曇った。

 なにやら悪いことをした気分になるけど、覚えてないものは覚えていない。


「ごめん」

「あの竹下通りで助けていただいた」


「……ああ」


 ようやく思い出したというか。檜村さんと初めて会ったときのゴブリンに追われていた子か。

 すれ違っただけだし、ゴブリンの方を見ていたから顔までは覚えてなかったけど。


「よくわかったね」


 むしろ、あの一瞬でよく覚えいてくれたもんだ。

 僕はすっかり忘れてました、と口にしない方がいいと思うくらいには空気は読める。


「当り前ですよ。命の恩人です。最高に格好良かったです」


 そう言って、その子がにっこりと笑う。


「座っていいですか?」


 返事を聞かずにその子が空いた椅子に座って、檜村さんが無言で椅子をずらした。



「私、水上紗枝さえって言います。松見坂高校の2年生です……あの」

「ああ、僕は片岡水輝。僕も高校生だよ」


「片岡さん。すっごい偶然ですよね。会えるなんて思ってませんでした。片岡さんは何年生ですか?」

「ああ、僕も高校二年生だよ」


「同級生なんですね!なんか嬉しい!すごく縁がありますよね!それにあたしと同じ年であんな風に戦うなんて」


 はしゃいだ声で水上さんが言う。

 そんなことを言っているところで、店員さんがオーダーを取りに来た。彼女がメニューも見ずにソイラテを頼む。


「こちらは?」

「あの日一緒に戦った魔討士さんだよ」


「えっと……片岡さんの?」


 水上さんが僕等を変わりばんこに見る。そういわれてみるとなんだろう。


「そうだ、パーティの仲間なんですね。魔討士って仲間のことそういうんでしょ?」

「まあ……それでいいんじゃないか?」


 そっけない口調で檜村さんが言う。普段から淡々としたしゃべり方だけど、今のはいつもとちょっと違った気がした。

 水上さんが椅子をずらしてちょっと僕の方によって来る。


「片岡さん。原宿でこの間助けてもらったすぐ近くに、とっても美味しいフレンチの店があるんですよ」

「ああ、そうなの?」


「一緒に行きませんか。お礼に御馳走させてもらいたいんです。とっても素敵なんですよ」


 そう言って彼女がスマホを見せてくれる。大きめの茶色っぽい生地に卵とトマトとソーセージが乗っている料理が映っていた。


「なにこれ?」

「ガレットっていうんです。蕎麦粉を使ったクレープみたいなのです、これとか」 


 画面をスクロールすると、もう一枚、サラダのように生野菜が散らされたガレットの写真が出て、その次には金色の液体が入ったメルヘンチックなカップの写真が出てきた。


「これは……」

「お待たせしました」


 そう言ってびしっと白のシャツと黒のベストに身を包んだウェイターさんがソイラテを置いてくれた。正直言っていいタイミングだ。

 少し水上さんと距離が離れて一息つけるかと思ったけど。 


「これはリンゴの炭酸ジュースなんです。こんなのとか」


 今度は肩が触れ合うほどの距離に詰められる。髪からふわっといい香りが漂った。

 綺麗なネイルを付けた細い指がスマホの写真をスクロールする。小さいレトロなカフェ風の店の中の写真や、他の料理の写真が次々と映った。

 確かに美味しそうではあるんだけど。


「次の日曜日とか空いてますか?」

「うーん、どうかな」 


 視線をやると、水上さんと目が合った。彼女がちょっとはにかんで視線を逸らす。

 助けた人からこういう風に言われるのは正直って嬉しい。しかもかわいい女の子なんだから。僕だって男だし。

 

 ただ、さっきから檜村さんが完全無言なのが、えも言われない圧力がある。

 いっそいつもの調子で暇そうにスマホでもいじっていてくれたらいいんだけど、そんな感じでもない。


「ねえ……片岡君って言っていいですか?」

「……ああ……いいよ」


 右には水上さん、左には檜村さん、という状況だけど。

 この状況は断じて両手に花じゃない。針のむしろだ。


「ねえ、片岡君、あたしのことも……」 

「そろそろ行こうじゃないか、片岡君」


 唐突に檜村さんが右手にクリップに留められた清算書をもって立ち上がった。


「来週の戦いに備えて打ち合わせがあるんだ、すまないね」


 檜村さんが水上さんに言って、左手で僕の手をつかんで僕を引っ張るように店を出た



 手を引っ張られるように代々木駅まで歩いた。檜村さんは無言のままだ。黙ったままSUICAを使って改札を抜けて新山手線に乗り込む。

 土曜の夕方の新山手線は程々に混んでいるって感じで、席はほぼ埋まっていた。

 針の莚から解放されたのはいいんだけど、檜村さんは黙ったままだ。


「どうしたんです?」


 列車が動き出す。そして動き出すときに今更気づいたんだけど、これ逆方向だ。

 車窓の景色が右から左に流れていく。少し沈んだ太陽が景色を赤く染め始めていた。 


『次は原宿です』


 車内アナウンスが流れる。やっぱり逆か。


『右のドアが開きます、お降りのお客様は……』

「……だったんだ………」


 俯いたままの檜村さんが何か言ったけど、アナウンスと重なって聞き取れなかった。


「え?」


 聞き返したところで、原宿駅に着いた。

 半分ほどの乗客が降りて、その半分ほどが乗ってくる。車内が少し空いて静かになった。また列車が走り出す。


「かわいい子だったね……」


 どう答えればいいのか……考えているうちに。


「……盗られないか心配だったんだ、君が」


 俯いたまま、檜村さんが小さくつぶやいた。顔を上げて僕を見る。


「君がどう思っているか分からないが、私にとって君は……大事なんだよ」

「ああ………そうなんですか?」


 あまりの直球な言葉で、なんというか返事に困ってしまう。

 暫く見つめ合っているうちに、檜村さんの冷静な顔が真っ赤に染まった


「いや、勘違いしないでくれ。前衛としてだぞ、いいかい」


 檜村さんが慌てたように手を振った。


「君は私にとって大事な仲間で戦力だ。いいか、そういうことだよ」


 いつになく早口で檜村さんが言う。

 普段が落ち着いて居るからなんというかこういう風に取り乱しているというか、わたわたしている檜村さんを見るのは初めてだ。


「というのはだな、私にとって、君のような頼れる乙類と出会うのはとても大切な……」

「分かってますよ。大丈夫です。パーティじゃないですか。僕らは」


 そういうと、ほっとしたような顔で眼鏡を取ってまたかけ直して、檜村さんがまた顔を伏せた。

 

「そうだな……変なことを言ってしまった。すまないね」


 そのあと檜村さんはずっとそっぽを向いたままだったけど。うなじがほんのりあかく染まっていた。多分夕日のせいじゃない。

 檜村さんは用事があると言って恵比寿で降りてしまった

 僕も降りて逆方向に行きたかったんだけど……なんとなく一緒に降りるのも気が引けたから目黒で引き返した。

 

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