第7話昔好きだったCMソング
昔好きだったCMソングを口ずさむ。
「――まあ、それはいいとして」
僕は少しだけ声のトーンを落として言う。
「……本当に大丈夫なのか? いくらなんでも無謀すぎないか?」
僕がそう言った途端に、隣から大きな溜息が聞こえた。「はぁ……。あんたってホントにバカね。この期に及んでまだそんなこと言ってるわけ? それともあれなの?
『やらなくて後悔するよりやって後悔したほうがマシ』とかいうやつ? 私はどっちも嫌だけどね。やらないで後悔するくらいならやる前に後悔して死ぬわよ」
僕の質問に対して、呆れ顔を浮かべながら答える美夏。
その表情にはどこかしら自嘲的な色が含まれていた。
「……」
何となく、今の美夏に軽々しく声を掛けてはいけないような気がしたので僕は口を閉ざす。するとそれに気づいたのか、美夏はすぐにいつもの調子に戻ってにっこりと笑った。
「んー、でも心配してくれてありがとね、おに~さん♪」
「いや……」
「ふふ、やっぱり優しいよね、おに~さんって。そういうところ大好きだよ。だから安心して、わたしに任せてくれればいいんだから」
「……」
「大丈夫だってば。確かにちょっと不安がないわけじゃないけど、でもこれでも一応乃木坂家の人間だしね。いざとなったらちゃんとお仕事はこなすつもりだよ。それにさっきも言ったけど、これはわたし個人の問題でもあるし。……だから心配しないで、ね?」
笑顔のまま小首をかしげてそう言ってくる美夏。……だがしかし、
「……」
それでもやはりというべきか、僕はどうにも納得できなかった。何かこう、モヤッとしたものが胸の奥に残っている感じである。
そのまま数秒ほど黙っていると、美夏のほうから「あ!」と思い付いたように声が上がった。
「そっか! うん、そうだよね。じゃあおに~さん、こういうのはどうかな?」
「?」
「えっとね、もしわたしが無事に帰ってきたらご褒美にキスをしてください♪」
「……へ?」
突然の申し出に思わず目を丸くする僕。
「それで今回の件はチャラにしてあげる。うん、それがいいと思うなっ」
「い、いやそれはだな……」
いきなり何を言ってるんだこいつは。
あまりに突拍子もない提案に二の句が継げないでいると、「え~ダメなのぉ?」と美夏が唇を尖らせた。
「う……」
正直かなり心惹かれるものはあるのだが(いかんせんこいつの外見は文句なしに可愛いのだ)、しかしだからといってホイホイとその手に乗るというのも……
などと迷っているうちに、
「ふふ、冗談だよ。そんな真剣に考えないでいいからね。それよりほら、もうすぐ着くみたいだよ」
美夏が窓の外を見ながら言った。
見るといつの間にか外の風景が変わっている。
ビル街を抜けて住宅街に入ったようだ。
「あ、ほんとだ……」
「ね? だから気にしないで、おに~さんは自分のことだけ考えてればいいんだよ」
「……分かった」
結局、他には何も思い浮かばなかったので僕は渋々ながらも了承した。
「うん、よろしい♪」
そんな僕の返事を聞いて嬉しそうに笑う美夏。
それからさらに数分後――僕らを乗せたリムジンはとある一軒家の前で静かに停車したのだった。
2
「…………」
扉の向こう側に広がっていた光景を見て僕は絶句していた。……なんなんだこれは? いやマジで。
目の前にある建物――そこにあったのはまさに豪邸と呼ぶに相応しいものだった。
まず目に入るのが巨大な門柱である。
左右に広がる敷地を分断するようにどっしりとした佇まいを見せているそれは、高さだけでも三メートル以上は確実にありそうな代物であり、そこから延びる塀もまた同じくらいの高さを誇っている。おまけに門の前には制服姿の警備員まで立っていたりするのだから驚きである。
「……」
改めて思うが、乃木坂家はホントにとんでもない金持ちらしい。
「さ、おに~さん、行こう?」
唖然としている僕に向かって美夏が声を掛けてくる。
「あ、ああ」
促されるままに歩き出すと、すぐに先ほどの警備員が駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました、乃木坂様。こちらへどうぞ」
「ん、ありがと」
「お荷物をお持ちします」
「あ、別に大丈夫だよ」
「では私がお預かり致しましょう」
「ん~、まあいいか。じゃあお願いね」
「はい」
「……」
まるでホテルマンのような恭しさと丁寧さで美夏の鞄を受け取る警備員。
そしてそれが終わると今度は僕の方に視線が向いた。
「そちらの方もどうぞお通りください」
「は、はい」
「お帰りなさいませ、春香さま」
「あ、ただいまです」
「いつもながらにお美しいですね。さすがは乃木坂家のご息女といったところです」
「え、えと、ありがとうございます」
「お父上やお母上によろしくお伝えください」
「はい」
「……では、失礼いたします」
「……」
「?」
「……ふぅ」
僕たちを見送ると何やら疲れたような表情で一息つく警備員。……いったい何があったんだ?
「んふふ、なんかみんな面白いよね。わたしは好きだよ、そういうの」
「……いやまあ、あれを好きと言えるお前も大概だとは思うがな」
苦笑しつつ答える。
ともあれこうしてようやく敷地内へと足を踏み入れた僕たちは、そのまま玄関口へと向かう。
そこで美夏は慣れた手つきで呼び鈴を押した。
「はい、どちら様でしょうか?」
すると数秒も経たないうちに中から声が返ってくる。
「わたし、美夏だけど」
「あら、美夏ちゃん? 久しぶりねぇ。元気にしてる?」
「うん、もちろん! あ、でもちょっと最近太っちゃったかも。お母さんに怒られちゃうかな?」
「ふふ、そんなことないわよ。あなたは今のままで十分可愛いもの」
「えへ、そう? よかった」
「それで今日はどうしたのかしら?」
「えっとね、実はわたしに弟ができたの!」
「え?」
「だから今日はその紹介も兼ねて遊びに来たってわけ。――いいよね、お父さん?」
「…………」
「もしも~し、聞こえてる?」
「…………」
「……ありゃ、こりゃダメだね。やっぱりまたお仕事で海外に行ってるみたい」
「まあ、そうなの」
「うん。だから悪いんだけど今日のところは帰らせてもらってもいい?」
「ええ、それはかまわないけれど……」
「あ、それとね、もう一つ大事な用事があって」
「何かしら」
「おに~さんを連れてきたから」
「おに~さん?誰かしらん? この家にはそんな人は住んでいないはずなのだけど……」
「え~と、その、おに~さんはおに~さんっていうか、おに~さんはおに~さんで……とにかくわたしの将来の旦那様なの!」
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