Accidents will happen ⑭
二次会であんなことがあったとはいえ、社会人として上司を無視するわけにはいかない。
「お疲れ様です」
私が軽く会釈をすると、下坂課長補佐は少し気まずそうに「お疲れ様です」と返した。
「出張帰りに駅で事故にあったんですって?」
「はい、階段の一番上から派手に落ちました」
「それでよく無事だったわねぇ……。根っからしぶといのかしら」
下坂課長補佐は笑いをこらえながら、チクチクといやみを言う。
「はい、母が頑丈に産んでくれたおかげで、骨折と打撲とかすり傷程度で済みました」
私が笑って返事をすると、下坂課長補佐は少し引きつった笑顔を見せた。
「頑丈で良かったわねぇ……。同じ事故でも三島課長は重体だって言うのに……」
「えっ?!」
聞き間違いかと思って詳しく尋ねようとすると、下坂課長補佐は腕時計を見て慌て出した。
「あっ、急いで戻らなきゃ!こんなところであなたとのんきにおしゃべりしている暇なんてないのよ。じゃあね、お大事に」
下坂課長補佐はそう言って急ぎ足で正面玄関へ向かい、病院を後にした。エレベーターの前で一人取り残された私は、さっきの下坂課長補佐の言葉にうろたえて一歩も動けない。
潤さんが事故にあって重体ってどういうこと?そんなこと、誰も言っていなかったのに。
重体って……重体って……命に関わるような大怪我をして意識がないとか……?
心臓がすごい速さで脈打って、口の中がカラカラに渇く。
とにかく誰かに聞いて確かめないと。
震える手でポケットからスマホを出して、発信履歴画面を開く。
誰に聞けばいいだろうと思いながら画面を凝視して、とりあえず誰でもいいから聞いてみようと、瀧内くんに電話をかけた。4度目で発信音が途切れ、『はい』と瀧内くんの声が聞こえた。
「瀧内くん!今、潤さんが事故にあって重体だって聞いたんだけど、ホントなの?!」
焦っていつもよりかなり早口になりながら尋ねると、瀧内くんはほんの少し黙り込んだ。
『落ち着いてください。今どこですか?』
これが落ち着いていられるか!
「病院!正面玄関から入ったところのエレベーター前!」
『わかりました。僕、今ちょうど会社を出たところなので、動かないでそこで待っててください』
そう言って瀧内くんは電話を切った。
動かないで待っていろと言われたけれど、逸る気持ちが抑えきれず、エレベーターの前を行ったり来たりしてしまう。
そうしているうちに瀧内くんが急ぎ足でやって来た。会社から病院への距離を考えると、実際には10分程度だったのかも知れないけれど、瀧内くんが来るまでの時間がやけに長く感じられた。
「瀧内くん!潤さんが重体ってホント?!潤さんはどこにいるの?!」
半泣きになりながら勢い余ってつかみ掛かると、瀧内くんは少し驚いた顔をして、スーツの襟をつかんでいた私の右手を握った。
「落ち着いて、志織さん。今から潤さんのいる病室に案内します。ちゃんと説明しますから」
瀧内くんに手を引かれ、泣きながらエレベーターに乗り込むと、瀧内くんは私の背中を優しくさすった。
「潤さんは先週の月曜日の朝……志織さんが出張に行った日の通勤中に、会社のすぐそばでトラックに跳ねられたんです」
「そんな……」
会社のすぐそばと言うことは、潤さんは私と別れた直後に事故にあったんだ。あのとき私が断るか、もしくは駅まで送ってもらっていれば、潤さんはきっと事故にあわずに済んだのに。
だけど潤さんが引き返したであろう会社までの道のりは整備された歩道の一本道で、道路を渡ったりはしないはずだ。
「どうしてそんなことに……」
「潤さんのすぐ目の前で、歩道の端の方を歩いていた女性の押していたベビーカーが、歩道のはがれかけていた石畳に引っ掛かって車道に倒れたらしいです。潤さんはすぐに車道におりて、そこに向かって走ってきたトラックから赤ちゃんを助けたんですが、歩道に戻るのが間に合わず跳ねられてしまったと……」
危険をかえりみず見知らぬ人の赤ちゃんを助けて自分が犠牲になるなんて、潤さんはどこまでいい人なのか。
他人が聞いたら立派な美談なのだろうけど、これで潤さんが命を落としてしまったら、私にとっては後味の悪い最悪の寓話だ。潤さんが助けた赤ちゃんの母親を、一生責めてしまうかも知れない。
エレベーターは6階で止まり、扉が開く。
瀧内くんのうしろを歩きながら、潤さんのいる病室に一歩ずつ近付いているのだと思うと、またさらに鼓動が速くなり、足取りが重くなった。
「どうして私には教えてくれなかったの?」
「潤さんが事故にあったとき、志織さんは出張に行ったところだったでしょう?潤さんが、志織さんには心配かけたくないから言わないでくれって……」
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