備えあれば憂いなし?⑤
私と三島課長が朝食の支度を終えてコーヒーを飲んでいると、葉月が慌ててリビングに駆け込んできた。
「おはよう」
「おはよう、やないよー!なんで起こしてくれんかったん?」
いやいや、起こしましたよ?
「起こしたけど起きなかったから」
「ほんまに?!」
葉月は三島課長がそこにいることに気付き、慌てて両手で顔を覆った。
そんなことしなくても葉月は寝起きの顔すらも美人なのに、本人にはその自覚はないらしい。私は葉月のそんなところが、そこはかとなくかわいいと思う。
「おはようございます。すみません、朝から見苦しいものお見せして」
「いや、そんなことないと思うけど?」
「とりあえず……顔作ってきますんで、洗面所お借りしますー!」
葉月はすごい速さで洗面所に駆け込んだ。
そんな葉月がおかしくて、私と三島課長は思わず笑ってしまう。
「顔作るって……木村はいつも面白いなぁ」
「作る必要なんかないのに」
「そういえば……佐野の素顔を見逃した。見たかったな」
「……見なくていいです」
いつも別人みたいになるほどの化粧をしているわけではないけれど、これだけは守っておきたい。女性にとっては最後の砦のようなものだ。寝起きの素顔を晒せるほどの関係になるには、それなりの年月とか親密度が必要だと思う。
たとえ相手が超絶いい人の三島課長でも、寝起きの素顔を見られなくて良かったと、ホッと胸を撫で下ろした。
9時をまわった頃、ようやく男性陣もリビングにそろい、朝食をとることにした。
三島課長が言っていた通り、伊藤くんも瀧内くんも朝から食欲は旺盛なようだ。
「あれ?今日の味噌汁、いつもと味が違う」
瀧内くんが味噌汁を一口飲むなり呟く。
「ああ、うまいよな。今日の味噌汁は俺じゃなくて佐野が作ったんだ」
三島課長が笑って答えると、瀧内くんは味噌汁の中の豆腐を箸でつまみながら、三島課長の方を横目でにらむ。
「潤さん、呼び方」
「あっ……」
三島課長は「しまった」という表情で、それをごまかすように味噌汁をすする。
おそらく昨日のように冷やかされたくなくて、意図的に私の名前を呼ばないようにしていたのだろう。
「『佐野』じゃなくて『志織』って呼ぶことにしたじゃないですか」
「あー……うん、そうだったな」
「僕らがいるとなかなかそれらしくならないからと思ってせっかく二人きりにしてあげたのに、どうせいつも通りに呼んでたんでしょ?志織さんも、ちゃんと『潤さん』って呼んでくださいよ」
えっ、二人きりにしてあげたって何?!
もしかして瀧内くんはもっと早い時間に起きていたのに、私と三島課長が朝食を作るために早起きすることを計算して、寝たふりをしていたってこと?
「……起きてたの?」
「そうですけど、何か不都合でもありますか?」
「いえ、ありません……」
瀧内くんって……なんでもお見通しだと言っているようで、時々怖い。
「とりあえず二人とも、名前で呼ぶことに早く慣れてください。それから今日はデートですからね。ちゃんと恋人らしくしてくださいよ」
「恋人らしくって……」
「手を繋ぐとか、腕を組んで歩くとか、いろいろあるでしょう」
三島課長は瀧内くんの言葉に驚いて、味噌汁を吹き出しそうになった。
私も箸でつまんでいた卵焼きを、テーブルの上にポロリと落としてしまった。
「そこまでする必要あるか?!」
「あるから言ってるんです」
「いや、でも……俺はともかく佐野は……」
彼氏がいるから、と言おうとしたのがすぐにわかった。
そうだった、三島課長は何も知らないんだ。
彼氏とはもう別れるつもりだと、ここで言っておいた方がいいのかと思ったけれど、よく考えてみると三島課長には好きな人がいるようだし、もう一度頑張ってみようかなと言っていた。
そんな矢先に私が勘違いでもして好きになられたらどうしようと思ってるんじゃないかとか、彼氏に浮気された私をかわいそうに思って負担に感じるのではないかと思ったりもする。
自称婚約者候補のモナちゃんやご両親をうまくごまかせたとしても、もし偽婚約者の私との仲がこじれたりすると、三島課長にとっては面倒なことでしかないのではないか?
ここはうまく距離感を保ちながら、ことをうまくおさめる方が得策だと思う。
「三島課長にお任せしますよ」
私がそう言うと、三島課長は眉間に少しシワを寄せた。曖昧な濁し方をしたので、どういう意味かと考えているだろうか。
三島課長がイヤなら手を繋いだり腕を組んだりしなくてもいいし、逆に恋人らしく振る舞いたいのであれば、そうしてくれても別にかまわない。
護は私のことをなんとも思っていないわけだし、私も護とは別れるつもりだから、もし三島課長とくっついているのを護に見られたとしても、もっとひどいことをしている護は、私に何も言えないはずだ。
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