怪我とプリンの巧妙? ⑫
「もう一回!潤くん、もう一回やって!」
「もう一回?しょうがないな……」
伊藤くんにおだてられ、潤さんはまんざらでもなさそうな顔をして、また卵に手を伸ばそうとしている。このまま放っておくと潤さんが卵を全部割ってしまいそうな勢いだ。
「潤さん……私のできる数少ない仕事を取らないで」
「ああ……そうか、悪い」
私が再び卵を割り始めると、潤さんはすぐそばにいた伊藤くんに、剥き終わったエビを渡した。
「これ持って行って、他にすることないか木村に聞いて」
「了解!葉月ー!」
伊藤くんは潤さんに渡されたエビを持って、ひと足先にキッチンに戻っていた葉月の元へ駆けて行く。
やることがなくなって暇になったのか、潤さんは卵を割る私をじっと見ている。
「あんまり見られるとやりにくいんだけど……」
「あ、ごめん。暇だしつい……。志織は自分で不器用だって言うわりに、料理は手際よくできるんだなぁと思って」
「そんなことはないけど……。一人暮らし始めた頃は料理なんてろくにできなかったから、毎日練習してるうちに慣れたって言うか……」
「へぇ、俺も似たようなもんだ。志織にもそんな頃があったんだな」
料理のできない潤さんなんて、料理上手な今の潤さんからは想像もつかない。
潤さんはいつ頃から料理を始めたんだろう?
「料理を作り始めたのは社会人になってから?」
私が尋ねると、潤さんは眉間に少しシワを寄せて首をかしげ、しばらく黙りこんだ。
なかなか返事がないけれど、潤さんの険しい顔を見ると、私は何か聞いてはいけないことでも聞いてしまったんだろうかと、少し不安になる。
「高3の頃……大学の推薦入試に合格してから。それまでは部活とか受験勉強が忙しくて、家のこと何もできなかったから家政婦が来てたけど……大学に合格して時間ができたら、自分でやるようになった」
「そうなんだ」
中学時代に両親が離婚して母親が出ていったと言っていたし、お父さんも仕事で忙しい立場の人だから、きっと周りの同年代の男の子のように親に頼ることができなかったのだろう。その当時のことを振り返って、苦い記憶でも蘇ったのかも知れない。
聞かない方が良かったかなと私が少し後悔していると、潤さんが私の方を見ていつものように笑った。
「何をそんなに難しい顔してるんだ?」
「ん?うん、ちょっと……潤さんが話したくないこと聞いちゃったかなと思って……」
「たしかにその頃はいろいろあって、覚えてるのはろくでもない思い出ばっかりだけどな。志織が気にすることないよ」
「そう……?それならいいんだけど……」
潤さんがどんなことを思い出して、あんな険しい顔をしたのかが気にかかるけれど、それを無理に聞き出すようなことはしたくない。
そんな私の気持ちを察したのか、潤さんは笑みを浮かべながら卵を手に取り、ボウルに割り入れた。
「またいつか、そのうち話すよ」
「うん」
良いことだけでなく、悪いことやつらかった過去も、潤さんが話したくなったときに話してくれたらいいなと思う。
私たちはこれから結婚して夫婦になって、ずっと一緒にいるのだから。
料理の下準備ができると、瀧内くんがリビングのテーブルの上に大きなホットプレートを用意した。
葉月は腕まくりをして、油を敷いて熱した鉄板にお好み焼きの生地を丸く流し込み、その上に豚肉とエビとイカを乗せる。
伊藤くんと瀧内くんは、その様子をしげしげと眺めている。
「おおっ、今日は豪華だな!」
「いっつもは豚玉やけど、今日は退院祝いやから豪勢にミックス焼きやで!」
鉄板からは生地が焼ける音がして、湯気と共に食欲をそそるいい匂いが漂う。まるでお好み焼き屋に来たみたいだ。
「一応ノンアルコールビールも買ってあるけど……潤くんも佐野も、お酒飲んでも大丈夫?」
「大丈夫だよ。別に薬も飲んでないし」
「私も」
「よし、じゃあビールで乾杯だな」
伊藤くんは立ち上がってキッチンに向かったかと思うと、突然立ち止まって振り返る。
「ちなみに俺たちは今夜はここに泊まっていいの?」
尋ねられた潤さんは不思議そうな顔をして軽く首をかしげた。
「いまさらなんだ?いつも泊まってるじゃないか。ここはおまえらの第二の実家みたいなもんだろ?」
「そうなんだけどさぁ……。だってほら、記念すべき同棲初日に邪魔していいもんかなと思って……」
また同棲って言った……!
いや、たしかにそれで間違いないのだけど、その響きがどうしても生々しく感じて、私は苦手なのだ。せめて同居と言って欲しい。
潤さんは伊藤くんの言わんとしていることに気付くと、呆れた顔をして大きくため息をついた。
「あのなぁ……さっき盛大に邪魔したやつが言うことか?変な気を使わなくていいから、遠慮せず泊まってけ」
潤さんがそう言うと、鉄板の上で焼けていくお好み焼きを凝視していた瀧内くんが顔を上げた。
「潤さん、これからは志岐くんにも少し遠慮を覚えてもらった方がいいですよ。そうしないと、志織さんとの愛の巣に毎日入り浸るようになりますからね」
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