5-隣人
次の日、太田の家には多くの警察と救急隊員が駆けつけていて、『キープアウト』と英語で書かれた立ち入り禁止のテープが張り巡らされていた。
何事だと周りの住民が次々と見に来ては、概要を把握できずに帰っていく。
太田の家の隣人が聞いた、警察の説明はこうだった。
「昨夜。太田さんは寝室のベッドの脇で、妻は息子の部屋でベットに横たわるようにして死亡しているのが発見されました。家の扉や窓はしっかりと施錠されていて、外部の者が侵入した形跡は無く、息子が死んだショックで錯乱した妻が夫を包丁で刺し殺し、自分も首を切って自殺したものと思われます」
これが〝猿の手〟に手を出した者の末路だった。
「それと不審な点がありまして、玄関の扉の外側に血がべったりと付着していました。血の位置は、えっと、私は身長が一七六センチあるんですが、私くらいの身長の人間がノックをするために手を上げる。これぐらいの位置についていました。現場の検証で大方の結果は出ていて扉に付着した血は一昨日交通事故で死亡したこの家の息子のものだと断定されています。あなたはこの家の隣に住んでいる方ですよね。昨夜、叫び声を聞いたとか、ノックの音を聞いたとか、普段とは何か変わったことはありませんでしたか?」
「ごめんなさい。昨夜はぐっすりだったもので、何も気づきませんでした。ノックなども、太田さんの家ではしょっちゅうあったことなので……。お役に立てなくて申し訳ありません」
「いえいえ、ご協力ありがとうございます」
「あの。私、そろそろ飼っているペットにご飯をあげないといけないので、帰っていいですか?」
「あ、どうぞ。ちなみに何を飼ってるんですか?」
「――何を? ですか」
「いえ、別に疑っているというわけではないのですが、寝室のベッドの脇やクローゼットの中に少し不審な動物の毛のようなものが落ちてまして……。一応、捜査にご協力していただければと」
「そうなんですか……クローゼットの中でなにか飼っていたりしたんですかね? うちは猿を飼ってます。」
「猿ですか! 珍しいですね」
「はは。よく言われます。猿は本当に可愛くて。遊んでいるところを見ているだけで自然と心が癒されますよ。芸も仕込めば覚えてやってくれますし。まあ自分の意にそぐわない場合もありまして、そこが玉に瑕なんですけどね。今日も知り合いに預けていた一匹が帰ってきたばかりなんですよ」
「はあ、お好きなんですね。ご協力ありがとうございました。また何か進展があればお知らせいたしますので、その時はぜひご協力よろしくお願いします」
「いえいえ、お疲れ様です」
「そういえば、前にも一度お話ししたことあります?」
「あはは。ないですよ。でも、それもよく言われます」
隣人は怪しい笑顔でそう言った……」
――油断した。
怪談やホラーが苦手な私でも、知っている話なら大丈夫だと高を括ったのが間違いだった。
いつも沙羅は私の知らない話をする。どこで、誰から聞いたかわからない、怖くて暗い話。
聞きたくないと思っているのに、沙羅の声に耳が虜になる。頭では嫌だと思っている私だが、気がつけばいつも話を最後の最後まで聞いてしまっている。
本当に私はホラーが嫌いなのだろうか。本当は沙羅の怪談を求めているのかも知れない。
――いや、絶対にそれはない。
私はホラーが嫌いだ。
これは間違いがなく、揺るぎもしない。
幽霊なんて信じないし、怪談なんて信じない。都市伝説も、占いも、風水も、霊感も。私には縁がなく、そもそも存在しない。
私は私が信じるものしか信じない。
聞いている時に息が止まっていたのか、深いため息が出る。
最後まで聞いてしまうのはきっと沙羅の話し方が上手いからだ。友達が話し始めたら最後まで聞くのが普通だ。
一瞬頭に『沙羅に呪われているのかも』という思いが浮かんだが、すぐさまかき消した。
それにしても、死骸収集の趣味がなくて良かった。ホラー趣味だけで私には手一杯だ。
「で、私の知ってる猿の手とは違うけど。その猿の手がどうしたの?」
「だから、これ見てって! これ!」
またスマホの画面を見せてくる。
先ほどとは違い今度はちゃんと見える位置で。
黒や茶色の毛が生えているように見える細い長い物体。何度見ても、それはまるで何かのミイラのようだった。
どれだけ拒絶しても、頭が勝手に結論を出す。
「――猿の手」
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