かけて引いたり、足して割ったり⑪

「わかればいいんです。何を注文するか早く決めてください。佐野主任もです」

「はい」


 結局私のお節介で、料理を注文して待っている間に、伊藤くんが気になっている上半身裸の茂森さんに門前払いを食らった件について、葉月から詳しく話を聞いた。

 ことの顛末はこうだ。

 伊藤くんからの連絡が途絶えて1か月近く経った頃、何年も会っていない友人が大阪からこちらに来るタイミングで、例の大阪から出てきた友人たちと久しぶりに集まることになった。

 その日、葉月は朝からずっと体調が悪かったけれど、この機会を逃したら次はいつその友人と会えるかわからないし、毎日ひとりになると伊藤くんのことで延々と悩んで疲れていたので、とりあえず参加することにした。

 しかし友人たちと会って30分も経たないうちに、ひどい悪寒と吐き気がし始めたので、早々に切り上げ茂森さんに自宅まで送ってもらった。

 自宅に着く頃にはかなり熱が上がり、ひとりで歩くのもつらい状態だったので茂森さんが部屋の中まで付き添ってくれたのだが、ずっと我慢していた吐き気がこらえられなくなり、体を支えてくれていた茂森さんの服を思いっきり汚してしまった。

 茂森さんがトイレに葉月を抱えて行って背中をさすっていたところに、タイミング悪く伊藤くんがやって来た。

 茂森さんは玄関モニターで伊藤くんの姿を確認すると、汚れた服を脱いで玄関のドアを開け、『葉月は今、人前に出られる状態じゃない』と言った。

 吐くものを吐いてある程度落ち着いた葉月が、トイレから少し顔を出して誰が来たのかと尋ねると、茂森さんは新聞の勧誘だと答えた。

 ずっと前から断っていたのにしつこく勧誘してくるあの新聞屋だと思った葉月は、『要らんから帰ってもらって』と答えた。

 状況のわからなかった伊藤くんは、葉月と茂森さんが直前までベッドで抱き合っていたのだと勘違いして、長い間連絡が取れなかったことで完全に葉月に嫌われてしまったのだと思い込み、絶望のあまり現場に踏み込んで葉月を直接問い詰めるとか、状況を確かめるということはしなかった……いや、できなかった。

 …………と、いうわけだ。


「あんまり熱と吐き気がひどいから、救急外来に連れて行ってもらったら、ウイルス性の胃腸炎やった」

「胃腸炎……?あいつ、まぎらわしい言い方しやがって……」


 ずっと気になっていた出来事の真相を聞いた伊藤くんは、悔しそうに奥歯を噛み締めた。

 ショックなのはわかるけど、真相を確かめもせず勘違いしたまま身を引いた伊藤くんもどうかと思う。

 葉月が説明を終えたとき、ちょうど注文していた料理が運ばれてきて、瀧内くんの目の前にハンバーグとエビフライの乗った鉄板が置かれた。メニューの一点をじっと見ていたのは、葉月と伊藤くんの会話が気になって聞き耳を立てていたわけではなく、これだったのかと納得する。

 食事をしながら、先ほど聞いたことの真相について話しているときも、瀧内くんはあまり興味なさそうに黙々と食べ続けていた。


「これは私の憶測だけど、おそらく茂森さんは伊藤くんが葉月の彼氏だってことを、なんらかの経緯で知っていて、わざと誤解を与える言い方をしたんじゃないかなーと思うんだよね」


 私がそう言うと、葉月が切り分けたチキンソテーを口に入れてうーんと唸る。


「シゲに紹介したことないけどなぁ……」

「写真を見たとか、スマホの待ち受けとか……もしかしたら、幼なじみの勘でなんとなくわかったとか?」

「どうやろなぁ……」


 そればっかりは茂森さん本人に聞いてみないことにはわからない。


「そのときはパニくって聞けなくても、後で戻るなり電話するなりして、あいつ誰だって聞けば良かったのに」


 瀧内くんがすっかり冷めたフライドポテトに手を伸ばしながらボソボソ呟く。

 たしかにそうだと思った後で、私はひとつの疑問にぶつかり、ハンバーグを切り分けながら首をかしげた。


「志織、どないしたん?」

「伊藤くんはスマホが水没してデータが飛んで、スマホを買い替えたから番号もアドレスも変わったんだよね?」

「そうだけど」

「それでお互いに連絡ができなかったから、葉月も自然消滅したって思ってたんだよね?だったら昨日どうして葉月は伊藤くんに電話できたの?」


 私が尋ねると、葉月は一瞬目を見開いた後でキョロキョロと視線を泳がせ、瀧内くんは呆れた様子でため息をついた。


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