使えるものは親でも使え⑫

「……勝手に先走って、余計なこと言ってすみません……」

「いや、佐野は悪くないから謝らなくていいよ。でもこればっかりは自分が頑張らないといけないんだ」


 瀧内くんはどうしても私を三島課長の偽婚約者に仕立てあげたいようだったけど、私は三島課長本人の気持ちを尊重するべきなのだと思う。

 でもやっぱりお節介な私の性格上、気になるものは気になるのだ。


「わかりました。でも困ったことがあったらいつでも頼ってくださいね」

「ありがとう。じゃあそのときは頼むよ」



 三島課長の車を見送って家に帰り、お風呂から上がると、瀧内くんからトークメッセージが届いていた。


【今日はお先に失礼してすみませんでした。

 おかげで無事に荷物を受け取ることができました。

 明日は全員でお酒が飲めるように、泊まりの準備をしてきてください。もちろん木村先輩にも伝えてあります。明日もよろしくお願いします】


 メッセージを読みながら、思わず「えっ、泊まりの準備?!」と声に出して驚く。広い家だから部屋はたくさん余っているだろうけど、勝手にそんなことを決めていいんだろうか。

 三島課長の許可はもらってあるのかと尋ねると、一瞬で【もちろんです】と返事が届く。三島課長はそんなことは言っていなかったけど、私を送った後に瀧内くんと連絡を取ったのかも知れない。

 たしかに私たちが電車やタクシーを使って自力で帰ると言うと、三島課長のことだからお酒を飲まずに車で送ると言いそうだ。念のため準備だけはしておくことにしよう。



 翌日は定時から30分ほど遅れてなんとか仕事を終わらせ、急いで会社を出たところで伊藤くんと出会った。葉月と瀧内くんは定時で会社を出たそうだ。三島課長はあと30分ほどで終わるらしい。

 他愛ない話をしながら歩いていると、ビジネス街を抜けて雑居ビルが建ち並ぶ繁華街の手前辺りで、急に伊藤くんの歩く速度が遅くなった。


「どうかした?」

「なぁ……あれ、橋口じゃね?」

「えっ?」


 伊藤くんが指さす先の方を見ると、楽しそうに笑いながら髪の長い女の子の肩を抱いて歩く護の後ろ姿が見えた。少し遠いけど、あれは紛れもなく護だ。そして隣を歩いていたのは、遠目に見ても若くてきれいな女の子だった。

 二人はそのまま、繁華街の雑居ビルの合間にしれっと紛れ込んでいるラブホテルへと消えていった。会社からこんなに近い場所で、堂々とそんな場所に出入りするとは、呆れて言葉も出ない。


「俺、あの子知ってる。あいつの取引先の担当者だ。橋口の元カノで、結婚してるって瀧内が言ってた」

「ふーん……そうなんだ」


 もうここまで来ると、腹が立つとか悔しいなんて感情は湧きもしないし、やっぱり他にもいたんだなとしか思わない。


「佐野には酷な話だから黙ってたけど、この際だから話してもいいか?」


 伊藤くんは真剣な面持ちで、私を気遣って胸に留めておいたという話をし始めた。

 それは例の商品管理部の女子との合コンに駆り出されたときに、その席で護が同僚と話していたことらしい。

 うちの会社の会長は名前が私と一文字違いの『佐野 伊織サノ イオリ』とおっしゃる御歳90歳のやり手の女性で、社内では昔から、『会長の孫がこの会社に勤めている』と噂になっている。

 もちろん私はただ名前が似ているだけで、会長とは血縁などないのだけど、護はその噂を鵜呑みにした挙げ句、女性でありながら20代のうちに役職に就いた私のことを、会長の孫だと勘違いしているらしい。


「だから佐野と結婚したいんだって言ってたよ。好みのタイプではないし体の相性も良くないけど、鈍感だから浮気しても全然バレないし、高給取りだし料理だけはうまいから、結婚相手にはちょうどいいって。おまけに会長の孫だからいずれは重役になるだろうし、身内になればラクして出世できるんだって言ってた」


 ……なんじゃそれ!私が会長の孫だとか、妄想もいいところだ。

 役職に就いたのだって、もちろんコネなんかではなく、異様にデータ入力が速いからと商品管理部に異動になり、真面目に働いた実績を買われ重宝がられて、ちょうど前任が寿退職して空いた枠におさめられたという、それだけの話なのに。


「つまりは私のことなんか、これっぽっちも好きではなかったと……そういうことね」

「……だな。女には苦労してないから、求めるものは適材適所で事足りるんだってさ。体の相性だけとか見た目の良さだけとか、結婚相手に最適とか」


 おそらく瀧内くんもそれを知っているから、護と別れることを勧めたのだろうと思う。

 そんな馬鹿げた理由で20代後半の大事な3年間を棒に振ったのかと思うと、それを見抜けなかった自分が、ただただ情けなかった。


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