まっとうな悪人
それでもかわらだ
第1話 まっとうな悪人(1話完結)
あたしは悪者の手先だ。
とんでもない命令をとんでもない早さで執行し、泣いてすがる人民さえ彼の前に突き出せる、とてもよくできた片腕である。
しかしその悪者に父親を殺されている。彼は何一つ覚えていないだろうに、いつか最も近いこの場所からあだ討ちをするため、彼の片腕なんかをやっている。今日は彼の身内の住んでいる村を丸ごと焼いて、明日は城内の女中を3人粛清すると言う話だったので、あたしは痛む思いを殺しながら、彼が信頼を寄せる残虐無慈悲な側近になりきるのである。
苦しみをひきずりまわすあたしと違って、彼はまっとうな悪人である。村を焼こうが粛清しようが、彼の瞳が揺らぐことはない。今日も二人のあだ討ちにあい、城下の商人に襲われたが、彼は平然と政務に向かうのだ。
「順調だ」
病的なほどに真っ白な政務室の真ん中で、依然としてペンを動かしながら、彼は小さく呟いた。彼の頬に、ぶちのような真っ赤な点があったので、あたしは自分のハンカチを取り出して、彼の頬をこする。彼を手にかけることを諦め彼の前で自決した、復讐者の血である。
「ああ」
彼は初めこそ怪訝そうな顔をしていたが、赤くなった私のハンカチを見て、得心がいったような顔をした。振り返った彼の顔には皺一つないが、歳の割に底の方まで冷え切った瞳が印象的である。
あたしは一点のしみもない政務室の壁をながめながら、赤い血のついた白いハンカチを手の中で握りつぶして、お疲れ様です、と彼に声をかけた。応えない彼の代わりに、のりのきいた真っ白なシャツが、がさついた音を立てていた。
彼はまっとうな悪人で、彼のせいで死んだ者の血くらいでは揺らがない。なぜ悪人なんかやっているのかと不思議になるくらいのまっすぐな瞳が、あたしは憎たらしくてしょうがない。少しくらい良心の痛みがあればよいものを、あの濁りのない瞳からすれば、彼は良心さえ持ち合わせていないのだろう。いつかあたしが父のあだ討ちを果たすことになるその日には、この真っ白な政務室も、冷え切った彼の瞳も、赤黒い血で染めてやるのだ。
明くる朝、あたしは唐突に政務室に呼び出されたので、ついにその時がきたのだと思った。10年来のあたしの企みが露見して、きっと粛清されるのだろうと思った。なんのことはない。彼よりも早く、剣を抜けば良いだけの話である。
そう信じ込んでいたものだから、あたしはよく理解できなかったのだ。例によって迷いのない、彼の言葉を。
「お前が終わらせてくれ」
窓から入る朝日のせいで、彼の顔は影になっている。
「え?」
「だから、終わらせてくれるんだろう」
まっさらな短刀を、彼は私に手渡した。
あまりに健全にかがやく短刀を見て、あたしは、ああ、しまったと思った。やられたと思った。
思えば彼が粛清するのは、身内ばかりだった。罪もない多くの国民が道連れになったのだ。気づくわけがない。彼は初めから終わらせるつもりだったのだ。暴君から引き受けた、このどうしようもない絶対王政を。
彼の瞳に一点の濁りもなかったのは、悪という彼にとっての正しい人生を、予定通り遂行していたからなのだ。
あたしは彼を恨む気にも、恨まない気にもなれず、ただ彼に呑まれることを選んだ。だって彼は悪人なのだ。無実の国民を幾万と殺した、悪人であるはずなのだ。
あたしは短刀を振り上げて、堂々たる彼の首を睨みつける。短刀は一筋に光を受けていた。
「ありがとう」
彼は贖罪をいわない。私の父を殺したその日から、一度たりとも贖罪をしなかった。悪役をひきうけると決めた彼にとって、悪とは今更善に染まることなのだろう。
だからこそ、彼はまっとうな悪人である。暴君のあとをつぎ、その王政を終わらせるために悪として生き悪として死ぬと決めた、純粋たる悪人である。
悪者なのに潔くて、悪者なのに迷いがないから、正しいこっちが間違った気になる。正しさに憧れを感じながら、罪悪に押しつぶされて歩く罪人とはそこらへんが違うのだ。
唯一の味方であるはずの私が裏切ること。それが彼の正しい人生の完成である。
そうして私は短刀を振り下ろし、そう飛び散ってくれなかった彼の血と、濁りのないまま役目を終えた彼の瞳を、いつまでも眺めていた。
まっとうな悪人 それでもかわらだ @soredemokawarada
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