『えすえふ』

はいいろわんこ

🌍

第1話 かばん、連れ去られる


「ジョン。私が信じられないの?」


「いや、君のことは信じている。信じているからこそ信じられないんだ」


「一緒に海にも行ったし、ドライブだって行ったじゃない」


 ケイミーは必死な表情で訴えかけたが、ジョンは苦しそうにかぶりを振った。


「分かっているよ。海で飲んだタピオカミルクティーは最高だったし、スポーツカーで峠を越えたときは最高にいい気分になったよな」


「そうでしょう?あなたとの思い出は全部私の中にあるのよ?それでも信じられないの?」


 ケイミーは自身の両手を広げて、敵意がないことを示す。


「ねえ。来てよ、ジョン。こっちへ来てよ、お願い」


「ああ……ケイミー……」


 ジョンは吸い寄せられるようにケイミーに近づいて行った。そして彼女を優しく抱き寄せると、しばらくの間見つめ合った。


「ねえ、これでも私をニセモノだと言うの?」

「いや、分かっていたよ。君をニセモノと間違えるはずがない」

「ああ、ジョン!」


 ジョンは肩を強く抱きしめられたので、負けじとケイミーを抱きしめ返す。

 温もりが心強かった。

 ジョンはそのまま赤い顔で目をつむり、唇を重ねる。

 その瞬間、彼の背中に悪寒が走った。

 彼はびっくりして目を見開く。目線の先には不敵に微笑むケイミーの目があった。


「お前……!」


 彼は顔を離し、ケイミーを突き放そうと試みた。しかし彼の肩に回ったぬめった腕が脱出を阻止する。


「離せ!離せっ!うっ!」


 叫ぶジョンの口を、ケイミーはその唇で塞いだ。そこからケイミーの体は裏返り、赤黒い皮膚と、うねうね動くたくさんの触手があらわになった。

 ケイミーだったものは、ジョンの脳内に信号を送る。


(お前たち、人というのは、本当に救いようのない種族だな)


(メスを誘惑するために、プラスチックで海を汚す)


(排気ガスで山を汚し、あまつさえそれを楽しむ)


(こんなに美しい星で、こんなに醜い種族が繁栄しているとは我々としても看過しかねる)


(この星は我々が管理する。人はもう不要だ)


 ジョンの口内に、奇怪な宇宙人の硬い舌が差し込まれた。舌はそのまま喉を突き破り、形を変えながら脳に到達した。

 宇宙人の巻き貝のような舌は、ぐちゃりぐちゃりと音を立てながら、その味を確かめるように、丹念にジョンの頭の中をかき回し――


「かばんちゃん!」


 パタン!と勢いよく本が閉じられます。

 ジャパリバスの後ろの座席でその本を読んでいた黒髪の少女は驚いて顔を上げました。


「かばんちゃん!なんの本読んでたの?」

「な、なんでもないよ!」

「うそだよ!すっごくじーって見てたもん!」


 黄色い髪のけもミミ少女は黒髪の少女を見つめます。

 黒髪の少女は気まずそうに本をかばんに入れます。


 かばんとサーバル。

 かつて住んでいたキョウシュウエリアを出て、ヒトを探す旅をしています。

 しかし彼女らが海に流され辿り着いた土地は、見渡す限り荒れ地が広がる場所で、ヒトの痕跡は全く見当たりませんでした。

 それどころか、草の1本さえ生えていません。

 かばんは当初、不思議に思ってラッキービーストに尋ねましたが、ただ『アワワワワ』と言われて、それっきりでした。

 それからずっと、ジャパリバスで荒野を走っています。ラッキービーストによる自動運転なので、操縦する必要はありませんでしたが、景色の変わらない道で長い間揺られ続けた二人には、多少の飽きが見え始めていました。


「ねえ、かばんちゃん。さっきの本の話、私にも教えてよ!だって、気になるも!」

「そうは言っても、怖い話だよ?」


 かばんは不安そうにサーバルを見上げます。

 サーバルは、少しはにかんで、軽くジャンプするとかばんの隣に座りました。


「大丈夫!かばんちゃんがお話してくれるなら、私、へーきだよ!」

「そう?じゃあ話すね」


 かばんは目をつむって話をはじめました。


「まず、地球に空飛ぶ円盤がやって来るんだ」

「ちきゅう?えんばん?」


 サーバルは不思議そうに尋ねます。


「地球っていうのは、僕たちがいる場所のこと。円盤っていうのは、こういう形のものだよ」


 かばんは空に扁平な形を描きます。


「え、えー?それが、飛ぶの?どうやって?」

「それは分からないけど、とにかく飛ぶんだ」

「それって、紙飛行機みたいな感じかな?」

「本にはぷかぷか浮いているって書かれていたけど」

「ぷかぷか?温泉かなあ?」


 サーバルは腕を組んで考え始めました。

 どうやら猫には話が難しすぎたようです。

 かばんはもう一度分かりやすく話そうと口を開きましたが、その瞬間サーバルが空を指さして言いました。


「ねえ見てかばんちゃん!えんばんが飛んでる!」

「え?」

「ちがうよ!もっと右のほう!」


 かばんは目を凝らします。

 見ると、確かに銀色の丸い物体が空にぷかぷかと浮いています。

 とても奇妙なその物体は、不規則に動きながらもなにか目的をもって動いているように見えました。


「ねえ、こっちに向かってきていない?」

「ほんとだねー!」


 のんきなサーバルとは違って、かばんの顔はみるみる青くなっていきました。

 かばんは慌てて運転席に乗りだしていくと、座席に置かれたラッキービーストに命令を出しました。


「ラッキーさん!スピードを上げてください!早く!」

「リョウカイダヨ」


 ジャパリバスが急加速します。

 かばんはそれを慣性で感じると、慌てて後部座席に戻って後方を確認します。

 やはり円盤はこちらに向かってきているようです。


 かばんの一連の動きを見ていたサーバルは不思議そうな顔をして尋ねました。


「かばんちゃん?何をそんなに慌てているの?」


 かばんは不安そうな顔で答えます。


「あの円盤が、ぼくたちを狙っているんだ!」

「狙う?かりごっこのこと?」

「かりごっこのようなものだけど、捕まったら食べられるよりももっとつらいことになるかもしれない。とにかくわからないんだ」


 かばんは自分が早口になっていることに気が付きませんでした。

 そうこうしている間にも、バスと円盤の距離はだんだんと短くなっていきます。


「ラッキーさん!もっとスピードを速くできませんか?」

「ムリダヨ。ソシテイマデンチガキレタヨ」


 ラッキービーストがそう告げると、バスのスピードは見る見るうちに遅くなっていき、やがて止まってしまいました。


「電池を替えなきゃ!」


 かばんは慌ててバスを降りると、けん引していた後方の荷台に向かいます。


「早くしないと」


 かばんは荷台に乗り込みます。電池はあまり使わないため、ジャパリまんの下に置いていました。かばんはそれをどかそうとしましたが、重くて動かなかったので、手伝ってもらおうとサーバルを呼びました。

 しかし、もう遅かったようです。


「かばんちゃん!上!」


 円盤はすでにジャパリバスの真上に来ていました。

 かばんは大慌てで身を隠そうとしましたが、次の瞬間円盤からスポットライトのような光が照射されます。


「うわあ!」


 光がかばんを直撃しました。


「あれ?なんともない?」


 かばんは不思議そうに手のひらを見つめました。

 腕を動かします。首を動かします。

 特になにも起こっていないようにみえます。

 しかし、足を動かしてようやく自分に起こった異常に気付いたようです。


 宙に浮いていたのです。


 かばんはそのまま円盤に向かって上昇していきました。


「かばんちゃん!」


 サーバルはかばんを逃すまいと、円盤に向かってジャンプしました。

 いくらサーバルのジャンプ力が優れているといえ、すでに10m近く上にいるかばんのもとへは届きませんでした。

 円盤はそのままかばんを収納すると、どこかに飛び去って行きました。


「そんな!嫌だよかばんちゃん!こんなお別れなんて!こんなのってないよ!かばんちゃんを返してよお!」


 サーバルは悲鳴に近い叫びを上げました。だだ広い荒野のなかでは、声はただ消散していくだけでした。


 そこにポトリと黒いものが落ちてきました。

 サーバルはのろのろとそちらに近づくと、目に涙を浮かべてそれを拾い上げます。


 かばんの読んでいた『えすえふ』でした。


(待っててかばんちゃん......私が絶対助けるから......!)


 サーバルは本を胸に抱くと、唇を噛みながらバスに戻りました。

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